Jリーガー引退直後に政界へ 元日本代表GK、さいたま市議として誓う浦和への恩返し
【元プロサッカー選手の転身録】都築龍太(元G大阪、浦和、湘南)後編:落選後の“浪人生活”で築いた政治家の基盤
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
今回の「転身録」はガンバ大阪、浦和レッズ、湘南ベルマーレの3クラブに所属し、日本代表も経験したGK都築龍太(43歳)だ。現役時代は気迫漲るプレーを見せ、浦和ではタイトル獲得も経験。2010シーズン限りで32歳での現役引退を決断すると、15年からはさいたま市議会議員を務めている。後編では引退直後の出馬と政治家への転身、さいたま市議として奮闘する日々を追った。(取材・文=河野正)
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2011年1月14日、浦和レッズは前年6月から湘南ベルマーレに期限付き移籍していたGK都築龍太との契約満了を発表。その2週間後には、引退の意志を固めた本人の心境を公式サイトで報告している。
ガンバ大阪、浦和、湘南の3クラブでリーグ戦250試合、ナビスコカップ33試合に出場。浦和で連覇を遂げた天皇杯は第85、86回大会とも決勝のピッチに立った。日本代表の国際Aマッチ6試合、2000年のシドニー五輪代表など充実した14年間のプロ生活だった。10年シーズン終了後、お世話になっている議員から春の統一地方選への出馬を要請された。11年4月10日投開票の埼玉県議選だった。
現役続行を希望し、浦和レッズユースと一緒に練習しながら、移籍先を模索していた。しかしクラブが見つからなかったことで、引退と出馬を決めた。「引退後については何も考えていなかったから引き受けたわけで、具体的な目標があれば出ていません。あの頃は志が低かったということです」と10年前を振り返る。
選挙の準備期間は2カ月ほどしかなく、3月11日に発生した東日本大震災の影響で人前に出る機会も限られた。結果は当選した現職に約3300票差の次点で落選。都築はこの時、セカンドキャリアについて初めて熟慮し「負けたから身を引くのも悔しい。半年くらい悩んだ末、もう一度挑戦することにしました」と“浪人生活”に突入する。
浪々の身だった4年間で大勢の人と会い、たくさんのことを吸収した。
長女が通っていた小学校のPTAや自治会などの地域活動に参加しながら、住民の暮らしぶりに細かく目を向けた。そうすると区画整理や待機児童問題をはじめ、電灯のLED化といった行政の手が行き届いていない事例が見えてきた。「いろいろ学んでいくうちに、政令市のほうが市民との関わりが深かった」と考え、さいたま市議を目指すことになる。
河野 正
1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。