転機は結婚と引っ越し、「なんで女性が」の声も…切り拓いた教員と女子審判員の“二刀流”人生

教員と審判員の“二刀流”でキャリアを築いた元女子1級審判員の井脇真理子さん【写真:轡田哲朗】
教員と審判員の“二刀流”でキャリアを築いた元女子1級審判員の井脇真理子さん【写真:轡田哲朗】

Lリーグでは主審も担当した井脇真理子さん…教員と二刀流の原点

 日本女子サッカーは現在、国内ではプロリーグとしてのWEリーグが発足し、なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)の過半数が海外でプレーする選手で構成されるなど強化が進んでいる。女子サッカー界が着実に発展するなか、注目度がまだ低い時代から歴史を紡いできた人たちがいる。2023年限りで女子1級審判員を勇退した井脇真理子さんもその1人だ。教員との“二刀流”でキャリアを築いた元女子審判員が女子サッカー黎明期を振り返る。(取材・文=轡田哲朗/全3回の1回目)

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 茨城県で教員を務めながら審判員としてのキャリアを積んだ井脇さんだが、教員を目指したキッカケは「大学卒業後も大好きなサッカーに関わっていたいという思いが強かった」こと。「本当は選手で食べていきたいと思ったけれど実力的にちょっと難しいなと悟り、それなら教員になって部活の顧問として自分のチームを持ちたいなと思いました」と振り返る。

 しかし、最初に赴任した中学校にはサッカー部がなく、任されたのはバレーボール部の顧問。そこで、部活のない休日に地元の女子サッカーチームでプレーしながら、サッカー部の顧問になる準備をすることに。顧問の仕事には公式戦や練習試合の運営などもあり、審判の資格も必要になる。大学時代に4級審判員の資格を取っていた井脇さんは、茨城県協会審判部の事務局だった自チームの監督からの勧めもあり、昇級試験を受けることにした。

「何か資格があれば顧問になりやすいかもしれない。また、これから女子審判員を増やしていこう、というミッションが日本協会から出た時期でもあり、関東協会も力を入れ始めていました。その頃、茨城は他県に比べて女子審判員が少なく、すぐに3級が受けられるということだったので」

 勧められるまま3級の資格を取り、出席した関東協会の女子審判員研修会で仲間の存在を知った。「本当にコアな仲間たちが各県にいると知り、みんなが頑張っているなら私も審判をできる範囲でやろうかなと。県リーグの試合を選手としてやって、それ以外の時に審判を少しやるっていう期間があって、それから男子中学生の試合を担当させてもらいました」というスタートだった。

 その後の赴任校でもサッカー部顧問になれずにいたが、サッカーをプレーし続けながら2級審判員の資格を取得。茨城県協会や関東協会で研修や指導を受け、1999年には女子1級審判員となった。

研修会で言われた「女子の試合は女子で運営」

 仕事での転機は、結婚後に県内でも違う地域に引っ越した時に訪れた。新たな勤務校で「サッカー部の顧問が異動してしまうから『やってやって』という感じで、すんなり男子サッカー部の正顧問として受け入れてもらえました。資格があるって強いんだなと初めて思いました」と笑う。指導者として日々チームや選手と向き合いながら、審判に関する研修への参加も増え、サッカーに費やす時間が増えた。また、当時「Lリーグ」という名称(Lリーグ→なでしこリーグ→WEリーグ)だった女子トップリーグに主審として関わるようになっていった。

 その時期は「主審が男性で、副審と第四審判員が女性という時もありました」という女性審判員の状況が、少しずつ変わっていったタイミングだった。

「2級の頃、女子の試合は女子で運営するのが第一歩だと、関東協会の研修で言われていました。主審も含めた4人全員が女性というのが当たり前になるのが夢だよ、と。その当時、自分たちはそこに男性がいることはあまり気にしていなかったんです。監督、コーチは男性も多かったですし、私たちの頃はジュニアの女子がサッカーをするには男子チームに入るしかなかったので、珍しいかもしれないけどあることでした。ですから、男女を区別する気持ちは特にはなかったんですけど、そういうふうに指導者のほうが言うっていうことは大事なことなのかなと思ったのが、正直なところだったかもしれないですね」

 一方で、女性審判員として経験を積む過程では、その良さが生かせたのではないかと感じたこともあったという。

「女子の試合や大会は多くないから、経験を積むために男子の試合も多く担当させてもらいました。地域の中高校生の試合を担当すると、最初から『なんで女性が』と言う保護者の方もいましたけど、むしろチームには受け入れてもらえることが多かったのではないかと思います。仕事柄かもしれないですが、私は審判をする時、ルールや判定基準を伝えることで、お互いにいいサッカーをしてほしいという思いがある。そういう考えは女性のほうがあるのかもしれないですね。威圧的にならず『このほうがいいよね』とか、『これは止めとこうよ』というメッセージを持って選手に向かうほうが多いような気がします。時代的に『言うことを聞け』みたいな雰囲気の男性審判員もいたのかもしれませんが、そうではなく、一緒にいい試合にしていきたいという雰囲気が受け入れられている気がしていました」

 精神的な部分での充実感はあったとはいえ、教員をしながらの「二刀流」だった井脇さん。月曜日から金曜日は当然、教壇に立っている。「その頃は、土曜日には自分のチームの大会や練習試合があって、日曜に審判を担当する試合で前日移動が必要な会場であれば、夕方から移動して夜に到着。日曜に試合で笛を吹いて夜に帰ってくるというようなパターン」という週末を過ごした。朝を迎えると「当時は部活の朝練もしていました」という翌週が始まる。寝る間もないほど多忙な日々だった。

 当時を「本当に自分の好きなことだけしていた」と振り返る井脇さんだが、「結婚して家庭もあるのに申し訳なかったなという思いは、夫にも、夫の両親にも、自分の両親にもあります。『ごめんなさい、好きなことばっかりやっていて』っていう思いはありますが、それでも応援してもらえていたので、幸せだなと思います」と感謝の言葉を口にした。

(轡田哲朗 / Tetsuro Kutsuwada)



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