原口元気から消えた“独善的プレー” 自らを犠牲に他者を生かす、三十路を迎えたMFのサッカーストーリー“第2章”

ウニオン・ベルリンでプレーする日本代表MF原口元気【写真:Getty Images】
ウニオン・ベルリンでプレーする日本代表MF原口元気【写真:Getty Images】

【ドイツ発コラム】ブンデスリーガで奮闘する姿から見える原口の変化

 ウニオン・ベルリンのホームスタジアム「スタディオン・アン・デア・アルテン・フォルステライ」の小さなビジョンに、挑戦的な眼差しを向けた選手が右腕を振り上げてガッツポーズする姿が映し出されている。ウニオンの選手はサポーターから等しく「フッスバル・ゴッド(サッカーの神様)」と称され、もちろんMF原口元気もその1人である。

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 新緑のピッチに立つ彼には躍動感がみなぎり、強靭な体躯を誇る他のブンデスリーガの選手と比して、その迫力は見劣りしない。いや、むしろ、その滾(たぎ)るような気迫は常に相手を凌駕していて、華奢に映るその姿とは対照的に局面勝負で相手をピッチに叩きつけることがしばしばある。

 日本でプレーしていた時と同じく「24」の背番号を纏う原口のプレースタイルは数年前から様変わりしている。かつて左ウイングで攻撃的な任を一新に背負って闘ってきた原口は今、時に獰猛(どうもう)なファイターとして、時に周囲を落ち着かせるコンダクターとして、そして時に周囲の仲間をサポートする脇役として、ピッチ中央でその存在価値を示している。原口は、赤と白のクラブカラーを掲げるこのチームに尽力できることを無常の喜びと捉え、どこまでも情熱的にピッチを駆けている。

 20代半ばを過ぎた頃、原口はこんなことを言っていた。

「ブンデスリーガのフィジカルとスピードは実際にそのピッチに立ってみないと分からなかった。そのうえで、どこかでのタイミングで、自身のプレースタイルを見直す時が必ず来ると自覚している」

 爆発的なダッシュで相手を突き放し、俊敏なカットインでゴールを射抜くプレーパターンを信条にしてきた原口はドイツの舞台で幾多の辛酸を嘗(な)め、その都度自身のプレースタイルを鑑みてきた。

 そのうえで、2018年から2021年の3年間在籍したハノーファーでは2部降格という試練も味わいながらトップ下という新たなポジションでの役割を得た。そして2021年夏、原口は1部に所属する旧東ベルリンの伝統クラブ、ウニオン・ベルリンからその実力を買われ、純然たる主力としてチームに迎え入れられたのである。

 ウニオンのウルス・フィッシャー監督は3-3-2-2といった特殊なシステムを用いる。GK、3バック、両サイドアタッカー、アンカー、ダブルインサイドハーフ、2トップという各ユニットが融合するなかで、原口は主に右インサイドハーフに配されることが多い。

 このポジションで左インサイドハーフのMFケヴィン・メーヴァルトとともに、FWタイウォ・アウォニイとFWシェラルド・ベッカーという強靭な装甲車のような2トップをサポートしつつ、アンカーのMFラニ・ケディラと連動して強烈なプレスワークにも勤しむ。

 今の原口は独善的なプレーに走らない。パスのほとんどはワンタッチで、ドリブルで前へ持ち出す頻度を極力控えている。相手とのフィジカルコンタクトは厭わないが、ボールを足もとへ置く時間は極小で、試合時間の大半はフリーランニングに費やしている。

 もし相手が自身の挙動に釣られてスペースを空け、そこに味方が飛び込んで相手ゴールに迫れたら、おそらく今の彼は至上の手応えを得て握りこぶしを作るだろう。自らを犠牲にして他者を生かす。その喜びを感じた今、30歳の原口は自らのサッカー人生に新たな道程が生まれたことを実感している。

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島崎英純

1970年生まれ。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動を開始。著書に『浦和再生』(講談社)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信しており、浦和レッズ関連の情報や動画、選手コラムなどを日々更新している。2018年3月より、ドイツに拠点を移してヨーロッパ・サッカーシーンの取材を中心に活動。

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