中島翔哉、小5で“空中エラシコ”に周囲は驚嘆 練習の鬼が見せた意外な姿【ルーツを辿る】

今冬、UAEのアル・アインへ移籍をした日本代表MF中島翔哉【写真:高橋 学】
今冬、UAEのアル・アインへ移籍をした日本代表MF中島翔哉【写真:高橋 学】

【不定期連載|第3回】中島翔哉(アル・アイン/日本代表):小学生時代に通った“サッカー塾”コーチが語る素顔

 日本代表選手はどのような道を歩んでトップ選手まで上り詰めたのか――。日本代表戦士の原点を探る不定期連載「ルーツを辿る」の第3回は、今冬UAEの強豪アル・アインへ移籍したMF中島翔哉に迫る。小学生時代に通った“サッカー塾”の「クーバー・コーチング・サッカースクール」で指導に当たっていた小澤英之コーチ(日野校)に、当時の中島の様子を聞いた。「サッカーを楽しんでやりたい」――。中島のモットーが築き上げられた少年時代に見えた意外な一面などを明かしている。(取材・文=Football ZONE web編集部・小杉 舞)

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 当時から技術はずば抜けていた。中島は小学3年生の時に「クーバー・コーチング・サッカースクール」へ入団。東京ヴェルディ・ジュニアなど複数のスクールと並行して “サッカー塾”に週2回通っていた。フットサルコートで1対1の技術を磨くことに特化しており、中島もここで様々な技術を習得。小澤コーチは小学校卒業までの3年間指導にあたっていた。やはり、初めて会った時のインパクトは今でも強烈に残っているという。

「やっぱり上手。上手な子はすぐ目につく。パッと見た瞬間にボールの扱いや、動きのしなやかさ、スピード、動きが綺麗だった。クーバーコーチングでもいろんなテクニックを練習するけど、いつもスムーズですぐできてしまう。ただ、小学生の時は寡黙だった。こちらが何か言ってもうなずく程度のコミュニケーションだった」

 口数は多くなかったが、プレーで周囲を惹きつける力はあった。同じ教室に通っていた子たちは中島を目標にし、コーチからも一目置かれる存在。特に、ドリブルの技術はレベルが違っていた。

「ドリブルは取られない。特に高学年になってからは僕らコーチが1対1に混ざるけど、翔哉の相手はコーチ。止めるのが大変だった。いつも自分のものになっているようなボールの置きどころ、突破できるという判断は長けていた」

 中島が小学5年生だったある日、信じられないような出来事があった。いつものようにゲーム形式を行い、中島の相手にはあるコーチが入った。当時、身長130センチほどだった中島少年の前には180センチのコーチが立ちふさがった。その時、中島が取った選択肢は誰もが見たことのない技だった。

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