最終予選中に監督と衝突“3か月ベンチ外” 代表と両立で苦悩…事件から12年で還元する時【コラム】
長谷部誠氏が日本代表のコーチに就任…サプライズ人事は森保監督が「お願い」
「今回のメンバーリストを見て分かるように、日本代表に新たなコーチを迎えます。長谷部誠コーチです。IW(インターナショナルウイーク)の期間の参加をお願いしています」
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8月29日に行われた2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選・初陣2連戦に向けた日本代表メンバー発表会見。日本サッカー協会(JFA)の山本昌邦ナショナルチームダイレクター(ND)は開口一番、サプライズ人事を明らかにした。
2010年南アフリカ・2014年ブラジル・2018年ロシアとW杯3大会で代表キャプテンを務め、昨季限りで現役引退し、フランクフルトU-21でコーチを始めたばかりの新米指導者を、いきなり日本代表スタッフ入りさせるというのは、異例中の異例。報道陣の質問が彼に関することに集中したのを見ても、どれだけインパクトの大きい出来事だったか分かるだろう。
「長谷部コーチの就任に関しては、私が協会にお願いしました。もちろんコーチ陣、スタッフにも話して、これから我々がアジアでより確実に勝っていく、そして世界一を目指して戦っていく中で、長谷部コーチが持っている欧州での経験がさらなる前進のために必要だということで決めました」
森保一監督は抜擢の意図を説明したが、確かに長谷部コーチの経験値はこれまでのスタッフ陣の領域をはるかに超えている。欧州5大リーグであるドイツ・ブンデスリーガ1部で17シーズンを戦い、ブンデス王者、DFBポカール王者、UEFAヨーロッパリーグ王者にも輝いた日本人選手というのは彼だけだ。日本代表としても数々の修羅場をくぐり抜け、チームを力強く統率してきたのだから、苦境に陥った時に的確な対処ができるはず。そこは森保監督にとっても非常に心強い点だろう。
実際、日本代表は最終予選序盤で苦しむことが少なくなかった。過去を振り返っても、まずジーコジャパン時代の2005年2月のドイツW杯最終予選初戦・北朝鮮戦(埼玉)で、ギリギリのところまで追い詰められている。1-1のまま後半アディショナルタイムに突入。大黒将志(FCティアモ枚方コーチ)の決勝弾が生まれ、辛うじて勝ち切れたものの、本当に薄氷の勝利だった。
バヒド・ハリルホジッチ監督時代の2016年9月のW杯最終予選・UAE戦(埼玉)に至っては、1-2でまさかの逆転負け。そして前回W杯予選初戦だった2021年8月のオマーン戦(吹田)も終盤の一撃に屈し、0-1で敗れている。
欧州組メンバーが年々、増加する中、9月シリーズはシーズン序盤でコンディションが上がり切っておらず、メンタル的なバラつきも生じやすい。移籍直後の選手は自身の立場を確立することで精一杯で、頭を代表に切り替えるのがスムーズにいかないケースも少なくない。
こうした難しさを、長谷部コーチは3度のW杯最終予選を誰よりも熟知している。自身もブラジルW杯最終予選序盤だった2012年夏から秋にかけて、当時所属していたヴォルフスブルクで移籍問題に直面。フェリックス・マガト監督と衝突し、3か月もベンチ外が続いたこともあった。今年5月の引退会見で「代表キャリアで一番苦しかったのはこの時」と本人も公言したが、クラブで試合に出られない中、代表キャプテンとしての重責を担うことの大変さを痛感しながら、パフォーマンスを落とさず戦い抜いたのだ。
現代表キャプテン遠藤航(リバプール)も、クラブの新指揮官であるアルネ・スロット監督の下ではレギュラーを外されており、試合感覚がやや不足する中で最終予選に挑まなければならない状況だ。そこで、どんな調整が必要なのか、メンタル的な切り替えをどうすべきかといったアドバイスを長谷部コーチから直々にもらえれば、より落ち着いた状態で代表活動に参戦できるだろう。代表チームが予期せぬ困難に直面しても、チームメイトに長友佑都(FC東京)、コーチに長谷部がいれば、何かと相談もできる。本当に心強い存在になりそうだ。
フェイエノールトで今季も定位置を確保できていない上田綺世らも、長谷部コーチが近くにいることで前向きなマインドになれるかもしれない。彼はこの最終予選ではエースFWとして最前線に君臨してもらわなければいけない選手。前田遼一コーチ含めて、背中を押してくれる存在が増えれば、より大胆なプレーを選択できそうだ。
選手起用で長谷部コーチの意見も
森保監督にしても、選手選考を進めていくうえで、長谷部コーチの“世界基準”を参考にできる。日頃からドイツ代表クラスと対峙してきた彼の目線はW杯優勝を目指す日本代表にとって大いに役立つはずだ。
例えば、今回の1トップ候補は上田、小川航基のオランダ組とJリーグ組の細谷真大(柏レイソル)という陣容だが、5大リーグのブンデス1部で活躍している町野修斗(キール)の方がよりインターナショナルレベルだという意見も出てくるかもしれない。イングランド2部に赴いた大橋祐紀(ブラックバーン)含め、誰が世界で勝つためのベストチョイスなのかを判断するに当たって、長谷部コーチの目線や指標が加わるのはプラスだ。固定概念に囚われることなく、より柔軟な編成ができれば、チームに化学変化が起きることも考えられる。そのあたりは大いに期待したいところだ。
「まだコーチとして始まったばかりなので、コーチ経験が足りないところはあるかもしれないですが、指導者として学ぶ前に選手目線でいろんなことを伝えられる。その大きな役割を持っているということでスタッフに加えさせていただきました」と森保監督は語っていたが、そういう役割を遂行しつつ、2年後の北中米W杯時点では有能な1人のコーチとして確固たるものを築いてほしいところ。代表活動への参加が先々の成功にもつながれば理想的だ。
フランクフルト側は近い将来、長谷部コーチのトップ指揮官抜擢も視野に入れているだろうが、JFAとしても日本代表監督の有力候補と位置づけているに違いない。だからこそ、今回の“青田買い”に踏み切ったのだ。長谷部監督が代表を率いるのは、早くて2030年W杯以降になりそうだが、フランス代表のディディエ・デシャン監督のような人材が日本にも出てきてほしい。そうなれるのは、やはり長谷部コーチをおいてほかにはいないだろう。
今回の代表コーチデビューで森保ジャパンがどう変化し、彼自身もどのような変貌を遂げていくのか……。そこに注目しつつ、最終予選の戦いを冷静に見極めていきたいものである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。