味方から握手拒否、代理人と大喧嘩 募る妻への申し訳なさ…夢の海外挑戦は「どうでもよくなった」【インタビュー】
ロンドンを訪れた妻は温かく挑戦へ背中を押してくれた
いまや200人を超える日本人選手がプレーしている欧州に、15年前、果敢に挑んだ1人の男がいる。ジュビロ磐田、ベガルタ仙台でプレーした太田吉彰氏。2009年7月に磐田を退団し、海外でのプレーを夢見て単身、海を渡った。激動の5か月間で受けられた入団テストは3クラブだけ。ロンドンで久々に再会した妻に背中を押されて向かった“ラストチャンス”は、ベルギーのクラブだった。(取材・文=福谷佑介)
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シェンゲン協定による90日間のシェンゲン圏内滞在期限が迫る中で太田氏は再びイギリスへと入った。2度目のイギリス滞在は、1度目と同じくプリマス・アーガイルで練習をさせてもらい、一時は渡欧の2週間前に結婚したばかりの妻とも2週間ほど一緒に暮らした。ロンドンでは、チェルシーの本拠地スタンフォード・ブリッジのスタジアムツアーに参加したり、試合を観戦したりもした。
「すごくストレスを溜めていて、正直、いろいろなところにそれをぶつけちゃっていたんです。自分の実力のなさがもちろん悪いんですけど『結局(移籍先が)見つからないじゃないですか!』って。すごく揉めてしまったりもして……。代理人さんからも『1回リラックスしたほうがいい』って言ってもらったので、妻に来てもらいましたね」
約4か月ぶりに会う妻は温かった。自信に満ち、意気揚々とヨーロッパに渡った夫だったが、4か月以上経っても移籍先は決まらず。出費はかさみ、意気消沈していた。多少の愚痴はあったが、帰国を勧められるようなことはなく、期限いっぱいの挑戦に背中を押してくれた。「本当に申し訳ないなと思いましたし、よく文句も言わなかったなって思います」。束の間の夫婦の時間。改めてモチベーションを高める中で、3度目の入団テストのオファーが届いた。
行き先はベルギー。首都ブリュッセルにほど近い街にある同国1部KVメヘレンへの入団テストだった。奇しくも、妻の帰国日が迫っていたタイミング。「俺、頑張ってくるから」「合格して呼ぶから」。太田氏はこう誓って、ロンドンで妻と別れ、1人、ユーロスターに乗り込んで陸路でベルギーへと向かった。シェンゲン圏内に滞在できるのはあと2週間ほど。海外クラブに移籍できる“ラストチャンス”だと覚悟していた。
初めて降り立ったベルギーの地、初日はまさかの“市中観光”
初めて降り立ったベルギーの地。ブリュッセルの駅には現地の代理人が迎えに来ている、と伝え聞いていた。だが、探しても探しても見つからない。「本当に『詐欺じゃねえか』と思ったくらいですけど、『Yoshiaki Ohta』って小さいダンボールを持っている人がいました」。この人物は代理人ではなく、代理人の知人だったよう。車に乗せられると、代理人の自宅に連れて行かれ、食事を振る舞われた。いきなり練習参加だと覚悟を決め、気合十分に翌朝、代理人と合流すると、連れて行かれたのは、まさかの“ベルギー観光”だった。
言葉はほとんど通じなかったが、現地の代理人は親切だった。スタジアムやブリュッセル駅、ベルギーの観光地を車で回り、一生懸命、その場所のことを説明してくれた。お互いが話していることは理解できていなかったが、2人で肩を並べて写真も撮った。「観光するなんてなかったんで、すごく有難い経験になりましたね」。張り詰めていた緊張感が少し和らいだ1日を経て、翌日いよいよKVメヘレンの入団テストがスタートした。
「これまた初日はめちゃくちゃ良かったんです。2日目以降、少しずつ落ちましたけど、それでもなんとかいいプレーはできていました。正直、自信もありましたし、練習中の評価はそんなに悪くなかったと思っていました」。これまでにない手応えを感じていた。迎えた最終日に行われたトレーニングマッチ。期待の大きさか、太田氏はクラブから背番号「10」のユニホームを手渡された。
前半、決定機こそさほど作れなかったが、ドリブルで突破してクロスを上げるなど「なんとか無難にできた感じだった」という。だが、後半、太田氏の下半身を異変が襲う。「足がパンパンになって動けなくなっちゃって……。つり始めてしまって、そこから全然動けなくなってしまったんです」。対外試合は実に5か月ぶりだった。万全ではないコンディションでの試合で早々に限界がきてしまった。チームも先制を許して劣勢に。90分、ピッチに立ち続けたものの、試合には敗れ、アピールもできなかった。
ショッキングな出来事は試合後に起きた。その日まで言葉が通じないながらもコミュニケーションをとってくれていたチームメイトたちに、試合後の握手を拒否された。トレーニングマッチとはいえ、90分走り切れるコンディションになく、チームの足を引っ張ることになってしまった。不満に思われ、冷たい態度をとられても致し方なかった。
練習場からの帰り道、車中で現地の代理人から不合格を伝えられた。シェンゲン域内に滞在できる期間はあと1日。海外挑戦の旅が実質、終わりを迎えたことを意味していた。現地の代理人からはヨーロッパに留まるよう説得された。「フランス2部のクラブとか、どこか探してくるからって言ってくれて。日本の代理人と帰る、帰らないで大喧嘩しましたね。今思えば、代理人が言っていることが間違いなく正しいんですけど、どうでもよくなっちゃっていて……」。移籍が叶わなかった無念と自分の不甲斐なさ……。渦巻くさまざまな感情に支配され、冷静さを失って自暴自棄になっていた。ただ、ルール上、シェンゲン域内に留まることは絶対にできない。やるせない感情を抱えながらベルギーを離れ、三度目のイギリスへ。海外挑戦の夢を諦め、失意の中で帰国を決意する。(次回へ続く)
[プロフィール]
太田吉彰(おおた・よしあき)/1983年6月11日生まれ、静岡県出身。ジュビロ磐田ユース―磐田―仙台―磐田。J1通算310試合36得点、J2通算39試合4得点。トップ下やFW、サイドハーフなど攻撃的なポジションをマルチにこなす鉄人として活躍した。2007年にはイビチャ・オシム監督が指揮する日本代表にも選出。2019年限りで現役を引退し、現在はサッカー指導者として子どもたちに自身の経験を伝える活動をしている。
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