“天才”中村俊輔との共演を元日本代表MF名波浩が回顧 「ダブル司令塔でやれたら…」

日本代表で共闘したMF名波浩(左)とMF中村俊輔【写真:Getty Images】
日本代表で共闘したMF名波浩(左)とMF中村俊輔【写真:Getty Images】

ユニットとして楽しくプレーできた名パートナーを名波氏が振り返る

 1990年代後半から2000年代前半にかけてジュビロ磐田の黄金期を支え、1998年フランス・ワールドカップ(W杯)に“10番”を背負って出場した元日本代表MF名波浩氏は、パサーとして“出し手”になることが多かったが、一緒にプレーして「やりやすかった選手」は誰だったのだろうか。そう聞くと名波氏は、誰と組んでも「毎回楽しかった」としたうえで、“後輩レフティー”との関係性について語ってくれた。(取材・文=Football ZONE web編集部・谷沢直也)

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「僕は『この人やりやすい』とか、言葉であまり言ったことはないんです」と切り出した名波氏は、磐田時代の藤田俊哉氏との間には「阿吽の呼吸」が存在していたとしたうえで、次のように続けた。

「こういうユニットだったら楽しかったというのは確かにあります。僕とヒデ(中田英寿)なら柔と剛があって、僕と森島(寛晃)ならアシストとゴール、僕と奥大介ならパサーとドリブラーとか、そうしたプレーヤーとしてのコントラストがあるなかで、異なる考えを持っていそうなのに融合できたという感覚を持った選手はいます。そのあたりは僕自身の、周囲に合わせていく性格が良いほうに転んだのかもしれません」

 日本サッカー史を彩る数々の名手と共闘してきた名波氏だが、特別な思いを抱いていた選手の1人が、同じレフティーの中村俊輔(現・横浜FC)だった。日本代表に初めて合流してきた頃、名波氏は中村や小野伸二(現・北海道コンサドーレ札幌)ら若き司令塔タイプのプレーを、「あんなフェイクできないなとか、上手いな、天才肌だなという感じで見ていましたね」と振り返る。

 もっともそこは、日本代表の“先輩”である名波氏。笑いながら当時のエピソードを明かしてくれた。

「今でも覚えているのは紅白戦みたいな練習で、俊輔が左のウイングバックが嫌そうだったから『俺も嫌なんだよ』とか会話しながら、でも味方になった時にはインサイドキックでくさびチックな鋭い横パスをぶち当てて、『日の丸を付けているんだから、ポジションがどこでもやれ』みたいな(笑)。そういうボールで会話をするというか、ちょっと先輩面した時もありましたけど、プレーの部分とかめちゃめちゃ尊敬していますからね」

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