クラブの歴史的勝利で「いい報告ができる」 33歳の苦労人…支えとなった今は亡き元日本代表の恩師

今季より滋賀に加入したGK本吉勇貴
滋賀県勢で初めてのJクラブとしてJ2・J3百年構想リーグを戦っているレイラック滋賀が、8日のロアッソ熊本との8日のホーム開幕戦を1-0で制した。ファン・サポーターを含めて、滋賀に関わる全員が待ち焦がれてきた歴史的なアニバーサリーで先発を託され、クリーンシートを達成した新加入の33歳の苦労人、GK本吉勇貴はいま亡き恩師への思いを込めながら選んだ背番号「41」を介して不思議な力を感じていた。(取材・文=藤江直人)
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日替わり守護神と呼べばいいだろうか。滋賀県民が待ち焦がれた初のJクラブとして、J2・J3百年構想リーグを戦っているレイラック滋賀が、ゴールキーパー(GK)の起用に関してユニークな方法を採っている。
初戦から第4節までの4試合で、所属する4人のGKに1試合ずつゴールマウスを託し、同じく1試合ずつリザーブでベンチ入りさせた。意図はどこにあるのか。ブリオベッカ浦安・市川の守護神として昨シーズンの日本フットボールリーグ(JFL)で滋賀と対峙し、このオフに滋賀へ加入した本吉勇貴が言う。
「最初は試合出場とベンチとを経験しながら、ローテーションで回してやっていこう、と」
今シーズンの滋賀のGK陣は、29歳の伊東倖希、33歳の櫛引政敏、36歳の笠原淳が昨シーズンから引き続き所属し、そこへ33歳の本吉が加わって4人体制となった。若手を加えた陣容とするよりも、年齢的にも近い4人が切磋琢磨しながら、GKチーム全体のレベルアップを図っていく狙いが込められていた。
伊東、本吉、笠原の順でPK戦負けを含めて3連敗を喫した後のギラヴァンツ北九州との第4節。J3への参入を果たした昨シーズンの守護神で、清水エスパルス時代のJ1で通算59試合に出場した経験があり、2016年のリオデジャネイロ五輪代表にも名を連ねた櫛引が初先発。敵地で2-1の初勝利をあげた。
迎えた8日の地域リーグラウンドWEST-Bグループ第5節は、滋賀にとって特別な意味をもっていた。初参入チームにとって一生に一度となるホームでの初陣。平和堂HATOスタジアムのゴールマウスを託され、ロアッソ熊本を相手にクリーンシートを達成し、1-0の勝利に貢献した本吉が声を弾ませた。
「Jクラブとして臨む最初のホームの試合は今日しかない。その日にピッチに立てた、というのは自分のなかでもすごく感慨深いし、もちろんうれしい。キーパーとしては失点しない、という結果が一番大事だし、それをチームメイトたちにも助けられながら一緒に達成できた、というのも本当によかったと思っています」
4人の背番号は伊東の「1」を皮切りに、櫛引が「21」、笠原が「31」、そして本吉が「41」と全員が「1」に絡んでいる。1年で戦力外を通告されたものの、本吉はクラブ名称がMIOびわこ滋賀だった2018シーズンにも所属。そのときの「1」を、8年ぶりに復帰した今シーズンは「41」を背負った理由を当初はこう説明していた。
「特に理由はないんですけど、空いている背番号のなかで『41』がいいかなと思って」
実際には違った。熊本戦後に「ちょっと意識していました」と意外な経緯を打ち明けている。
「僕の恩師が奥大介さんなんです。亡くなられてしまったんですけど、現役時代には『14』をつけてプレーしていました。その背番号をひっくり返すと『41』になるので、そういった意識もあって選びました」
奥さんは神戸弘陵高校から1994シーズンにジュビロ磐田に加入。柔らかいボールタッチと独特のリズムを駆使したドリブルと、神出鬼没のポジショニングでチャンスを次々と創出。1997シーズンと1999シーズンの磐田の年間チャンピオン獲得に貢献し、フィリップ・トルシエ監督時代の日本代表にも招集された。
2002シーズンからは横浜F・マリノスへ移籍。翌2003シーズンから「14番」を背負い、マリノスがリーグ戦連覇を達成した同シーズンと翌2004シーズンには、Jリーグのベストイレブンにも選出されている。そして2007シーズンには横浜FCへ移籍し、その年のオフにチーム側から慰留されながら現役を引退した。
翌2008年9月には多摩大学目黒高校サッカー部の監督に就任。2012年度まで指導にあたったときの教え子の一人が実は本吉だった。奥さんの現役時代の象徴だった、すねの部分が丸見えになるほどストッキングを下げてプレーする姿に「キーパーなので、それはちょっと真似できないですけど」と苦笑しながら本吉が続ける。
「高校時代の(奥さんの)教え子で、今シーズンのJリーグでプレーしている選手は僕の他にいないんですね。僕にとっていまは亡き恩師ですし、今日は勝利できて初めていい報告ができると思っています」
奥さんは38歳だった2014年10月に帰らぬ人となった。現役時代に自主トレを行っていた沖縄県宮古島市内で、調理補助を務めていたリゾートホテルへ車で出勤する途中で起こした交通事故で全身を強打した。
一方の本吉は多摩大学目黒高校から進んだ上武大学卒業後に、地域リーグやJFLでトータル11年間にわたって延べ4チームでプレー。まずは試合に出て、時間をかけて実力を養いながらチャンスを待ち続けた。
そして浦安の守護神として、昨シーズンのJFL最少失点に大きく貢献したシュートストップ力が、J3への参入とともに4人目のGK獲得を進めていた古巣・滋賀を再び振り向かせた。待ち焦がれてきたJリーガーになった本吉は9月には34歳になる。気がつけば奥さんが天国へ旅立った年齢に近づきつつある。
そしてローテーション制のもとで、FC琉球との第3節で初先発が巡ってきた。Jリーグ公式戦でデビューを果たした一戦は、両チームともに無得点のまま前後半の90分間を終え、百年構想リーグの特別ルールで突入したPK戦も一巡目を終えて決着がつかない。最終的には13-14で琉球に軍配が上がった。
先蹴りの滋賀の14人目が外し、琉球の14人全員に決められた悔しさを本吉はいまも忘れていない。
「やはりどこかで(PKを)止めたかったし、あの試合も勝ちたかった。その意味で勝って、なおかつ反省しながら次の試合を迎えられるのは本当に幸せなこと。チームからは『4人で切磋琢磨しながら、誰が出てもいいように』と言われているので、練習からまた頑張って、次も勝てるように準備していきたいですね」
PK戦で敗れたとはいえ、第4節までにただ一人、クリーンシートを達成した結果を残したからこそ、本吉は大事なホーム初戦で先発を託されたのだろう。沖縄戦はアウェイの開催であり、奥さんが旅立った場所でもある。背番号越しに不思議な縁も感じながら、33歳の苦労人は滋賀のゴールマウスで放つ存在感をさらに強めていく。

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。











