投資に似ているサッカーのチケット購入 リスクと可能性をはらんだ日本ツアーに見るサッカー観戦の醍醐味【コラム】
国立開催のマンC×バイエルンは6万5049人、昨年大盛況のPSGはスターが出場せず
現欧州王者のマンチェスター・シティ(マンC)と欧州制覇6度を誇るバイエルン・ミュンヘンの親善試合に、東京・国立競技場には6万5049人の観衆が押し寄せた。この夜のチケットは最高8万円からゴール裏三層でも7千円(大人)だったが、それでも抽選で漏れたファンもいる。やはり現在マンCの人気は突出しており、バイエルン側ゴール裏を除く約4分の3は薄いブルー一色。集客は3日前の横浜F・マリノス戦に続く6万人超えだった。
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だが一方で昨年は大盛況だったパリ・サンジェルマン(PSG)が、クリスティアーノ・ロナウドを擁するアル・ナスルと対戦した大阪・長居陸上競技場は、スタンドの半分程度しか埋まらず、少年ファンからは故障のためベンチに座るネイマールの出場を促すコールが響き渡った。昨年はキリアン・ムバッペ、リオネル・メッシ、さらにはネイマールと夢のアタッキングトリオが揃っていたが、今年はメッシが退団し、移籍問題でクラブと対立するムバッペが来日せず、同行したネイマールもプレーできない状況で、スタジアムに足を運んだ観客の多くはストレスを溜めることになった。
日本のファンが本格的に海外のサッカーに目を向けるようになったのは、おそらく1970年代以降だろう。1974年に西ドイツ(当時)で開催されたワールドカップ(W杯)の決勝が初めて生中継され、以後テレビ東京は「三菱ダイヤモンドサッカー」枠で1次リーグからの各試合を毎週半分ずつ録画で紹介する。番組の解説を担当していた岡野俊一郎は、こうした流れのなかでファンの海外志向を敏感に察知した。
日本サッカー界が、どん底にあえいでいた時代である。岡野はせっかくのサッカー熱を定着させるために「ファンに大きな夢を提供したい」と、W杯を制したばかりの西ドイツ代表招聘のためにDFB(ドイツ連盟)と交渉を始める。しかしまだアマチュア時代の日本代表は、欧州の代表チームとAマッチを組めるような状況ではなかった。そこで岡野は、来日交渉の相手をW杯決勝のスタメンに過半数の6人を送り込んだバイエルンに変更し、無事契約に漕ぎつける。
岡野は世界一に輝いた主力選手全員のプレーを日本のファンに堪能してほしかったので、彼らの同行を必須条件にしようと名前を記した契約書面をFAXした。ところがバイエルンからは、その選手たちの名前をすべて黒く塗り潰した契約書が返送されてきた。「故障などもあるので、どんなメンバーで行くかは約束できない」との主旨だった。
結局1975年新春にバイエルンは来日するのだが、6人のスタメン組のうち半数は故障と移籍で不在。だが反面、日本代表戦(2戦目)で決勝点を決めたのは、まだフランツ・ベッケンバウアー主将でも名前を知らず、しかしのちにバロンドールを2度獲得するカールハインツ・ルンメニゲだった。
お目当ての選手がプレーしてくれる保証はないスポーツ興行、時に原石の発見も
サッカーのチケット購入は、投資に似ているのかもしれない。コンサートなら当事者が病欠すれば中止になるが、スポーツ興行ではお目当ての選手がプレーをしてくれる保証はない。それでも今振り返れば、20世紀に来日して日本代表と戦ったクラブチームは、概して主力選手をしっかり見せようとしてくれた努力や協力の跡が見えた。
だが最近の興行では、来日する側も対戦するJクラブもシーズンへ向けての準備と割り切っているので、前後半でほぼメンバーの総入れ替えが常識化している。さすがに日本のファンもそれは心得ていて、総入れ替えでも前後半ともに魅力あるタレントをちりばめたマンCが、集客で一人勝ちをした要因とも言える。
ただし悪名高きJリーグの「ベストメンバー規定」が事実上廃止されたように、何がベストかを最もよく知るのは監督だ。必ずしも知名度や人気の高い主力選手の起用が、当日のベストな選択とは限らない。例えば2004年、国立競技場でベストに近い布陣を整えたFCバルセロナは5-0で鹿島アントラーズを一蹴した。だが個人的に最も強く印象に残ったのは、終盤に21番を付けて交代出場した17歳だった。
「まだ線は細いが、素晴らしいテクニック」
当時のメモだ。
2年後に再びバーゼルで見た彼からは、線の細さは消え、並み居るクロアチア代表のDFを次々に強靭な腰で跳ね飛ばしていた。萌芽前のリオネル・メッシに東京で遭遇できたのは、改めて幸運だったと思う。
この仕事をしていると、せっかく欧州まで出かけても、試合が中止になったり、お目当ての選手が故障欠場していたり、何度も不遇に直面して来た。しかし時には、欠場した主役の代わりに、次代を担う原石を発見することもある。結局、そのリスクと可能性を見極めながら、対価(予算)を決めていくのもサッカー観戦の醍醐味なのだと思う。(文中敬称略)
(加部 究 / Kiwamu Kabe)
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。