武藤嘉紀はなぜ日本代表へと辿り着けたのか 「2.95メートルを越えた先で」

近くて遠い場所

 今、まばゆい光が当たる場所にいる武藤嘉紀には、3年前越えることができなかった距離がある。それは、わずか2.95メートルの通路だった。だが今年、それを飛び越え、そして高く飛んだ。8月28日の新生日本代表発表選出を境に、新聞紙面を賑わし、テレビ画面にもその顔が何度も大写しになるようになった。彼の枕には「イケメン」「現役慶大生」がついて回る。ただし、それらを取り払ったときに残るのは、素直で実直な彼の実像だった。
 2.95メートル――
 わずか2、3歩で事足りる、その距離は、見た目とは異なり、彼にとっては近くて遠い場所だった。FC東京の小平グランドには、トップのグラウンドと、U-18が練習する人工芝を隔てる通路がある。そこを越えてトップチームへの昇格を果たす選手は一握りだけだ。多くはその後、大学に進学し、また別の道へと進んでいく。
 3年前、そこを越えることを許された男がいた。だが、高校2年時に冬の宮崎合宿に参加して厳しいプロの現実を知り、「自信がない」と尻込みした。目の色を変えてポジションを争うプロの選手たちに後ずさりし、あと一歩を踏み出すことができなかった。それが18歳の武藤嘉紀だった。
 3年後、彼は屈託のない声色で言った。「遠回りだとは思っていない」と。武藤は慶応大で過ごした3年間を「高く飛ぶための準備だった」と言うのだ。
「あのままトップチームに昇格していれば、いまごろ海外でプレーしたと言ってくれる人もいる。けれど、自分はそうは思わない。高く飛ぶためには、しゃがまなければいけない。大学の3年間でグッと踏み込めたからこそ、大きく飛ぶことができた」
 ただし、彼の身支度が順調だったかというと、決してそうではなかった。「けがばかりでしたからね」と、懐かしむように言った。
 慶大入学から数カ月後、日が落ちかけた小平グランドにいないはずの彼が松葉づえ姿で立っていた。顔見知りのスタッフを見掛ける度に、あいさつを交わすから「こんにちは」が左から右へと移動した。そして、リハビリを終え、「お疲れさまです」が右から来て左へと去って行く。それから彼の「こんにちは」と「お疲れさまです」を聞かない年はなかった。
 進学後は定位置を奪い、関東大学リーグでゴールを量産した。順調なスタートを切った大学生活だったが、6月の国士舘大戦で激しいチャージを受けると、バランスを崩して左膝がくの字に曲がった。日がたつにつれ、腫れ上がる自分の膝に視線を落とすと、不安に襲われた。そのときを思い返し、いつもの笑顔が曇った。
「あのときは、いつもこのままサッカーができなくなるんじゃないのかなって本気で悩んだ」
 左膝半月板損傷の診断結果が下ると、頭を悩ます時間を止めて半年間、筋力強化に取り組み続けた。「さらに強くなろうと、ひたすら体を鍛えた」。全治までは6カ月を数えた。その後も、高校時代にお世話になったトレーナーや、ドクターにけがの経過を見てもらおうと小平グランドを訪れたのは一度や二度ではない。大小数え切れないほどのけがをした。そのたびにため息を引っ込め、できることを探した。気づけば、上半身が隆起し、体は一回りも大きくなった。踏みつけられるたびに、心も体も強くなった3年間だった。在学中の今年、彼は2.95メートルを飛び越える決意を固めた。

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