カズが記者に尋ねた「森クンって誰?」 森保一の無名時代…周囲の視線は「オフト枠だろ」

日本代表合宿に参加した森保一【写真:岡沢克郎/アフロ】
日本代表合宿に参加した森保一【写真:岡沢克郎/アフロ】

オランダ戦後の会見で自ら語ったオランダへの感謝

 オランダ戦後の森保一監督の会見が話題になった。最後に自らマイクを握り、口にしたオランダへの感謝。常に先人へのリスペクトと感謝を忘れない森保監督「らしい」言動だった。ドーハの悲劇で出場を逃した1994年大会開催地アメリカでのW杯、当時監督だったハンス・オフト氏らの母国オランダとの対戦に募る想いがあったようだ。

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 オフト氏が初のプロ、初の外国人として日本代表監督に就任したのは1992年3月。会見での「私のミッションは日本をW杯に連れて行くこと」という言葉は力強かったが、まだ多くのサッカーファンにとってW杯は遠い夢、一般的にはW杯の存在さえ知られていなかった。

 初合宿は5月、静岡・浜名湖畔で行われた。ホテルでのミーティングを終えた読売クラブ(東京ヴェルディ)のFWカズがグラウンドで待つ記者のもとへ駆け寄ってきた。「ねえ、森クンって誰?」。配られたリストに「森保一」の名前。当時は検索するスマホもなく、ほとんどの記者は「知らない」と首を振った。

 80年代に比べ日本リーグは盛り上がっていたが、取材対象は読売クラブや日産自動車(横浜Fマリノス)など一部だった。マツダ(サンフレッチェ広島)は前年まで2部、新人王のFW高木琢也は知っていても、地味な守備的MFは無名に等しかった。

 記者たちは「オフト枠だろ」と気にも留めなかったが、同監督の初陣となったキリンカップのアルゼンチン戦(国立競技場)でいきなり先発で代表デビュー。決して目立ったプレーはなかったが、カメラマンが「森保ばかり撮ってしまう」とボールに絡む回数が圧倒的に多かったプレーぶりを評したのが印象的だった。

 試合後の会見、アルゼンチンのバシーレ監督に「印象に残った選手は?」という質問がとんだ。当時、対戦相手にこう聞くのは恒例。11番(カズ)や10番(ラモス)を期待しての質問だが、答えは17番(森保)だった。相手の監督から教えられた、森保の実力。もっとも、翌日の新聞各紙の見出しは「カズ」一色だったけれど(笑)。

 森保はオフトサッカーの「具現者」として、欠かせない存在になっていった。本人は謙遜するし、今ほどボランチ(当時は守備的MF)が注目されるポジションではなかった。個性派ぞろいの中で記事になることもなかったけれど、間違いなく中心選手の1人だった。

 地元広島で行われたアジアカップでは優勝に貢献。MVPはカズだったが、カメラマンたちが「影のMVP」として森保を表彰、決勝戦後のピッチでプレー写真のパネルを贈っていたのを思い出す。もちろん、長崎日大高まで無名の選手が日本代表の中心にまで成長した裏には、オフト監督の存在があったことは間違いない。

 森保監督は「オフトさんに育てていただいた」「日本人の指導者が大きな影響を受け、日本サッカーの発展につながっています」と話したが、それは記者にとっても同じだった。選手とともに、メディアにも成長してほしかったのかもしれない。合宿や大会の時、ホテルのロビーに若い記者を集め「オフト教室」を開いてくれた。

 ボール保持者に対してパスの受け手2人が三角形を作る「トライアングル」、FW、MF、DFがそれぞれ連動して動く「スリーライン」、目と目でコミュニケーションをとる「アイコンタクト」……。今では当たり前だし、ごく基本的なことだが、すべてが新鮮だった。森保監督ら指導者だけでなく、我々も育ててもらった。

 分からないことは選手に確認した。「オフト流」を知る森保にも聞いた。決して饒舌ではなかったけれど、ていねいに、分かりやすく話してくれた。クレバーで「言語化」することもうまかった。今振り返れば、当時から指導者としての資質があった。

 ドーハの悲劇がなかったら、イラクの同点ゴールがなかったら、上がったクロスに森保の足が届いていたら…、日本代表はアメリカでW杯を初体験し、その後の歴史も変わっていた。しかし、あの悲劇があったからこそサッカーやW杯が広く認知され、Jリーグの成功や日本代表の成長につながったのかもしれない。すべては「歴史」。過去があるからこそ、今がある。

 試合の興奮が抜けきれない会見で口にした30年以上前の恩人へのリスペクト、そしてその出身国への感謝。アマチュアからプロへ、日本リーグからJリーグへ、そして日本代表は出場が夢だったW杯で優勝を目指すまでになった。日本サッカーの変革期を知る森保監督が、我々の遠い記憶も呼び覚ましてくれた。

(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)



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荻島弘一

おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。

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