“中東の笛”というワードは「すごく失礼」 独り歩きしてしまった独特なフレーズに元主審・家本氏が言及「言葉が嫌い」【見解】

W杯アジア2次予選を前に“中東の笛”を紐解く【写真:徳原隆元】
W杯アジア2次予選を前に“中東の笛”を紐解く【写真:徳原隆元】

【専門家の目|家本政明】W杯アジア2次予選を前に“中東の笛”を紐解く

 森保一監督率いる日本代表は、11月に北中米ワールドカップ(W杯)アジア2次予選に挑む。「FOOTBALL ZONE」では、W杯アジア2次予選の特集を組むなかで、これまでも厳しい戦いを繰り広げてきたアジアとの戦いについて、元国際審判員・プロフェッショナルレフェリーの家本政明氏を直撃。サッカー界でもときに話題となる“中東の笛”について、元レフェリーの立場から印象を語ってもらった。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部・金子拳也)

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 日本は11月16日にミャンマー代表(パナソニックスタジアム吹田)と、21日にシリア代表(サウジアラビア:中立地)との試合を控えている。2026年開催の北中米W杯への出場権を懸けて、負けられない戦いが続く。これまでも熱戦を繰り広げてきたW杯予選では、時折“中東の笛”と呼ばれる言葉が話題に挙がる。

 主に国際規模のスポーツイベントにおいて試合日程や判定がアラブ諸国に有利になる事象、もとい理不尽な判定の抽象概念としても広がったこの独特なワードについて、家本氏は「この言葉が嫌い。聞いていて気持ち良くないです」と率直な感想を漏らした。

 2006年から約10年間、国際審判員を務めた家本氏は、“中東の笛”と呼ばれる事象は「(自分の知る限り)存在しない」と断言する。「すごく失礼な話。例えば日本人の笛、東洋の笛って言われた時に、それって受け入れられるんですかという話になってきますよね」と立場を置き換えた例を挙げ、そのような言葉が広まってしまっていることを嘆いた。

「レフェリーも人間なので当然ミスもあります。国や宗教や地域などによって、いろんな差が出てくるのは必然。フットボールに対する相違も同様に存在するし、国の考え方は日本とそれぞれギャップがあるはずです。もちろんその言葉を言う人の気持ち、ニュースになるという考え方は理解できなくはないですが、嫌悪感はあります。“中東の笛”という言葉が独り歩きしてしまって、中東関係のレフェリーのみんなが見下されてしまうことになるのは、その言葉を使ってきたメディア側も悪い部分があると僕は思ってしまいます」

 そのうえで「もし、(自分の知らない部分で)そういった中東の笛というものがあるとするなら、八百長という話になります」と指摘する。「でもそれはAFC(アジアサッカー連盟)、FIFA(国際サッカー連盟)が絶対許さない話だから、あり得ない話です。だいぶ前から両者はアンテナを張って、徹底排除しようとしているのを知っていますから」と不安を一蹴した。

家本氏が推す優秀なアジア人レフェリーは?

 一方で「中東の笛ではなく、もちろんレフェリーが起こすミスは必ずある」と、あくまで試合で審判団に起こり得る事象を説明。「日本人からすると、『え、なんで』と思うシーンはあります。でもそれは、日本人レフェリーが海外に行っても同じような現象が起こっている可能性があります。W杯決勝担当のレフェリーだってミスはあるし、その程度と変わらないと思います」と、地域による悪意のある判定はないと家本氏は念を押して伝えている。

「僕が現役で国際審判をやっていた時、いわゆる中東で吹いた時にも当然、多少アラビックの人たちのフットボールに対する考え方は日本とギャップは感じていました。でも中東などのアジアにだって、上手いレフェリーはいっぱいいます。もちろんそうではないレフェリーも一部いるとは思いますが、それは日本国内の話でも同じ。世界で活躍できるレフェリーもいれば、そこにまだ至らないレフェリーも存在するということ。それと一緒だと思います」

 そんな家本氏は優秀なレフェリーの一例に、ウズベキスタンのラフシャン・イルマトフ元審判員の名前を挙げる。イルマトフ氏はアジアカップ決勝でも2度日本戦を担当。2011年のオーストラリア戦(0-1)では、元日本代表FW李忠成氏の決勝ゴールを見届けた。さらに19年のカタール戦(1-3)でも笛を吹いている。

「彼はW杯に4回くらい行っているはず。万能型の懐の深いレフェリーで、日本戦でもよくお世話になっていたはずです。それとは別ですが、韓国のレフェリーは日本と相性が良い印象がありますね」

「“中東の笛”という言葉が嫌い」……何度も家本氏が繰り返したこの言葉は、世界中でフットボールを肌で感じてきたレフェリーの真意なのかもしれない。

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家本政明

いえもと・まさあき/1973年生まれ、広島県出身。同志社大学卒業後の96年にJリーグの京都パープルサンガ(現京都)に入社し、運営業務にも携わり、1級審判員を取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審を務め、05年から日本サッカー協会のスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)となった。10年に日本人初の英国ウェンブリー・スタジアムで試合を担当。J1通算338試合、J2通算176試合、J3通算2試合、リーグカップ通算62試合を担当。主審として国際試合100試合以上、Jリーグは歴代最多の516試合を担当。21年12月4日に行われたJ1第38節の横浜FM対川崎戦で勇退し、現在サッカーの魅力向上のため幅広く活動を行っている。

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