なぜ18歳でJリーグ→欧州移籍? 「大学も考えた」新鋭FW二田理央の即決と現在「『すぐ行きます』って答えました」【現地発】

オーストリア2部ザンクト・ペルテンでプレーする二田理央【写真:Getty Images】
オーストリア2部ザンクト・ペルテンでプレーする二田理央【写真:Getty Images】

【インタビュー】オーストリア2部ザンクト・ペルテンで昨季14試合2ゴールの活躍

 2022-23シーズンに期限付き移籍先のオーストリア2部ザンクト・ペルテンでリーグ戦14試合に出場し、2ゴールの結果を残した20歳FW二田理央。7月にサガン鳥栖からの完全移籍が発表されるなど充実の日々を送っている。欧州で研鑽を積む若武者は18歳の時、なぜJリーグから海外挑戦を決断したのか。二田は「気がついたら『行きたいです。すぐ行きます』って答えていました」と明かす。(取材・文=中野吉之伴/全3回の1回目)

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「二田理央はとても素敵な青年ですよ」

 ザンクト・ペルテンでテクニカルディレクターを務めるモラス雅輝が絶賛していたので、自分の中でハードルはかなり高めに設定されていたのだが、実際に対面して話をした二田はこちらが思っていたよりもさらに“素敵”だった。

 言語化能力が身に付いている。自分が伝えたいことを明確に言葉にすることができていると感じた。難しい言葉を話すわけではないが、とても丁寧で実直で分かりやすい。

 サガン鳥栖からレンタル移籍で加入したFCヴァッカー・インスブルックではセカンドチーム(U-23)でじっくりと順応し、21-22シーズンに3部で得点王(21ゴール)に輝いている。トップチームでも少しずつ出場機会を得て、22-23シーズンから2部ザンクト・ペルテンへレンタル移籍。今年に入って負傷していた肩を手術したことでリハビリが続いていたが、4月中旬に無事復帰し、徐々に出場機会を取り戻した。7月に鳥栖から完全移籍が決まるなど首脳陣からの期待の高さを感じさせられる。

 5月中旬、ザンクト・ペルテンのスタジアムNVアレーナ内にある一室でインタビューをさせてもらった。落ち着いた雰囲気で、笑顔を絶やさず、こちらへの気遣いもしてくれる。20歳ながら海外3年目。選手としてだけではなく、人としての確かな成熟さを感じさせられる。

「やっぱりこっちのサッカーは強度が高いので、リハビリから復帰後、そこにまた順応するのに少し時間かかりましたが、今はもう普通にやれています。コンディションも上がってきていて、試合でのパフォーマンスはそんなに悪くはないかなというところまで戻ってきていますね」

 ザンクト・ペルテンの監督・コーチからの評価は上々で、FW内における序列も上ってきているという。長く負傷離脱していた影響もあり、レギュラーとして絶対の存在になっているわけではないが、それでも最初の交替枠として早めの時間帯から途中出場のチャンスを得ている。シーズン終盤にはゴール、アシストと結果も残した。

「監督とも個人でコミュニケーションを取ったりしてるんですけど、自分を信頼してくれているのを感じます。出場機会も出場時間も少しずつですけど増えてきました」

舞い込んだ欧州移籍のチャンス「ここで行かなかったら後悔しそうな自分もいた」

 昨今、日本人選手の海外移籍が増えてきなか、10代の選手がオーストリア3部で研鑽を積み、そこから着実にステップアップを目指すというルートはあまり多くの例がない。

 二田は2021年6月に鳥栖でJリーグデビューを飾り、同年7月に18歳でオーストリアのFCヴァッカー・インスブルックU-23へ期限付き移籍。そこからステップアップし、現在は同国2部ザンクト・ペルテンに所属している。

 そもそも二田が海外に行きたいと思ったきっかけはなんだったのだろうか。

「ユースの時に『自分はまだトップに上がれるような選手ではない』と思っていて、でもやっぱりトップに上がりたいなと思いながら、それ以外の進路も視野に入れつつ、大学のことも考えたりしていました。だから最初は海外に行くとか頭の中に全くそんなイメージはなかったんです。

 そんな時に『こういう話があるよ』というのを聞いて。正直オーストリアに関しての情報を全く知らなかったんです。でも、『チャンスだな』ってすぐ思えたんですね。それにもし、ここで行かなかったら後悔しそうな自分もいました。直感に近いかもしれません。気がついたら『行きたいです。すぐ行きます』って答えていました」

 最初はおっかなびっくりで飛び込んだ欧州サッカーの世界は、思っていた以上に充実でスリリングなものだった。毎日があっという間に過ぎていく感覚があるという。そして確実に成長している実感があると明かしてくれた。

「本当に時間がすぐ過ぎちゃいます。今までだって練習を適当にやっていたわけじゃないんですけど、でも明らかに練習に向き合う姿勢がこっちにきて自分の中で変わったなっていう感覚があります。僕は、めちゃくちゃ上手いとか、誰からも本当に凄いって言われるような選手じゃない。だからどうにか成長しないといけないって思って、日々真剣に向き合っているんです。今までも本気だったつもりだったんですけど、なんかもう1つ1つへの集中力が違うというか、今までより明確な意図と意志を持って練習をするようになったのかなと。環境も変わって『もっとできるのかな』って気づいたり、向き合える気持ちが強くなってきたのかなと思いますね」

欧州で感じる成長「日本にいる時よりは、はるかに強くなった」

 インスブルックにも、ザンクト・ペルテンにも、サッカーと真っ直ぐに向き合える環境がある。練習施設は非常に整っているし、それでいて何もかも手厚くサポートされるわけではない。

 いい意味でほったらかしなところもある。自分でやらなければならないこともたくさんあるし、自分でやりたいことに取り組む時間もある。それでいて世間からのプレッシャーもそこまで大きくない。自分と向き合う機会をたくさん持てるのが成長に大きな意味をもたらすのだろう。

「こっちの環境はめっちゃいいですね。やっぱりサッカーだけじゃなく、精神面とかでもいろいろ強くなります。オーストリアに来てから、考え方や感じ方とかが、ガラッと変わった感じがします。まだまだですけど、日本にいる時よりは、はるかに強くなったと思います」

 欧州で19~21歳は育成における仕上げの段階として位置づけられ、これまで以上にこの段階で十分な試合経験を積めるかの重要度が増している。試合経験を積み、自分の課題と向き合い、自分の特徴を色濃くするための時間があるかどうかは、その後の成長に決定的な影響を及ぼしかねない。

 二田は今、充実した環境のなかで、じっくりと力を蓄えているのだ。(文中敬称略)

[プロフィール]
二田理央(にった・りお)/2003年4月10日生まれ、大分県出身。佐伯リベロFC―FC佐伯S-playMINAMI―鳥栖U-18―鳥栖―FCヴァッカー・インスブルックU-23(オーストリア)―ザンクト・ペルテン(オーストリア)。2021年に鳥栖のトップチームで2種登録され、同年6月の横浜FM戦でJリーグデビュー。同年7月、18歳でオーストリアのFCヴァッカー・インスブルックU-23へ期限付き移籍。22年8月から同国2部ザンクト・ペルテンへ期限付き移籍し、リーグ戦14試合で2ゴールの結果を残した。23年7月に鳥栖からザンクト・ペルテンへの完全移籍が決まった。

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)



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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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