「危機感しかなかった」 栗原勇蔵×登里享平対談…若手・旗手の台頭で明かす”本音”

登里にとって旗手の台頭は「危機感しかなかった」

栗原 今、31歳だっけ? まだまだあと3、4年は全然第一線でやれると思う。今、「若い選手の勢い」って言ったけど、今年は昨年の怪我の影響でスタートに出遅れて、その間に旗手玲央選手が台頭してきたと思うのですが、どういう気持ちで彼の活躍を見ていたのですか?

登里 もう本当に危機感しかなかったです。しかもずっとチームは勝っている状況で、復帰はしましたけど、勝っているチームで、例えばターンオーバーで試合に出る時の難しさっていうか、それ以上のプレーができるのかっていうところの不安がすごく大きかったですね。

栗原 自分もね、結局、試合に出れなくなったのは、年下のファビオ選手にポジションを取られたからですけど、やっぱり最初に取られた時はめちゃくちゃ悔しくて。もっと頑張らなくちゃいけなかったんだけど、なかなかそれを覆すようなプレーができなかった。それも心残りだなあと。自分のなかでは結構サッカー人生は頑張ったほうだと思っているんだけど、本当に数少ない後悔というか、そういうものの1つだったかなと感じていますね。

――川崎フロンターレは昨年、レジェンドの中村憲剛さんが引退されましたし、栗原さんも横浜F・マリノス時代に、移籍や引退などでチームを牽引されてきた方がいなくなった経験をされていると思います。そういったレジェンドがいなくなった次のシーズンというのは周囲の声などがプレッシャーや重責になったりしないのでしょうか?

登里 憲剛さんに始まり、守田(英正)選手だったり、途中で田中(碧)選手だったり、三笘(薫)選手が抜ける時に、メディアの皆さんからのプレッシャーはすごくありましたね。本当に悔しかったですし、だからこそ本当に自分たちでやろうというか。チームの方向性が出たので、在籍年数は僕が一番長くて今年から副キャプテンをさせていただいていますが、よりチームをいろんな角度から見るようにもなったので、そこは本当に成長できた部分だと思っています。ただ僕だけじゃなくて、小林(悠)選手、谷口(彰悟)選手、大島(僚太)選手、車屋(紳太郎)選手、生え抜きの選手だったり、ベテランの家長(昭博)選手や(チョン)ソンリョン選手であったり、そういう背中で引っ張ってくれる人がいたので、みんなでプレッシャーや重責を背負いながら、そして分担しながらできたのはすごく大きかったのかなって思いますね。

栗原 自分の場合は、松田直樹さん、中澤佑二さん、中村俊輔さんといった“レジェンド”と呼ばれる先輩たちが基本的には常にいました。自分が引退する1年前に中澤さんが引退して、ようやく自分が最年長になったけど、その年は優勝したシーズンだったし、実際のところ在籍期間中はずっと3番手、4番手ぐらいの位置にいたので、重責やプレッシャーを背負うことなく自由にやらせてもらっていました。だから改めて、そういう責任感は良くも悪くもなかったのかもしれないなって思いましたね。登里選手は今、在籍何年目ですか?

登里 13年目です。

栗原 それだけ長く同じチームに在籍しているのもすごいと思うし、すでにレジェンドだと思います。あと7年ぐらいやってもらって、トータル20年というのを目指してもらいたいですね。

登里 そうですね。そこの数字だけでも憲剛さんに並びたいですし、そこをモチベーションに続けていきたいです。

栗原 あと7年……38歳か。いけるんじゃないかな。

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