Jリーグで“最も主審を務めた男”、家本政明の心に残った「クレバーな選手」たちとは?

2017年の川崎初優勝での中村憲剛氏(右)とのやりとりは印象に残っているという【写真:高橋 学】
2017年の川崎初優勝での中村憲剛氏(右)とのやりとりは印象に残っているという【写真:高橋 学】

2017年の川崎初優勝時は、試合後に涙の中村憲剛と自然にハグ

 数々のやり取りを交わしたなかでも、中盤、とりわけボランチの選手とは、審判員として“駆け引き”もあったようだ。

「中盤の選手はスペースをわざと開けておいて、そこにボールが来るタイミングで自分が入っていったり、相手選手を入れておいて敢えて潰しに行ったり、スペースの使い方は特に大事です。でも、レフェリーにとっても、どこでプレーを見るのがいいのかとなった時に、できるだけニュートラルに見えるスペースが必要。選手からすれば『邪魔だ』『どけ!』と感じることも少なからずあると思います。

 僕は、荒い言葉でもいいからそれを伝えてほしいと言っていました。スペースは自分も使いたいですが、基本的に選手たちのためにあるものですから。そのなかで、中村憲剛さんは『全然気にせずポジションを取ってくださいよ』と。大島僚太選手、脇坂泰斗選手……、川崎フロンターレの中盤の選手は中村憲剛さんと同じ感じでしたし、僕もスペースを配慮しながら動いていました。中村憲剛さんはファウルがあった時も、最初にバッと言葉を言ってきますが、こちらが『分かっているよ』というアクションを取るとニコっとしてくれて、大人の会話をしてくれた。敬意を持って接してくれるので、こちらも敬意を持って対応したくなりましたね」

 川崎のレジェンドである中村憲剛氏とは、2017年のクラブ史上初のJ1リーグ優勝の際に思い出があると家本氏は振り返る。

「川崎の初優勝は、等々力競技場(最終節・大宮アルディージャ戦)で決まりました。リーグ戦で優勝が決まる瞬間に立ち会うことはなかなかなくて、僕としても味わってみたかったので、試合後も少し残らせてもらったんです。その後、ピッチをあとにしようとした時に、川崎のベンチをぱっと見たら、偶然、中村憲剛さんと目が合った。号泣しながら僕のほうに来たので、引き寄せられるようにハグをして、『初優勝おめでとう』『今まで大変だったね』と言葉をかけました。中村憲剛さんは泣いているだけでしたね(笑)」

 主審から見える世界も、サッカーをさらに楽しむうえで貴重な視点となりそうだ。

[プロフィール]
家本政明(いえもと・まさあき)/1973年6月2日生まれ、広島県出身。同志社大学卒業後の1996年にJリーグの京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)に入社し、運営業務などに携わりつつ、1級審判員を取得。2002年からJ2、04年からJ1で主審を務め、05年から日本サッカー協会のスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー)となった。J1通算338試合、J2通算176試合、J3通算2試合、リーグカップ通算62試合で主審を担当し、J通算516試合担当は主審として歴代最多。2021年12月4日に行われたJ1第38節の横浜F・マリノス対川崎フロンターレ戦で勇退。今年からJリーグのフットボール本部・フットボール企画戦略部のマネージャーに就任した。

(FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda)



page1 page2

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング