契約打ち切り直後に届いた「強化やってみないか?」 青天の霹靂も…V字回復へ導いた“目”

江尻篤彦強化部長は羽生英之氏の誘いで東京V入り
東京ヴェルディの江尻篤彦強化部長はご存じの通り、ジェフユナイテッド市原(現千葉)で長く働いてきた人物である。明治大学を卒業した90年に前身である古河電工入りし、98年に引退。その後、指導者に転身し、ズデンコ・ベルデニック、イビチャ・オシムといった名指揮官の下でコーチも務めた。アルビレックス新潟に2年、日本サッカー協会で年代別代表の指導者を4年経験はしたものの、プロサッカー人生の大半を千葉で過ごしてきたのである。そんな江尻氏が東京Vをどのように“勝てる集団”に変えていったのか紐解いていく。(取材日:2026年3月4日、取材・文=元川悦子/全4回の2回目)
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江尻強化部長がヴェルディ入りしたのは2020年1月。ジェフ時代に長く仕事をした羽生英之社長(2020年12月末に辞任)から誘いを受け、新天地に赴いたのである。
「2019年に千葉でフアン・エスナイデル監督の代打で指揮を執ったんですけど、17位という結果に終わり、クラブから契約打ち切りを通告されたんです。僕自身もそれが当たり前の世界だと思っていたので、潔く受け入れて、チームから離れました。
そんな時に羽生さんから『お前、現場のセンスないから、強化の方をやってみないか』と言われたんです。僕自身も将来的にはそちらの方向でやってみたいという考えもありましたし、心が動きました。ただ、全くの素人だった自分を強化トップに据えるというのは本当に恐ろしいこと(苦笑)。『よく僕に託せたな』という気もします」と本人も青天の霹靂だったことを明かす。
幸いだったのは、経済的側面をサポートしてくれるスタッフがいたこと。江尻強化部長は現場に注力し、有望な選手を獲得することに集中できた。ちょうどコロナ禍の真っ只中で、高校・大学の活動がストップしてしまった時期ではあったが、できる限り現場に足を運び、優れた人材をチェックし続けたという。
「最初は学校やクラブとの関係作りからのスタートでしたね。全て自分1人でやらなければいけなかったので、本当に手探りでしたけど、一歩一歩進んで行くしかなかったですね。
僕も2008年北京五輪代表や2011~12年のU-15~16日本代表を指導した経験があり、若いタレントを見極める目は養ってきたつもりだったので、それを信じてトライしました。
最初の年に獲得したのは、佐藤凌我(磐田)とンドカ・ボニフェイス(神戸)。凌駕は明治大学の後輩ということもありましたけど、裏へ飛び出すスピードとワンタッチゴールの嗅覚が秀でていました。ンドカは当時、水戸(ホーリーホック)にいましたけど、体が強く、1対1で勝てて、ヘディングで跳ね返す力もあった。そこが目を引きましたね。
ヴェルディは伝統的に技術に優れた選手が多く、ボールを扱わせたらピカイチ。でもフィジカルの強さを生かして球際やデュエルに勝ったり、タフなバトルを制したりというところがやや欠けているような感覚もあった。そこを埋められる人材を外から連れてこようと思って、そういった人選になりました」
江尻強化部長は6年前をしみじみと述懐するが、ヴェルディを『勝てる集団』に引き上げるためには、シンプルにバトルを制するような力強さやタフさを引き上げる必要があったのも事実。北京五輪代表に長友佑都(FC東京)や岡崎慎司(バサラ・マインツ監督)といった泥臭い面々を抜擢した経験値も生かしながら、選手補強の方向性を定めていったのである。
とはいえ、永井秀樹監督(神戸SD)、堀孝史監督(浦和レッズレディース監督)、城福監督の3人が指揮を執ることになった2021~2022年にかけては苦労もあったという。
「あの頃はまだアカデミー出身者中心の傾向が強かった。そういう状況で、ジョエル(藤田譲瑠チマ=ザンクトパウリ)や(山本)理仁(シント=トロイデン)らが出て行ってしまい、チームの軸を作れない難しさはありました。
大卒の獲得にも引き続き、注力していましたけど、ウチの場合は一番手の人材は獲得できない。2021年加入の凌我や2022年加入の谷口(栄斗=川崎)は出場機会を勝ち取りましたけど、必ずしも全員がそうなったわけではない。チームとして爆発的な成長を促せなかったことも大きかったかなと感じます」
城福浩監督就任後に確立した“ベース”
江尻強化部長は生みの苦しみも味わったが、2022年6月に城福監督就任後はチームの競争意識が上がり、選手個々も前向きに変化していった。2023年にはJ1昇格の原動力となる齋藤功佑、綱島悠斗(アントワープ)、鹿島アントラーズからレンタルで赴いた林尚輝が加入。染野も2022年に続いて2度目のレンタルでプレーするなど、選手層も拡大していったのだ。
「齋藤功佑を例に挙げると、僕自身、横浜FCの試合をよく見ていましたし、こんな選手がいるんだと思った。ウチのスタイルに合うとも感じました。彼は技術があるだけじゃなくて、運動量がすごくある。本当にいい選手で、よく2023年当時のヴェルディに来てくれたと思います。
彼のように外から取ってきた選手が使われないと、補強候補の人材がなかなかヴェルディに来てくれなくなる状況も起こり得る。他クラブからの移籍組と大卒選手、アカデミー出身者がしっかりと融合し、ヴェルディで大きく成長できるというスキームを作らないといけないという危機感は本当に強かったですね」と偽らざる本音を吐露する。
その作業を城福監督とともに進められたことで、長く遠ざかっていたJ1の大舞台に向かっていく勢いが生まれたのも確かだろう。
「勝てなかった頃のヴェルディは『ベースが曖昧』という印象が強かったですね。攻撃だけでなく守備もしっかりやることが重要だし、それを城福さんがしっかり叩き込んでくれたことが大きかった。その厳しさは僕も外から見て感じていたし、『こういう人に指揮を執ってもらえたら必ず変わる』という強い思いがありました。
城福さんの下にいる森下(仁志)コーチ、和田(一郎)コーチも城福さんが監督だから来てくれたと思います。いいタイミングで彼らにアプローチできたことも、ヴェルディのJ1復帰・挑戦の原動力になったと思う。本当に前向きな方向に進みました」と改めて感謝を口にする。
こうした努力の成果があって、ヴェルディは2023年J1昇格プレーオフ決勝で清水エスパルスを撃破し、2008年以来16年ぶりの最高峰リーグ行きを達成する。同年のチーム人件費は7億7000万円でJリーグ60クラブで中位の規模。2025年の水戸は5億円程度でJ1昇格を果たすという離れ業をやってのけたが、当時のヴェルディも決して潤沢とは言えなかったのだ。
「投じたお金に成績が比例してくる世界ではありますけど、お金を増やす努力は必要です。『お金がないからお手上げ』ではなくて、その状況でどうするかを考えたのが当時だったと思います。
選手が成長すれば、より高い移籍金が発生しますし、実際、昇格後はそういう流れも生まれている。チームバランスを維持しながら移籍金を得るというのは難しいテーマなんですが、僕ら強化部も慎重に見極めながらやっていかなければいけないと考えています」
江尻強化部長が言うように、ヴェルディは少しずつ現場に投じられるお金を増やし、結果を残して、さらに資金規模を引き上げている。東京にホームを置くクラブというアドバンテージも大きく、2024年度の売上高は37億円に上った。これは京都サンガFCやアルビレックス新潟とほぼ同規模。かつて資金難に瀕した名門は、現場の頑張り、敏腕強化トップの尽力、クラブスタッフの努力が重なって、V字回復を遂げているのである。(第3回に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















