日本代表GKの少年時代「父が買ってくれて」 教材は伝説的GK…繰り返し見た“ビデオ”

現在はジュビロ磐田でGKコーチを務める川口能活氏【写真:増田美咲】
現在はジュビロ磐田でGKコーチを務める川口能活氏【写真:増田美咲】

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:川口能活(ジュビロ磐田GKコーチ)第1回

 日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。

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 FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。今回は、GKとして歴代最多となる日本代表116試合出場を誇る川口能活のルーツに迫る。少年団時代から世界のトップGKたちの映像を見る機会を得て、その技術を会得。世界を見据えながら鍛錬を続け、日本サッカー史に名を残すGKとしての基盤を築き上げていった。(取材・文=二宮寿朗/全6回の1回目)

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 炎の守護神と呼ばれた川口能活には、戦いの「現場」がやはりよく似合う。

 古巣であるジュビロ磐田のGKコーチに就任して4シーズン目。秋春制移行に伴う異例のハーフシーズンとなる百年構想リーグが開幕し、J2のジュビロはホームのヤマハスタジアムにJ3のAC長野パルセイロを迎えた。90分で同点の場合、PK戦に移行して決着をつけるのが百年構想リーグの大きな特徴であり、早速その場面が訪れることになった。

 川口は日本代表でチームメイトだったベテランの川島永嗣に対し、PK戦に入るまでの短い時間を使って資料を示しながらアドバイスをして送り出している。川島は2人のキックを止めてチームは勝ち点「2」を手にした。

 GKの活躍が例年以上にカギを握るシーズンとなり、当然ながらGKコーチの役割も大きくなる。

 川口は言う。

「僕がJリーグで出始めた1995年にはPK戦がありました。ただ延長戦まで戦った後なので、ある程度想定や心の準備ができていた。でも(百年構想リーグは)90分終わってすぐPK戦になるので、そのあたりは違いがあります。

 GKコーチとしてはできるだけ相手の情報を集めておかなければならないし、開幕戦も自分でメモしていたものを永嗣に伝えてはいます。こういう作業がこれまでよりも必要になってくるでしょうね」

 川口能活、50歳。

 日本サッカー界が誇る名GKである。ブラジルを撃破した96年アトランタ五輪での“マイアミの奇跡”も、日本代表が初めてワールドカップ(W杯)出場を決めた97年のアジア第3代表決定戦“ジョホールバルの歓喜”も、彼の活躍なくして歴史の扉は開かなかった。98年のフランスW杯をはじめ4大会連続でメンバーに選ばれ、日本人GKとして初めて欧州でプレーしている。JリーグでもJ1、J2、J3と3つのカテゴリーで計507試合に出場し、43歳まで現役を続けたレジェンド中のレジェンドだ。

 GKコーチがいるのは当たり前の時代。だが、川口が小3途中からGKに転向した80年代は、GKを専門に指導する人がまだまだ少なかった。Jリーグ誕生前のJSL(日本サッカーリーグ)ではGKコーチを置くほうが珍しかった。

 そんな環境のなか、なぜ日本を代表するGKが育まれていったのか。サッカーが盛んな静岡で育った彼は「恵まれていた」と語る。

「僕が通う(富士市の)天間小の少年団に入って、ラッキーだったのはチームメイトのお父さんがたまたまGK経験者だったので、キャッチングなど基本的なことを教われたんです。東海大第一中では顧問の桜井(和好)先生が、イングランド代表だったピーター・シルトンのビデオを渡してくれました。僕はその映像を本当に繰り返し見て技術を学びましたね。桜井先生はサッカー経験がなかったけど、コーチングを学んでいましたし、理科の先生というのもあって教え方が理論的で分かりやすい。“ヒジを絞れ”と言われてそうすると、確かに(ボールを)吸収しやすくて(笑)。先生の指導とシルトンの映像が自分にとってはとても大きなものでした」

