「内定取り消しはないでしょうか」 大怪我で電話も…小林悠と名スカウトが紡いだ絆「絶対にマッチする」

川崎の小林悠が引退を発表した【写真:井上学】
川崎の小林悠が引退を発表した【写真:井上学】

9月23日の緊急会見で現役引退の意向を発表

 川崎フロンターレ一筋で17年間プレーし、現役最多、J1歴代7位の通算144ゴールを挙げてきた元日本代表FW小林悠が、2027年1月1日をもって現役を引退すると表明した。39歳の誕生日だった23日に行われた緊急会見後に花束贈呈役を務めた川崎のヘッドオブスカウト・向島建氏と、無名ながらも拓殖大学サッカー部で異能の得点感覚を発揮していた小林との間で紡がれてきた、小林の象徴でもある背番号11も介した秘話を追った。(取材・文=藤江直人)

 花束を携えて会見場に姿を現した恩人から、これ以上ないはなむけの言葉をもらった。

「スカウトを始めてまだ数年のときに声をかけさせてもらって、今では自分でも間違っていなかったと思っています。あのころのフロンターレに来てくれて、フロンターレを選んでくれて本当にありがとう。これだけの活躍をしてくれて本当にスカウト冥利に尽きます。あと3か月、いいプレーをしてゴールを決めてください」

 川崎フロンターレのヘッドオブスカウトを務める向島建氏に発掘され、関東大学サッカーリーグ2部の拓殖大学から2010シーズンに加入。以来、川崎一筋で17年間にわたってプレーし、現役選手で最多、J1歴代では7位となる通算144ゴールを決めてきた異能のストライカー、小林悠がはにかみながら花束を受け取る。

「(向島)建さんは自分を見つけてくれた方なので、本当に感謝の思いしかありません」

 登壇者が伏せられたまま、川崎市内のクラブハウスで23日に行われた緊急会見。この日が39回目の誕生日だった小林は、2年目の2011シーズンから背負ってきた「11番」にちなんで午前11時から始まった会見に上下黒のスーツに身を包んで臨み、今シーズン途中の来年1月1日をもって現役を引退すると発表した。

 クラブ公式YouTubeチャンネルを介してファン・サポーターへもライブ配信された、40分以上に及ぶ質疑応答を終えて花束を贈呈された小林と向島は、スカウトと一選手の関係を超える、強く、太い絆で結ばれてきた。

 例えば2009年の秋。当時大学4年生だった小林は、声を震わせながら向島氏へ電話をかけている。

「内定が取り消しになったりはしないでしょうか」

 すでに泣きはじめていた小林は、直前の大学での活動中に右膝の前十字靱帯を断裂する大怪我を負っていた。翌2010シーズンの前半はリハビリに費やされ、復帰したとしても間違いなく戦力にはなれない。

 それどころか卒業後の加入そのものが、幻と化してしまうのではないか。心配するあまりに担当スカウトの向島氏へ電話を入れ、受話器越しに危惧していた小林は、こんな言葉をかけられて再び大泣きした。

「サッカーに怪我はつきもの。先に怪我をするか、後にするかだよ。ウチは大丈夫だから」

 小林は4年生に進級した2009年4月の時点で、卒業後の川崎加入が内定していた。3年生のときに臨んだ関東大学サッカーリーグ2部で得点王を獲得した小林の獲得を、強化部に強く進言したのが向島氏だった。

 トップ下やサイドハーフを主戦場とした麻布大学付属淵野辺高校(神奈川県)では、全国高校サッカー選手権大会に2年連続で出場した。拓殖大学では入学早々に「動き出しがいい」と理由でFWへコンバートされた。

 それでも年代別の日本代表に名を連ねた経験もない当時の小林は、大学サッカー界では全くと言っていいほど無名。それでも向島氏は、川崎のユニフォームを着て躍動する姿を確信して声をかけた。

「まずは身体のしなやかさ。全身がバネというか、どんな状況でもバランスを崩さず、トップスピードで走りながら一連の動作をスムーズにできる選手は珍しい。ゴールの枠から決して外れないポジション取りができる、いわゆる得点感覚も魅力的で必ずボールがくるところにいる。シュートのバリエーションも非常に豊富だったので」

 大学時代の小林をこう語ってくれた当時の向島氏は、2005年からスカウトを務めている。関東大学サッカーリーグ2部の中央大学から加入して、クラブを象徴するレジェンドになった中村憲剛氏(現・川崎フロンターレヘッドコーチ)をはじめ、無名の選手が数多く在籍した2000年代前半の川崎の選手構成をこう語っていった。

「ウチに無名の選手が多いのは事実ですし、なぜまた2部の大学から、とよく言われますけど、僕はチームの勝敗は度外視して個だけを見るようにしている。たとえゴールを決められなくても、動き出しが常によければ、彼が憲剛のパスを受けたらどうなるか、と。マークする選手にウチのユニフォームを着せて試合を視察する感じですね。ウチはいろいろなところからボールが出てきますから、小林は絶対にマッチすると思ったんです」

 大半を右膝のリハビリに費やした2010年シーズンを経て、12ゴールを挙げた2年目の2011年シーズンから小林の存在感が一気に大きくなってきた。2017年シーズンには23ゴールで得点王を獲得。川崎をリーグ戦制覇に導き、リーグMVPにも輝いた。覚醒するきっかけの1つとなったのが背番号の変更だった。

 ルーキーイヤーは「24番」だった小林はオフになって、強化本部長を務めていた庄司春男氏(現ベガルタ仙台ゼネラルマネージャー)から「11番が空くけど、つけてみないか」と打診された。当時をこう振り返る。

「自分自身にプレッシャーをかけて、追い込んでいくつもりで『お願いします』と言いました」

 実は身長161センチの小兵FWとして活躍し、清水エスパルス時代に「牛若丸」と呼ばれた向島氏も、川崎の黎明期に「11番」を背負っていた。恩人の継承者となった小林は積み重ねてきた数多くのゴールに胸を張った。

「本当に重みのある背番号だし、まさかこんなに長くつけるとは思ってもいなかった。そのなかで川崎フロンターレの『11番』といえば小林悠という感じで、自分の番号にできたのをすごく嬉しく思っています」

 引退会見は終わったが、ゴールを追い求める仕事はまだ続く。来年1月1日の引退としたのは、川崎が勝ち残っている天皇杯決勝が来年元日にMUFGスタジアムで行われるためだ。年内に行われるJ1リーグ戦11試合を含めて、向島氏をときめかせた異能の得点感覚に磨きをかけながら、小林は出場機会を追い求めていく。

(藤江直人 / Naoto Fujie)



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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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