歌手の元Jリーガーが衝撃を受けた2人 長友佑都との約束告白「そんなやついないから」

「SHOW-WA」の青山隼氏が衝撃を受けた選手や長友とのやり取り告白
歌手グループ「SHOW-WA」の青山隼氏は、将来を嘱望されたサッカー選手だった。中学生年代を元日本代表MF香川真司も育ったFCみやぎバルセロナで育ち、高校年代は名古屋グランパスのユースチームに在籍。U-20日本代表としてもFIFA U-20ワールドカップに出場した。それだけに27歳の若さで現役を退いた時には、惜しむ声が多かった。プロとして公式戦通算155試合に出場した青山氏に、現役時代に対戦して特に印象に残っている選手を聞いた。(取材・文=河合拓/全5回の5回目)
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中盤でプレーしていた青山氏は、「やっぱり憲剛さんとヤットさんですかね。『こういう人がフル代表に行くんだな』という感覚でした。グランパスでは本田圭佑くんとかとも一緒にやっていましたが」と、日本代表としても活躍し、国内でキャリアを過ごした元日本代表MF中村憲剛と元日本代表MF遠藤保仁という2人の名手の名前を挙げた。
「僕自身、フル代表に行ける可能性はあったと思います。でも、自滅してしまいましたね。26歳、27歳の時に徳島ヴォルティスがJ1に上がった時に対戦したのですが、成長度合いとか、感覚が全然違うなと思ったんです。成長できないまま、僕は26歳、27歳になってしまったなって思ってしまったんです」
遠藤氏と中村憲剛氏は、ともに1980年生まれだ。遠藤氏が早生まれのため、学年は一つ違っている。遠藤氏はU-20年代から初めてアンダーカテゴリーの日本代表に選ばれたが、中村氏はフル代表に選ばれるまで、日本代表とは縁がなかった。17歳以下の日本代表から選ばれていた青山氏の方が、早いうちから注目されていた。しかし、青山氏が早熟だったのに対し、2人は晩成型だったのかもしれない。Jリーグで出場を重ね続けた2人は、フル代表の主力になったが、なかなか所属クラブでも主力に定着できなかった青山氏は、日本代表とは縁がなくなってしまう。
「僕は試合に出られなかった時に『なんで監督は使ってくれないんだ』とか、他責にしてしまっていました。その時にちゃんとしたメンタルを持って、自分と向き合えていたら、取り組み方も変わっていたと思うんですよね。そこがすごく自分が伸び切れなかった要因なのかなと思います。名古屋の時は、そんなことも考えていませんでした。調子が良い時の自分は、無双していたとまでは言いませんが、すごく見えていたし、すごく冷静だった。『これが常に波なく出せるならフル代表も行けるな』という感覚だったので。自分のちょっとしたメンタルだったり、他責にしたりするところからブレてしまったと思います」
「このプロジェクトはやったことがない人が、どこまでできるかっていう挑戦」
26歳になった青山氏は、ピッチ上で同じポジションの2人と対戦したことで、自分と大きな差、すでに埋めきれないほど大きな差ができてしまったことを痛感した。日本人サッカー選手として、トップに行けないと身をもって理解したことも早期の引退につながったのだろう。
「それにプロになった時から、家族や親戚からも『サッカーだけじゃない』という教えを受けていたというか、『サッカー選手が終わった後のほうが人生は長い。サッカー選手は時間もあるんだから、いろんなことに興味を持ち、いろんな人と話なさい』と言われていたので、スパッと辞めることができたのかもしれません。ここで(サッカー選手としてのキャリアを)切って、次の人生に行こうと動けたのは、そういう環境のおかげだったのかもしれません」
サッカー選手として限界を感じ取り、キャリアにピリオドを打った青山氏は、今は歌手として、限界なき挑戦に再び身を投じている。元Jリーガーで初めて「FNS歌謡祭」出演者にもなっている青山氏は「絶対、紅白に出たいですよね。あとは武道館でライブをすることです」と、目を輝かせた。
「やっぱり、このプロジェクトは、やったことがない人が、どこまでできるかっていう挑戦なんです。僕は35歳でこのグループに入っている。言ってみたら『転職』であり、新しいことをやっているんです。今、僕と同じ35歳くらいの年齢の人には『仕事を辞めたい』『転職したい』と迷っている人や実際に動いた人もいるでしょう。いろんな人が世の中にはいると思うんです。そういう人たちに僕らの姿勢や取り組み方を見て『もうちょっとここで頑張ってみよう』でも『新しい挑戦をしてみよう』でも、何かしら僕らが頑張っていることをきっかけに、日々の皆さんの生活にポジティブな影響を与えたいと思っていますし、それがこのグループにとって一番大切な役目だと思っているんです」
「人はそれぞれですから申し訳ないですけど、逃げる人もいれば、他責にする人もいる。でも、『いや、違う』と踏みとどまって這い上がる人もいるでしょう。転職して、それが天職で上がっていく人もいるでしょう。ただ、踏み込む勇気、踏み込んだからには自分で責任をとってやりきる。僕もなかなかできないので大変ですが、僕がやっている姿勢を見て、一人でも刺激を受けてくれたらいいなと思うんです」

一番の大事な「人に何か伝えること」
実際に、「SHOW-WA」の活動を始めた後、あるファンが「国家試験を受けている最中なんですが不安です」と声をかけてくれたという。メンバーは「大丈夫だよ、自分を信じて頑張って」と声をかけると、しばらくしてそのファンは「受かりました!」と報告してハイタッチをしに来てくれたという。
「そういうのが僕らのこのプロジェクトの一番の大きな意味だと思うんです。ビジュアルやパフォーマンスがかっこいいというのも、超大事だと思います。でも、それ以上にやっぱり人に何を伝えるかは、このグループの一番の大事なことですよ。そうじゃないのであれば、最初から歌って踊れる人をそろえればいいんで。なぜ僕とかが入れたのか。多分、そこが一番根底にあるから、パフォーマンス力を高めること、そしてこういうことを伝えていくことが、このグループにおける僕らの役割だと思っているんです。その通過点で武道館とかがあって、どんどん大きくなっていき、僕らの発信をより何万人の人が受け取ってくれるようになってくれて、『一歩踏み出そう』とか、『頑張ろう』とおもってくれたらいいと思っています」
4月2日には「SHOW-WA」のセカンドシングルとなる「外せないピンキーリング」が発売される。今後も多くの曲を世に発表していき、いつかは紅白の舞台にたどりつけるかもしれない。
「カタールW杯の後、紅白歌合戦で長友(佑都)くんが森保監督と審査員をやっていたのを見たんです。それで長友くんにお会いできた際に『紅白に出ることを目標にしています』と伝えました。そうしたら『ステージ立つこと?』って聞き返されて『はい、そこを目指しています!』と答えたら『めっちゃ面白い人生じゃん。絶対にいけよ、おまえ! そんなやついないから』と言われました。それは絶対に叶えたいですし、できるって証明したいですね」
人生は一度きり。でも、その人生のなかで、再挑戦することはできる。異色のセカンドキャリアを歩む青山氏は、自らの身をもってそれを証明していく。
(河合 拓 / Taku Kawai)





















