中学受験に失敗→都5部から慶應大へ 諦めず成り上がった“ラッキーボーイ”「考えられなかった」

慶應義塾大の朔浩太朗【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
慶應義塾大の朔浩太朗【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

慶應義塾大3年MF朔浩太朗、アミノバイタルカップで放った輝き

 夏の「大学サッカーの全国大会」とも言える総理大臣杯の関東代表を決めるアミノバイタルカップ。関東大学サッカーリーグ1部、2部、3部、さらには都県リーグの垣根を超えた一発勝負のトーナメントでは、毎年のように数々のドラマが生まれる。プロ内定選手、Jクラブが争奪戦を繰り広げる逸材、そして彗星のように現れた新星が輝きを放つ。今大会も6月5日から29日にかけて開催され、注目を集めた選手や印象深いエピソードを紹介していきたい。

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 第16回は、関東第9代表として総理大臣杯の出場権を勝ち取った慶應義塾大学の“ラッキーボーイ”――MF朔浩太朗。東京都5部相当リーグ出身の無名選手は、なぜ大学サッカーで輝けるようになったのか。

 慶應義塾大のスタメンの中で、唯一、出身第2種(高校年代)クラブに「学習院高校」と記されていた。その時点で興味をそそられたが、プレーを見ると「只者ではない」とすぐに分かった。

 ラウンド16の流通経済大戦。立ち上がりから右サイドハーフに入った朔は、開始早々に左からのクロスをジャンプしながらスライディングシュートでビッグチャンスを生み出すと、直後の7分には同じように左からのクロスをスピードに乗った状態でポケットに侵入して右足で強烈なシュートを突き刺した。

 それ以降も右サイドからスピードに乗って縦のスペースやポケットに入っていく動きで攻撃を活性化。そして立ち上がりの2本のシュートで見せた正確なミート力は、クロスでも光った。結果は1-2の敗戦だったが、75分に交代するまで右サイドでポイントを作り出していた。

 そして勝てば総理大臣杯出場が決まる順位決定戦2日目の明治大との大一番。朔が再び輝きを放つ。

 開始早々の2分、ボール回しからMF齋藤真之介が右サイドのスペースに加速して走り込んでいた彼の動きを見逃さずに、正確なロングパスを通した。トップスピードに乗ってボールを受けると、一気にポケットに侵入して右足一閃。まさに一瞬の閃光のようなアタックで明治大のゴールをこじ開けて見せた。

 その後も朔に多くのチャンスが訪れる。今大会、慶應義塾大は左でゲームを作り、右の朔のスピードとキックで勝負する形がハマっており、先制点と同じような展開で2度の決定機を作り出した。

 後半、明治大が右を封じてくると、今度は最終ラインの手前で受けてアーリークロスや突破からのクロスを入れてチャンスメイクに徹した。彼の右サイドでの機転の効いたプレーもあり、チームは後半に一度追いつかれるが、MF角田惠風のゴールで勝ち越し。82分にFWオノノジュ慶吏と交代を告げられたが、このリードを守り切って2年連続の総理大臣杯出場を手にした。

「入試で落ちてしまって…」学習院高時代に訪れた転機

「昨年のアミノバイタルカップも城西大戦で出場チャンスを掴んで、明治学院大との準々決勝でスタメンを掴むことができた。この大会をきっかけに後期のリーグ戦で使ってもらえるようになったので、1年経ってより成長した姿を見せたいと思っていました」

 屈託のない笑顔でこう口にする朔に、高校までのサッカー人生とその後の歩みを聞くと、こう回顧してくれた。

「正直、高校時代に今の状況は考えられませんでした。僕の所属していた学習院高校サッカー部は、全国大会なんて本当に程遠くて、実質東京都5部のリーグ(当時は地区トップリーグ、現在は東京都5部)。小学校からサッカーを始めたのですが、その時は地元の小学校で地元のクラブチームでプレーして、そこから慶應中学に進んでサッカーを続けようと思っていたんです。でも、入試で落ちてしまって、合格した学習院中に進みました」

 慶應でそのまま中・高校と進めば、サッカーと勉強のどちらも高いレベルで文武両道をしながら大学というルートも見えた。彼はそこで挫折を経験したが、心は折れていなかった。

「どこかでもう一度慶應にチャレンジすることは決めていたので、中学、高校と自分のスピードやキックなどを磨くことを意識してやりました」

 転機は高校1年時。その1年前に学習院高から慶應義塾大に進んだFW古川紘平が関東大学サッカーリーグ1部で活躍をしているという話を耳にした。すぐに調べ、一気に憧れと「ここで頑張っていれば、1部でもプレーできるんだ」という大きな希望が生まれた。そして、大学での再チャレンジを期して、慶應義塾大の理工学部機械工学科に合格。ソッカー部に入部した。

 当時の慶應は関東3部ながら、周りのレベルの高さに衝撃を受けた。所属チームは一番下のCだったが上だけを見つめていた彼は、これまで磨いてきたスピードとキックを武器に必死に食らいついていった。

 3部で優勝争いを演じていたチームは入れ替え戦に進出し、朔はそこで念願のトップデビューを果たす。2部に昇格をした昨年は中町公祐監督が就任し、「自分の持ち味でいかに中町監督の要望に応えられるか、自分の役割とはなんなのかと考えた時に、中町監督のサッカーにおいてサイドでどんどん縦に仕掛けたり、裏抜けしたりすることが大事だと思った」と強く意識し、プレーに反映させた。

 その結果、前述したとおりアミノバイタルカップを境に状況が一変。総理大臣杯で人生初の全国大会を経験し、リーグでもスタメンで出場する機会が増え、チームも1部昇格を手にした。

実験のテストで試合欠場「延長戦に入った時はもうソワソワして…」

 念願の関東1部となった今年、角田や田中雄大という視野が広く、パスセンスがあるMFと、身体能力の高いFW立石宗悟らとの連携の質が冴え、朔自身もさらなる成長を遂げている。

「いいパサー、ターゲットとなる選手がいるので、僕は役割を認識しながらも、自由に動くことができる。正確なパスが来るからこそ、もっと決め切れる力を磨きたいです」

 今も文武両道は続く。ロボット工学を学んでいるため実験が多く、練習にスタートから参加できなかったり、出られないこともある。実際、立教大学との順位決定戦1日目は実験のテストのため出場できなかった。

「ずっと速報を見ていました。16時半からのテストで、順調に行けば16時に試合が終わるはずだったのですが、終盤で追いつかれた時はショックでしたし、延長戦に入った時はもうソワソワして、『このままPK戦か』と思ったテスト開始時間直前に角田さんがゴールを決めてくれて。勝利の一報を得てからテストだったので集中できました」

 2年連続で今大会を飛躍の舞台にした朔。さらなる活躍が期待されるなか、1つだけ他の選手たちを見て憧れたことがあると口にした。

「こういう一堂に会する機会って、みんな中学時代や高校時代のチームメイト、先輩・後輩、選抜などで一緒だった選手たちが握手したり、談笑したりするじゃないですか。僕はまだ1回もないです。そもそも関東リーグに知り合いがいないんです。憧れますね、本当に(笑)」

 だが、それも時間の問題だ。今や彼は、関東大学サッカーの中で要注意のサイドアタッカーとして、誰もが認める存在になろうとしているのだから。

(安藤隆人 / Takahito Ando)

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安藤隆人

あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。

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