【歴代W杯初戦の教訓】日本“最強世代”が散った「ラスト6分の悲劇」 豪州の圧力に屈する

8分間で3失点を喫した日本【写真:Getty Images】
8分間で3失点を喫した日本【写真:Getty Images】

2006年ドイツ大会・グループリーグ第1戦「日本 1-3 オーストラリア」

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1998年フランス大会】【2002年日韓大会

 ジーコ監督が率いた2006年ドイツ・ワールドカップ(W杯)は、皮肉にもグループリーグ最終戦で王国ブラジルと顔を合わせることになった。ロナウジーニョ、ロナウド、カカら抱負なタレントを揃え、前年のコンフェデレーションズカップでは決勝でライバルのアルゼンチンを4-1で一蹴しており、優勝候補筆頭に挙げられていた。つまり日本は最終戦での勝算が見込み難い以上、2戦目までに勝ち点を稼ぎ切る必要があり、初戦の持つ意味合いは過去2大会とは比較にならないほど重かった。

 日本は歴史的にも一番の豊作期を迎えていた。中田英寿がベテランの域に入り、中村俊輔が成熟し、1999年ナイジェリア・ワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝したメンバーが台頭していた。実際にアウェーで伝統国と対戦しても、母国イングランドと堂々と渡り合って引き分け、欧州屈指の実力を誇るチェコを破ったこともある。

 ところがせっかく最大の収穫を望める時期にチームを率いたのは、日本サッカー協会の川淵三郎会長が思いつきの独断で決めた代表監督だった。

 ジーコの就任会見で同会長は強調した。

「ジーコ監督は、しっかりとコミュニケーションが取れますから」

 エキセントリックで規律に厳しく、決して自分を曲げなかった前任のフィリップ・トルシエ監督へのアンチテーゼだった。

 ジーコ監督は、前体制とは対照的に選手たちを尊重し多くの自由を与えた。ただし元々そういう人物だったわけではなく、Jリーグ創設前に鹿島へやって来た時は、口角泡を飛ばし戦術を詳細に詰めていた。

 変貌の理由を、ジーコ自身はこう語っている。

「代表チームは、そういうレベルではない」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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