3年で引退も浦和で培った人脈は“財産” 自身のゼロ提示に「一番泣いたのが内舘さん」

現役時代の一番の思い出、「嬉しくて感激した」

 デビューした第1ステージ第4節のサンフレッチェ広島戦、第9節の柏レイソル戦が一番の思い出だ。

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「岡野さん、大柴(健二)さんと同じピッチに立ちたかったので、初めて3人が先発した広島戦は嬉しくて感激しました。柏戦は個人的にプレーの質が一番良く、3年間で最も力を出し切れた試合でしたね」

 岡野と大柴が得点した広島戦はネイハイスとセンターバックを組み、大柴がハットトリックした柏戦は西野努と中央門番を形成。2試合とも勝利した。

 3年目の6月、恩人の原監督が成績不振で解任された。渡辺は椎間板ヘルニアをはじめ、左股関節痛のしびれで力が入らず、体のバランスを悪くして出番が減っていく。

 後半29分から出場した第2ステージ第7節の鹿島アントラーズ戦が、プロ最終戦となる。浦和は翌年、試合数が多い初体験のJ2で戦うこともあり、契約更新を疑わなかったがまさかの満了。「自分のキャリアを考えると、浦和で辞めるのが一番いいと思ったので引退することにしました」と潔い引き際だった。

 2000年からサラリーマンに転身し、現在は建設関連の老舗企業に勤務。今春で16年目を迎え、部長として陣頭指揮を執る毎日だ。

「浦和駒場スタジアムに入場した時の臨場感、サポーターの圧倒的な熱量はあそこでしか味わえない。駒場ってすごいと思った。そんなチームでやれた3年間は誇りです」

 岡野、内舘という律儀で人情味のある生涯の友と絆を深めたことも浦和での財産だ。「岡野さんは細かいことを言わないけど、面倒見のいい人ですからね。相談? 岡野さんから受けたほうが多いかな」と爆笑し、「僕がゼロ提示を受けて一番泣いたのが内舘さん、主将になった時は嬉しくて応援していました」と語る様子は無邪気な少年のようだった。(文中敬称略)

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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