【歴代W杯初戦の教訓】日本“最強世代”が散った「ラスト6分の悲劇」 豪州の圧力に屈する
2006年ドイツ大会・グループリーグ第1戦「日本 1-3 オーストラリア」
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ジーコ監督が率いた2006年ドイツ・ワールドカップ(W杯)は、皮肉にもグループリーグ最終戦で王国ブラジルと顔を合わせることになった。ロナウジーニョ、ロナウド、カカら抱負なタレントを揃え、前年のコンフェデレーションズカップでは決勝でライバルのアルゼンチンを4-1で一蹴しており、優勝候補筆頭に挙げられていた。つまり日本は最終戦での勝算が見込み難い以上、2戦目までに勝ち点を稼ぎ切る必要があり、初戦の持つ意味合いは過去2大会とは比較にならないほど重かった。
日本は歴史的にも一番の豊作期を迎えていた。中田英寿がベテランの域に入り、中村俊輔が成熟し、1999年ナイジェリア・ワールドユース(現U-20ワールドカップ)で準優勝したメンバーが台頭していた。実際にアウェーで伝統国と対戦しても、母国イングランドと堂々と渡り合って引き分け、欧州屈指の実力を誇るチェコを破ったこともある。
ところがせっかく最大の収穫を望める時期にチームを率いたのは、日本サッカー協会の川淵三郎会長が思いつきの独断で決めた代表監督だった。
ジーコの就任会見で同会長は強調した。
「ジーコ監督は、しっかりとコミュニケーションが取れますから」
エキセントリックで規律に厳しく、決して自分を曲げなかった前任のフィリップ・トルシエ監督へのアンチテーゼだった。
ジーコ監督は、前体制とは対照的に選手たちを尊重し多くの自由を与えた。ただし元々そういう人物だったわけではなく、Jリーグ創設前に鹿島へやって来た時は、口角泡を飛ばし戦術を詳細に詰めていた。
変貌の理由を、ジーコ自身はこう語っている。
「代表チームは、そういうレベルではない」
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。