 全体練習後にみんなのシュートを受け、桜井のもと居残りで厳しい特訓を続けた。そしてシルトンを意識するよう、叩き込まれている。心身ともに鍛えられた川口は全国中学校サッカー大会で優勝を経験するなど、新世代のGKとして注目を浴びるようになる。

 名門・清水商に進学すると、大滝雅良監督もまたGKの技術を世界から取り入れようとした人であった。ブラジルからわざわざプロのGKコーチを招聘して、川口の指導を依頼している。加えて川口はブラジル代表GKジルマールのプレー映像と試合映像がセットになっているビデオを渡され、それを新たな教材とする。

「真似しようと一生懸命」映像から学んだことを自身の力に

 シルトンの映像といい、ジルマールの映像といい、教材を自分のなかにしっかり落とし込めるのが彼の強みでもあった。確かな観察眼と分析力なくしては難しい。その原点は小学生時代にあったという。

「小5の時に父がVHSのビデオデッキを買ってくれて、最初に録画したのが1986年にリーベル・プレートとステアウア・ブカレストが戦ったトヨタカップでした。ビデオテープが擦り切れるまで何度も見ていましたね」

 まだドロップキック主流の時代に、彼はジルマールを参考にして、見よう見まねでパントキックを取り入れている。実戦で取り入れるのはプロになってからだが、その姿勢こそが成長を促していた。

「ジルマールのキックがとにかくかっこよくて、美しいんですよ。僕の場合は同じように蹴ったつもりでもボールが上に行ったり、下に行ったりで(軌道が)全然安定しなかったですね。蹴るタイミング、体の向き……ポイントを見つけながらあとは練習していくだけ。ジルマールは蹴る時に力が抜けているんですよね。そこも意識しました。キックだけじゃなくて、セービングの動き一つ取っても無駄がないんです。自分もそうなりたいと思って真似しようと一生懸命でしたね。W杯も見始めるようになり、GKの動きばかり追っていました。桜井先生、大滝先生に教えていただきながら、自分のやり方というものを身につけていった感じはありました」

 桜井、大滝という2人の恩師によって、視線は自然に世界へと向けられた。常に視座を高くして、現状に満足することもなかった。アンダー世代の日本代表に名を連ね、高校2年時にはAFCユース選手権に飛び級で出場している。しかし準決勝で韓国代表に敗れ、ワールドユース出場権を逃がした。

「幸運にも世代別の代表に選出されて、そこで何度も壁にブチ当たりました。自分はまだまだだっていつも思わされていましたし、次も呼ばれるためには頑張ろう、と。こういうプレーをしたい、いいプレーをしたい、そして勝ちたい。高校の試合、代表の試合を含めて数多く実戦経験を得たことも成長できた要因になったのかなとは感じています」

 清水商では3年時にキャプテンとして、のちに五輪代表、A代表でもチームメイトとなる田中誠らとともに全国制覇を果たしている。

 技術の精度を上げつつ、プレッシャーのかかる実戦で場数を踏みながら、そこで出た課題と向き合っていく。そのサイクルを繰り返していく日々でもあった。

 成長につなげていけるしっかりとした自分の土台ができ上がったからこそ、希代のGKへと進化を遂げていくのである。(文中敬称略/第2回へ続く)

■川口能活 / Yoshikatsu Kawaguchi

 1975年8月15日生まれ、静岡県出身。清水商業高校(現・清水桜が丘高校)から94年に横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入し、2年目の95年よりレギュラーに定着。1stステージ優勝と年間優勝に貢献し、Jリーグ新人王を獲得した。2001年にはポーツマス(イングランド)に移籍し、日本人GKとして初めて欧州でプレー。ノアシェラン(デンマーク)を経て05年にジュビロ磐田でJリーグ復帰を果たすと、13年まで在籍。FC岐阜、SC相模原でプレーし、18年のシーズン終了とともに現役を引退した。日本代表ではGKとして史上最多となる116試合に出場。W杯は1998年フランス大会から2010年南アフリカ大会まで4大会連続でメンバーに選出された。引退後は指導者の道に進み、23年より磐田のGKコーチを務めている。

(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)



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二宮寿朗

にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。

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