リーグ10戦負けなしのアルビレックス新潟 地方クラブが目指す“未踏の領域”とは

2007年から2年連続で単年度赤字に

 まず、反町康治元監督が率いた全盛期の観客動員自体が異例だったということ。当時は日韓ワールドカップ等の開催でサッカー熱が異常に高かった上、J1に向かう過程ではホームでほぼ負けなしの状態も続いていた。今ほど日本人の海外移籍も多くなく、人気選手が新潟に来るだけで大きな脚光も浴びていた。

 また、それだけの集客があったにも関わらず、スタジアムのホスピタリティも整備されていなかった。当時、ゴール裏のチケット抽選ではサポーターを炎天下や極寒の中で5時間前から並ばせていたこともあった。

 さらに事態の悪化を招いたのは招待券だ。06、07年も表面上は4万人近くの観客動員数を維持していたが、その裏では集客の落ち込みを防ぐために招待券の割合を増やしていったのである。結果、約8割だった有料チケットの割合が6割ほどにまで減少し、ファンのチケット購買意欲も低下させるという悪循環に陥ってしまった。その流れで07年からは2年連続で単年度赤字も計上している。

 直後の09年に社長に就任した田村貢氏は当時を振り返り、「あの時が一番大変でした」と苦笑する。

 だが、逆風の中でもクラブは何とか耐えた。田村社長のもと人件費を切り詰めつつ、地道な営業努力を展開し、09年以降、再び黒字に転換。以降、赤字に転落させることなく、J1平均を大きく下回る人件費で何とかトップリーグに残り続けてきた。

 それを実現できたのは有能なフロントの存在も大きい。

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