育成年代も“値段”評価の「選手証」制度 日本と異なる欧州サッカー市場のリアル

「選手証」でデータ管理を行うオーストリアのサッカー界
「選手証」に基づく評価、育成年代の自由な移籍――。日本とは異なる交渉・制度・契約のルールを熟知し、欧州で日々クラブ運営の中核を担う日本人指導者がいる。オーストリア2部ザンクト・ペルテンでテクニカルディレクター、育成ディレクター、U18監督を兼務するモラス雅輝は、どのようにチーム作りを進めているのか。多角的な移籍交渉を成功させる日本人指導者の実務に迫る。(取材・文=中野吉之伴)
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モラスが統括する育成チームは、U15からU18までの年代。日頃から定期的に各チームの練習や試合に足を運び、選手たちの細かい部分まで把握に努める。クラブに所属する約100人のアカデミー選手のデータや契約関連事項のほぼすべてが頭に入っているという。プレーヤーとしての側面はもちろん、学校での成績や取り組み、性格、さらに将来のビジョンまで、選手たちとは日常的に幅広い話題でコミュニケーションを図っており、信頼関係の構築にも余念がない。
特にシーズン終盤の時期は、来季に向けた各チームの編成を最適化するため、会議と交渉が立て続けに行われる。オーストリアのサッカー界では、プロ選手を別にして、すべての選手は「選手証」で帰属先が明確になる。この選手証に基づき、育成年代でどのクラブにどれだけ在籍していたかといった情報は、すべてオーストリアサッカー協会のデータベースに記録されている。
「既定の計算法に基づき、選手に値段がつけられていきます。どのリーグの、どのクラブに、どのくらい所属していたのか。どのトレセンに所属していたのか。世代別代表は査定対象には入りませんが、U18ブンデスリーガに属する州サッカー協会のアカデミーなどに選出されると値段は上がります。この場合、州サッカー協会がこの金額を得られる仕組みとなっています。いずれにしても、育成年代でも選手を正規移籍で獲得する時には、そのお金を基準に交渉することになります」
そう語るモラスは、選手のレベルに合った育成システムを評価している。
「トレセンに所属する選手には、別でお金がかかります。オーストリアのプロクラブでは最もレベルが高い選手たちが各クラブの育成チームでプレーし、それに準ずる選手は地区選抜の形でトレセンチームの一員としてシーズンを過ごす。その場合、費用は参加する選手側が各トレセンに支払うのですが、帰属先はあくまでもクラブです。プロクラブの育成チームでプレーする選手はトレセンには入りません。分かりやすく言うと、地域クラブ→地区トレセンチーム→プロクラブの育成チームという流れ。そうすることで、選手に合った形で成長と向き合う環境を作り出していると思います」
選手同意のうえで育成選手もレンタル移籍が可能
また、オーストリアでは育成段階の選手もレンタル移籍が可能だ。例えば、A選手の金額が4000ユーロだった場合、正規獲得するにはその額を相手クラブに支払わなければならない。レギュラーとして期待される選手であれば、そのコストをかけてでも獲得に乗り出すこともあるが、バックアップとしての補強であれば、まずレンタルという形で様子を見るクラブも少なくないという。
こうした制度はプロクラブに限らず、すべてのクラブに共通して適用されている。移籍の時期や条件が明確に定められているため、無制限に選手を引き抜くようなことは実質的に不可能であり、このルール内で条件が整えば誰でも自由に交渉を行うことができる。
モラスは、U15やU18、U21の財政状況やチーム事情、さらには相手クラブの事情を総合的に精査しながら、補強選手のリストアップ、移籍成立による収入確保、レンタル移籍の活用など多角的にクラブ運営に携わっている。チームの総合力を維持しつつ、将来を見据えた強化を常に模索しているのだ。
クラブ間交渉の多様なパターンも想定して動いている。例えば、AというクラブからU18選手を1人獲得したいと考えているとする。その際、相手クラブに探りを入れて、U13の選手2人に興味を持っていれば、「1人のU18選手と2人のU13選手」によるトレードが成立する場合もある。当然、すべてのケースにおいて選手本人の同意が前提となるのは言うまでもない。また選手の価値に応じて、差額分の金額を請求することも可能だ。
育成ディレクターとして、契約関係の書類にはすべて目を通し、細部まで確認しているモラス。その理由は明確だ。数字や表現のわずかな見落としや間違いにより、思わぬ誤解やトラブルにつながるケースが実際にあるからだ。
「正規のやり取りでもレンタル移籍でも、契約書の作成では細部がとても大事になります。僕が特に気をつけているのが、無料(kostenlos)と条件なし(bedingungslos)の違い。『kostenlos』は無料という意味ですが、自由に移籍できるわけではない。条件設定をする権利はクラブにあるので、例えば『値段はかからない。ただA選手とB選手のU11選手2人をうちにくれたら』という<条件>を付けることができる。こうした違いを知らずに揉めるケースも少なくありません。選手や親御さんにとっては未知の世界であるため、僕はいつも丁寧に説明するようにしています」

選手の権利を親が買い取ることで「移籍金ゼロ移籍」も可能に
また、オーストリアサッカーで非常に興味深いのは、「選手に関する権利を親が買い取ることができる」という点だ。前述のように、トップレベルの育成選手が正規移籍しても、それなりの金額が必要となり、クラブ側の意向次第では交渉が難航することもある。これは育成段階に限らず、アマチュア全般にも共通する話であり、成人かつ3部リーグ以下でプレーする選手にも当てはまるのだ。
選手の権利を親が買い取ることで、移籍金ゼロでの移籍が可能となり、その分を年俸アップの交渉に反映させることができる。こうした制度はアマチュア段階では有効だが、選手がプロ契約を結ぶ段階になるとすべてはプロ契約書に基づいて動くため、この買い取りの権利は無効となる。
そのことを知っている親が、自分たちに有利な条件を引き出そうと、交渉してくることもある。ザンクト・ペルテンでモラスを取材中、こんな一幕があった。
ある選手は、数年前に町クラブから移籍してきて以降、毎年のようにレンタル移籍を繰り返していた。実はその背景には、父親の強い意向があったという。自身の現役時代に移籍で苦い経験をしたことから、正規移籍はさせないとの考えに基づいて、息子の契約をレンタルに限定していたのだ。
「契約に関するやり取りは、すべて定められたルールに基づいて行われます。僕の一存で、誰かにはお得なオファーで、誰かには特別な条件を付けて、といったことはできない。クラブには明確な育成コンセプトがあり、U21の予算枠が定められています。変更できないことに対して交渉するのはナンセンスなんです」
選手や保護者から、時には疑問や批判めいた言葉をぶつけられることもある。あまりに理不尽なことを言われれば、「それならうちから出ていけ!」と言いたくなる場面もあるだろう。普段は非常にフレンドリーなモラスだが、ここぞという時にはトーンも変わる。それでも素早く理論的な説明で反論し、相手を罵倒したり、侮蔑的な表現を使ったりすることは一切ない。その姿勢にプロフェッショナリズムが垣間見えた。(文中敬称略)
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。




















