「僕には僕の美学がある」 青山敏弘、初のW杯で痛感した経験値不足と貫いた“広島愛”

キャンプ最終日の練習前にコロンビア戦の先発が通達

 グループリーグ第3戦目は、コロンビアに勝利したうえで他会場の結果を待つという状況だった。現実、コートジボワールはギリシャ戦に敗れ、勝ち点3で終了。日本は勝ちさえすれば、2位で決勝トーナメントに逆転進出ができた。もちろん、それは終わってから知ったことだ。

 青山がこの第3戦の先発を言われたのは、6月22日。イトゥーでのキャンプ最終日の練習前だった。

「その時、意外と平常心でしたね」と青山は振り返る。

「もちろん、自分の良さは出したい。でもそこまで試合にも出ていないし、経験もない。自分にとってはもちろんチャンスだった。でも第3戦、絶対に勝たないといけないというあとがない状況で、難しい状況でもあった。ただ、ビビッたりとか萎縮したりとか、そういうメンタルは全くなかった。強気で押し通すというか、いいメンタルだったと思いますね」

 試合前日なども含め、選手間でのミーティングなどは特になかったと青山は記憶している。ただ試合に入ると「いつものやり方ではないな」と感じていた。

「戦術的に大きく変わっていたわけではないが、いつもどおりって感覚ではなかったですね」

 もちろん、先制点が欲しいのは当然だ。だがこの日の日本は、まるで人生を急ぐ若者のように、前へ前へとのめり込んでいた。

「落ちつこうという雰囲気はなかった。それはボランチにいるのが自分だったこと、前線に大久保さんがいたから、(最初からチームが)より攻撃にかかろうとしたのか、それはちょっと分からない」

 前半17分、コロンビアのカウンターが発動。青山もタックルに入るが止められない。そのままペナルティーエリア内まで運ばれ、PKを献上してしまった。

 繰り返すが、この試合は勝てば良かった。コートジボワールとギリシャが引き分けたとしたら、得失点差や総得点も影響してくるが、まず勝利することを考えれば良かった。試合は90分ある。まずは失点しないこと。そういう考えでもおかしくない。青山の言う「ゲームコントロールが日本の良さ」を、このギリギリの試合でも発揮して良かった。

 だが、追い込まれた状況の中で、選手たちには「攻める」以外の選択肢はなかったのだろう。

「前がかりになっていたことは事実。あの試合の相手はもう決勝トーナメント進出を決めていたし、自分たちとは状況が違う。その中で試合をコントロールすることが、自分にはできなかった。どうしても縦に急いでしまっていた」

 長谷部誠と目が合った時、主将はこう言ったという。

「アオ、お前だったら、もっとボールをつなげる。だから、(縦に急ぐだけではなくて)もうちょっとつないでいこう」

中野和也

なかの・かずや/1962年生まれ、長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート中国支社・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集、求人広告の作成などに関わる。1994年からフリー、翌95年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。著作に『サンフレッチェ情熱史』『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ともにソル・メディア)。

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