ベンチ外で「どうして…」 歌手転身のJリーガー、元日本代表からの一言で「ハッとした」

「SHOW-WA」の青山隼氏が現役時代に影響を受けた人物とは【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
「SHOW-WA」の青山隼氏が現役時代に影響を受けた人物とは【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

「SHOW-WA」の青山隼氏が影響を受けた人物を明かした

 サッカー選手は、子供たちにとって憧れの職業だ。そんなサッカー選手を27歳の若さで辞めた青山隼氏は、昨年から大手芸能事務所「avex」に所属する「SHOW-WA」の一員として歌手になった。サッカー選手を辞めたあと、アルバイトもしながら芸能活動を続けてきたが、「SHOW-WA」の一員になるという大きなチャンスをつかむことにもつながる大きな影響を与えてくれた元日本代表選手がいる。(取材・文=河合拓/全5回の2回目)

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「何が大事なのかを教えてくれたのは、ツボさんですね。レッズでの彼の取り組む姿勢、思いには、衝撃を受けました」と、現役時代に浦和レッズや湘南ベルマーレで活躍し、現在も解説者や指導者としてサッカー界で活動している元日本代表DF坪井慶介氏の名前を挙げた。

 浦和時代に坪井氏とチームメイトだった青山氏だが、自身は試合の登録メンバー外になることが少なくなかった。「どうして監督は使ってくれないんだ」と不貞腐れながら、同じくメンバー外になった3、4人の選手たちと、ある意味では屈辱的ともいえる練習をしていた。ある時、坪井氏もメンバー外になり、青山氏たちと一緒にメンバー外の練習を行うことになった。その時、坪井氏がまるで公式戦に臨むのと同じような姿勢で、その練習に取り組んでいたことに青山氏はショックを受けたという。

「ツボさんはメンバー外になっても、若手の僕ら3、4人とのメンバー外での練習でも120%で、ベストを尽くしてやっていたんです。それである時『ワールドカップ(W杯)にも出た人が、なんでこの状況でそこまでできるんですか?』って聞きました。そうしたら『だって、ここで100%の取り組みみができなかったら、試合でできるわけがない。今はこの環境かもしれないけど、ここでもできることはあるんじゃないの?』と。そう言われてハッとしました。それからは『今自分ができることは何だろう』『今日できる100%って何だろう』と考えて行動するようになりましたね。その言葉は今でも支えになっていますし、どんな状況でも見ている人は見ているというのが、今も自分の指針になっています」

坪井慶介からの言葉が今も指針になっているという【写真:Getty Images】
坪井慶介からの言葉が今も指針になっているという【写真:Getty Images】

大型オーディションに参加

 今、青山氏が「SHOW-WA」に所属できているのも、そんな坪井氏の教えがあったからだという。2023年の春先、青山氏はマネージャーからオーディションに参加するように告げられる。「avex」「JME(ジャパン・ミュージックエンターテインメント)」「Y&N Brothers」の3社が開催する「夢をあきらめるな! 男性グループオーディション」で、28歳で芸能界の門を叩いていた青山氏は「25歳以上」という異色の応募条件をしっかりと満たしていた。

「オーディションの1週間くらい前に、当時のマネージャーさんから『こういうのあるんだけど、どう?』って声を掛けられたんです。『いや、歌とダンスですよ? やったことないんですけど……』と答えたら、『分かっています。ただ、やったことのない人とかを集めるプロジェクトらしいんです』と言われて、そんなオーディションあるの?と驚きましたが、『受けるだけ受けてみます』と、オーディションを受けました。それがきっかけになりましたね」

 AKB48をはじめとする48グループもプロデュースしてきた秋元康氏がプロデュースするグループになるということもあって、オーディションには3000人を超える応募があった。書類選考を通過した青山氏は、1次オーディションに臨む。何をやるんだろうと思いながら臨んだオーディションで、いきなり「自分の好きな曲を、アカペラで歌ってください」と言われた。

 俳優として活動していた青山氏。歌の経験は「選手同士で飲んだ時にカラオケに行ったくらい」。ダンスに至っては、保健体育で必修化される前に中学校を卒業していたため、経験は皆無だったという。それでも「サッカーをやってたんだからできるでしょ」と、審査員にはハードルを上げられてしまった。

 内心では「リズムを取るのと、サッカーで逆を取るのは全く違うよ!」と思いながらも、「できますよ!」と答えた青山氏は、とにかく課題曲となった修二と彰の『青春アミーゴ』を懸命に踊ったという。できないながらも懸命に踊る姿が審査員にウケて、「意外とできないんですね」と笑いをとれたという。「やったことないんで、できないですよ」と開き直ったが、新しいことにチャレンジする姿はただ笑いの対象となっただけではなく、この「夢を諦めない」というテーマのあるオーディションにもマッチした。

オーディションでも坪井氏の影響も

 その後も、「今日できることを全力で」の精神で臨んだ青山氏は、2次、3次とオーディションを次々と突破していく。最初は3000人からスタートしたオーディションだったが、どんどん絞られていき、最後は10人ほどになったという。

「それでも何人グループになるのか、最少2人になるという可能性もあったので最後まで必死でした。毎回『今日のオーディションも自分の全力を出そう』という意識でやっていましたが、良かったのか、本当に拾っていただいて感謝です」

「その時もそうですし、今もそうなのですが、自分ができているふうにやったり、歌えてるふうにやったりしても、見る人が見たらバレるじゃないですか。それが一番ダサいかなと。だったら、できなくても、できるようになるために一生懸命やっている方が、人の心を動かせるのかなと思っているので」

 ちなみにアカペラのテストでは、「これもツボさんの影響で好きになったのですが、長渕剛さんが好きなので『西新宿の親父の唄』を歌いました。まさに『やるなら今しかねー』の精神で、アカペラで歌いきりました」と、ここにも坪井氏の影響があったという。「本当に坪井さまさまですよ」と白い歯を見せた青山氏は、この先の人生も先輩からの教えを胸に歌手の活動を続けていく。

<<第3回に続く>>

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