J下部組織→ドイツで実感した「日本の方がすごい」 欧州が認めた21歳…GK大国で「正直通用する」

ブレーメンに所属する長田澪【写真:IMAGO / Nordphoto】
ブレーメンに所属する長田澪【写真:IMAGO / Nordphoto】

ドイツで実感「最初の数週間で自信を持てた」

 ドイツ1部ブレーメンに所属するGK長田澪(ミオ・バックハウス)が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。川崎の下部組織からドイツへ渡った21歳。U-20ドイツ代表にも招集された超有望株は、どのように“GK大国”で認められるまでになったのか。(取材・文=林 遼平/全3回の1回目)

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

   ◇   ◇   ◇   

 ドイツの地で研鑽を積む若きGKをご存知だろうか。

 ドイツ人の父と日本人の母に育てられたミオ・バックハウスこと長田澪は、2018年に在籍していた川崎フロンターレの下部組織を離れてドイツへと渡った。理由は単純明快。小さい頃から夏休みなどによく訪れていたドイツには素敵な思い出が多く、兼ねてより「住みたい」という願望があったから。「いつかドイツでサッカーをしたい」という思いはあったが、ドイツに住むことが最初のスタンスだった。

 もちろん、ドイツに移住してからサッカーへの思いも膨らんでいった。初めは祖父母とアーヘンに住みながら現在のブレーメンとは違うチームに在籍することになったが、最初は「本当に通用するのか」といった不安もあったという。それでも、フロンターレの下部組織でトレーニングに励んでいた成果か、思いの外、通用する自分がいた。

「正直、通用したんです。それが一番不安なところでしたけど、最初の数週間で自信を持つことができました。その時に、日本の下部組織はすごいなと思いました。例えば、自分たちで行動する、チームのルールを守るなど、すごく規律がしっかりしていた。走る、止める、蹴るといった技術面ももちろんですけど、規律など、そういうところはもしかしたら日本のほうがすごいんじゃないかという感覚を持っています」

 その後、ブレーメンの下部組織に入ることになるが、周りの上手さこそ感じながらも「日本のジュニアユースでやっていたサッカーは全然こっちでも通用する」と手応えを掴むことになる。

 一方で、日本と大きな違いを感じるところがあった。それが結果に対する貪欲さだ。

「勝負に対して結果を求める割合が大きかった。負けて学ぶことは多いけど、やはり勝った方が学ぶことは多いでしょという感じがありました。毎週、毎週、勝ちに行くぞみたいな。 もちろんフロンターレもありましたけど、勝ちに対する貪欲さは違うなと思いましたね」

 テクニックゲームや紅白戦など、トレーニング一つを取っても勝利にこだわる。そういった姿勢を見て、「ウィナーメンタリティというか、そういうのを学んでいかないといけないと思いましたし、そういうものを持っている人がプロになるんだなと感じました」。

 プロになってからはその貪欲さをより実感している。「本当に練習でも負けるとキレる人がいて(笑)。そういうところから戦いは始まっているんだなと思います。勝ちに貪欲な人たちが集まっていると感じますし、それがプロなんだなと。負けず嫌いの集団ですよね」と笑う姿には、そういった世界で生き残ってきたたくましさを感じさせた。

GK大国で受けた印象的だったトレーニング法とは?【写真:IMAGO / Nordphoto】
GK大国で受けた印象的だったトレーニング法とは?【写真:IMAGO / Nordphoto】

“GK大国”で受けたマンツーマン指導

 ここで気になったのは、GK大国の一つとも言えるドイツでどんなトレーニングを受けてきたのかということ。長田は日本にいた時とドイツに来てからを振り返りながら、自身が感じた違いを言語化した。

「今は大きいGKも増えていますけど、日本はステップを踏もう、もっと前に出てゴールを小さくしようなど、 基本的に背があまり大きくなくても戦えるやり方を教えている気がしました。だけど、ドイツに来てからは、お前は身長がでかいからもっとうしろで守れと言われることが増えて、そういう根本的な考えの違いがあった気がします。自分の身長に合った守り方というか、同じ年代で身長があまり大きくない子がいて、その子には違う教え方をしていたり、そういうのがすごく具体的で身になる感じがありました」

 この違いを生んでいるのは、コーチとの関係性によるものが大きい。例えば、日本は1人のGKコーチで複数人の選手を指導しなければいけなかったりする状況も多いが、ブレーメンのユースチームではほぼマンツーマンのような形で指導を受けることに。そのため一人ひとりにあった指導を受けることができたと長田は説明する。

「マンツーマンで何かあればすぐに聞ける状況が出来上がっていました。本当にGKコーチに対してすごく信頼を持っていて、毎回話し合って、練習でやることはもう100%自分のためになると思ってやることができた。それこそ、『これちょっと意味あるのかな』みたいな練習をすると、やはり自分のためにならない。本当に『この練習はこういう理由でやっているんだな』と、毎回、練習の意味が分かっていたから毎日100%うまくなるためにできたのかなと思います」

 また、祖父母の住むアーヘンを出てブレーメンで生活していた長田にとって良かったのは、多くの時間を過ごすコーチが家族のような存在になってくれたこと。日本ならば「もしかしたら贔屓みたいになってしまうかも」と笑うなか、GKコーチとの出会いに感謝の思いを明かした。

「それこそユースの時のGKコーチは、いつも僕のことを気にしてくれて、時にはご飯に連れてってくれたり、オフのときには自分の家に呼んでくれたりと、すごく助かりました。今もよく会いますし、ピッチ外ではもう友達といったらあれですけど、本当にもう身内みたいな関係です」

 日本からドイツへと移り住み、いろいろな人と出会いながら、今までとは異なる世界で一つずつ成長を遂げてきた長田。そこからプロへの階段を登ってきたところまでは、順調に進んできたと言っていいだろう。だが、プロの世界ではこれまでとは違う新たな壁が待ち受けていた。(第2回へ続く)

(林 遼平 / Ryohei Hayashi)



page 1/1

林 遼平

はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング