現役ブラジル代表が…日本人Jリーガーに虜 海外名将は「移籍しないか?」、熱視線送られた異才【コラム】

川崎で活躍した中村憲剛【写真:Getty Images】
川崎で活躍した中村憲剛【写真:Getty Images】

川崎のバンディエラ中村憲剛にまつわる現役時代のエピソード

 川崎フロンターレの歴史を語るうえで外せない存在といえば、やはり中村憲剛である。

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 クラブ一筋で現役生活18年を過ごしたバンディエラで、今年6月には、その功績を称え、自身がモチーフとなった銅像がメインスタンドの「Bゲート」に設置された。「Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsu」で行われた完成記念セレモニーに参加した中村は「まさか生きているうちに自分の銅像が建つとは思わなかった」と喜んでいる。

 現役時代の、少しだけ意外なエピソードを1つ紹介したい。それは、同業者である外国人プレイヤーたちからも多くの尊敬を集めていたというものだ。

 川崎一筋でプレーしていた彼は、日本代表経験こそあれ、海外クラブでのプレー経験はない。そのため、Jリーグで対戦した外国人選手が、中村のプレーに驚きを覚えることも多かったようで、試合後には向こうからユニフォーム交換をせがまれることも珍しくなかった。

 とりわけ熱烈だった人物として思い浮かぶのは、Jリーグ得点王にもなったピーター・ウタカ(現・ヴァンフォーレ甲府)だろうか。2015年、清水エスパルスとの試合後、ミックスゾーンで中村を見つけたウタカは、通訳を介しながら熱心に話しかけていた。中村のプレースタイルがお気に入りらしく、「君はJリーグで1番良い選手だ! (アンドレア・)ピルロのようだ!」と絶賛してきたそうである。

 ユニフォームの交換も求められていたが、試合後に当時清水に在籍していたチョン・テセと交換したため、持ち合わせがない。それでもどうしても欲しいと食い下がってきたウタカと約束し、クラブハウス宛にわざわざ郵送したのだという。すごい執念である。「外国人によく褒められるんだよね」と、中村もまんざらではない様子だった。その後も、試合で対戦する度にウタカは満面の笑みで駆け寄り、中村と熱いハグをしていた。

 2017年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)・広州恒大戦の試合後には、当時現役ブラジル代表だったパウリーニョからユニフォームを手渡されている。

 ミックスゾーンで中村を取材していると、パウリーニョが立ち止まり、自らの鞄からユニフォームを取り出し、なにやら声をかけてから本人に手渡ししていたのだ。中村は驚きつつも、現役セレソンとの試合後のやり取りをこちらに明かしてくれた。

「試合が終わった時に『ヘイ!』みたいな感じで、向こうが握手をしてくれたんです。『おっ!』と思って、(ユニフォームを)交換しようと言ったら、それを覚えてくれてたみたいです。最初は忘れたんだなと思ったら、(ミックスゾーンで)渡してくれた。後半に入る時も(※中村は後半からの出場だった)、むこうがコミュニケーションを取ってきてくれて、何かフレンドリーでしたね。なぜだかは、よく分からないですけどね(笑)」

 実は両者は過去にも対戦経験があった。2012年、ザックジャパン時代にポーランドで行われたブラジル代表との親善試合だ。中村が先発出場し、同じく先発だったパウリーニョと中盤でマッチアップを繰り広げていた。ACLでも2度の対戦があり、通算3回目のマッチアップだったのである。

川崎・中村憲剛と対戦した広州恒大・パウリーニョ【写真:Getty Images】
川崎・中村憲剛と対戦した広州恒大・パウリーニョ【写真:Getty Images】

選手だけではなく外国人監督からも好かれ…「ウチに移籍しないか?」

 超一流プレイヤー同士ともなれば、多くの言葉を交わさずとも、プレーや駆け引きを通じて相手の能力を見抜き、その実力を認めるものなのだろう。そうでなければ、わざわざミックスゾーンで律儀にユニフォームを手渡ししたりはしないはずだ。

 現役ブラジル代表選手がリスペクトを込めて、自らコミュニケーションを取ってくれたのは、然るべき理由があったということだ。この年の17年は北海道コンサドーレ札幌に加入したばかりのタイ代表チャナティップからもユニフォーム交換をせがまれており、試合後には2ショット画像を公開している。このように、対戦した外国人選手から尊敬を集める存在だった。

 ほかには、ヴィッセル神戸時代のアンドレス・イニエスタが、対戦したJリーガーで印象に残っている選手として中村の名前を最初に挙げて番組で絶賛していたのも有名な話かもしれない。バルサファンを公言している中村本人は、「朝起きてすぐに家族全員で録画を見て大喜びしました」とSNSで報告するほど喜んでいた。

 選手だけではない。外国人監督からも好かれており、過去には鹿島アントラーズを率いてJタイトルをもたらしたオズワルド・オリヴェイラやトニーニョ・セレーゾといった名将からも、「ウチに移籍しないか?」「ケンゴ、鹿島で待ってるぞ」などと、試合後に顔を合わせるたびに冗談半分のラブコールをよく受けており、本人は苦笑いしていた。

 日本代表デビューはイビチャ・オシム監督時代であり、外国人の名将からも高く評価されていたと言える。フィジカル的に突出していたタイプではないが、ピッチを俯瞰する眼と優れた戦術眼によるゲームメイクで試合に彩りを与えていた彼は、監督としてもピッチに置いておきたい存在だったに違いない。

 すでに指導者の道を歩み始めており、今年7月にはS級コーチライセンスも取得した。稀代のゲームメイカーが、監督としてどんなサッカーをデザインしていくのか。今後の活躍がますます期待される。

(文中敬称略)

(いしかわごう / Go Ishikawa)



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いしかわごう

いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。

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