「僕には僕の美学がある」 青山敏弘、初のW杯で痛感した経験値不足と貫いた“広島愛”

実は2018年のブラジルW杯に出場の可能性も…

 彼が今、口にするのは「経験値」だ。

「自分が(代表とか国際舞台とか)ああいう場に立つ経験が、あまりになさ過ぎた。練習試合でやったりもしたけれど、実際はW杯で初めてああいうレベルの相手と闘う。その体験は、自分にとっては遅すぎましたね」

 それは五輪に出たり、前年のヨーロッパ遠征に参加しただけでは、追いつけないと青山は思っている。

「普段から、あのレベルでやらないと厳しい。日本でプレーしているままでは、その差は埋まりにくい。遠藤さんは通用していたけれど、やっぱり特別な存在なんですよ。特にディフェンスのところについては、海外での経験が重要かなと実感しましたね」

 同世代で海外でのプレーを経験している選手たちを見て、その感覚は実感として青山に染みついた。

「彼らには余裕があった。W杯も初めてではなかったし、メンタルも違いましたね。そういう選手たちが多かったのは、あの時のチームにおいても強みでしたね。遅れをとるようなチームではなかったし、僕はやれると信じていた。だからこそ、初戦の敗戦、特に負け方が厳しかったですね」

 実は青山は、2018年のロシアW杯でも出場のチャンスはあった。

 2015年3月31日の対ウズベキスタン戦で強烈なミドルシュートを放ち、代表初得点を決めた青山だったが、その後は代表とは縁遠くなっていた。だが2018年、西野朗監督が日本代表監督に就任すると5月18日、彼を代表に招集すると発表した。

 青山ほどのキャリアを持っている選手を、W杯直前の時期に招集するということは「ロシアへ一緒に行ってほしい」というメッセージではないか。多くの人がそう感じたが、結果としてその想いは叶わなかった。メディカルチェックに引っかかり、離脱してしまったのだ。

「間違いなくフィジカルのコンディションは、2014年より良かった。ディフェンスの部分にしても、ワールドカップで一度経験していますし、あの時とは違った対応ができたと思う。楽しみだったんですけどね。でも、確かに悔しかったけれど、逆に言えば、(あのタイミングで)代表に選ばれるとも思っていなかった」

 彼のW杯は、今のところ、2014年の一度きり。ただ、そこに対して青山が後悔しているようには思えない。

「僕は、W杯を目標にしていたわけではなかった。もしそこにこだわっていたら、やはり海外でのプレーを選択したいと思ったんでしょうね。もちろん、代表は目指していたけれど、僕はそれが夢ではなかった。だから、W杯に向けての準備という部分では、自分には足りなかったと思います。W杯は結果を出せる人で闘わないといけないし、2018年にあの(足の怪我の)状態で無理して行ったとしても、チームに迷惑をかけるだけだったと思う。だからあの時、代表がベスト16までいってくれたことは、ほっとしましたね」

中野和也

なかの・かずや/1962年生まれ、長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート中国支社・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集、求人広告の作成などに関わる。1994年からフリー、翌95年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。著作に『サンフレッチェ情熱史』『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ともにソル・メディア)。

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