3年で引退も浦和で培った人脈は“財産” 自身のゼロ提示に「一番泣いたのが内舘さん」

現在は建装工業株式会社に勤務。3年前に部長に昇進した【写真:河野正】
現在は建装工業株式会社に勤務。3年前に部長に昇進した【写真:河野正】

支えとなった2人の指導者、「あの言葉がなければ腐ったままだったかもしれない」

 自主トレ不足がたたって開幕前の強化合宿で早くも故障。左半月板を痛めて走れなくなり、控えメンバーにすら一度も入れなかった。

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 ただ2人の指導者に救われ、金言にも励まされた。

 親身になってくれたトップチームの原博実コーチが、「チャンスは必ずくるから腐ったら駄目だぞ。誰かが見ているから大丈夫だ、頑張れ」と声をかけてくれた。

「あんな状態で腐らない選手なんていないけど、原さんの言葉に勇気づけられた。コーチというより兄貴のような存在です。あの言葉がなければ腐ったままだったかもしれない」と感謝する。

 速さと体幹の必要性を痛感した渡辺は、トップチームに絡みたいという焦りと欲を封印し、「サテライトでしっかり練習してスピードをつけることに専念した」と振り返る。

 練習の姿勢を高く評価してくれたのがサテライトの村松浩監督で、トップチームのホルスト・ケッペル監督に何度も昇格を進言してくれた。

「この年は駄目でしたが、翌年トップに上がった時はすごく喜んでくれましてね」と喜色満面に話した。

 原監督が就任した98年、短いながら渡辺のハイライトが訪れる。オフには岡野、本間幸司(現水戸ホーリーホック)とボクシング元WBA世界ジュニアウエルター級王者、平仲信明の沖縄ジムで自主トレに明け暮れ、自信を持って2年目を迎えた。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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