元日本代表が覚醒した契機「大樹さんが」 異国の指導者から…日本では「少なすぎる」

独占インタビューに応じた西大伍氏【写真:増田美咲】
独占インタビューに応じた西大伍氏【写真:増田美咲】

西大伍「今の日本サッカー界はポジション別指導が少なすぎる」

 右サイドバック(SB)へのコンバートによって、自身のキャリアが大きく変化した元日本代表の西大伍。最も大きな成果を残したのが、2011~18年の8年間にわたって在籍した鹿島アントラーズ時代だろう。(取材・文=元川悦子/全7回の3回目)

新作『サカつく2026』をJクラブ社長2年目の細貝萌が体感 経営の醍醐味を体験できるリアルな世界観とは?

   ◇   ◇   ◇

 当時の鹿島は2007年から始まった黄金期を迎えており、2016年のJ1、2011・12・15年のヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、2016年の天皇杯、2018年のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)と、ほぼ毎年のように頂点に立っていた。西もその原動力としてタイトルを総なめにしたのである。

 そもそも西が鹿島に赴いたのは、2010年南アフリカワールドカップ(W杯)直後に内田篤人(解説者)がシャルケへ移籍した半年後。内田と同じように技術・戦術眼が高く、クレバーさを備えている右SBを探していたクラブにとって、まさに最適なチョイスだった。

「僕はもともとあんまりサッカーを見ないんですけど、日本代表で篤人がどういうプレーをしていたかはある程度、知っていました。でも、自分が篤人と同じタイプだと思ったことはないんです。たぶん篤人も同じじゃないかな。

 お互いに前目のポジションからだんだん後ろに下がってきた選手だし、高いレベルでやっている分、目に見えない共通理解みたいなものはありますけど、複数ある選択肢のなかで同じプレーを選ぶかと言ったら、そういうわけではないと思う。体の向きとかボールの持ち方とかも違いますからね」

 本人はこう分析するが、当時は無尽蔵にアップダウンできるタイプのSBが多かったなか、西や内田というのは異質の存在だった。だからこそ、鹿島は西にオファーを出したに違いない。その思惑通り、西はすぐさまチームにフィットし、2011年にはアルベルト・ザッケローニ監督率いる日本代表に抜擢されるに至った。

「でも、あの頃はSBとしてどうやって守備をするか分かんなかったんですよ(苦笑)。どうやって守備をするかを教わったことがなかったから。石さん(石崎信弘・現松本山雅監督)にそこで使われて、あれよあれよと代表まで入っちゃいましたけど、実際、そういう基礎が全くない状態だったんです。

 鹿島移籍翌年の2012年に、大樹(岩政=東京学芸大学監督)さんがFCバルセロナの始動に関わったコーチの人を呼んでくれたことがありました。その場には(柴崎)岳も参加したと思いますけど、SBの守備だったり、相手がボールを持ったときに自分がどう動くとか、攻撃の芽を切るタイミング、シュートを打たれたときにこぼれ球に反応するといった細かい部分で初めて体系的に学ぶことができた。その指導を受けたことで、ようやく自分なりにつかめた部分ありましたね」

 その経験を踏まえて、「今の日本サッカー界はポジション別指導が少なすぎる」と西は痛感しているようだ。

「FW出身の人が監督になって、SBに何かを教えられるかというと、ムリなんじゃないかなと僕は感じます。アメフトみたいに専門的なコーチが増えていくべきだと思いますね。

 今の日本代表のコーチングスタッフを見ても、森保(一監督)さんと長谷部(誠)さんがボランチ、名波浩さんがボランチと攻撃的MF、前田遼一さんがFWとかいろいろなポジション経験者がいますけど、SBの人は誰もいない。だからこそ、もっと専門化していく必要があるのかなと。僕は自分の経験からそういう思いがありますね」

 もともとのサッカーセンスに加え、鹿島移籍、岩政という大先輩との出会いによってSBとして開眼する機会を得た西。Jリーグでの実績は目覚ましいものがあったが、日本代表定着のハードルはやや高かった。内田篤人、長友佑都(FC東京)の両SBが君臨していたうえ、下の世代の酒井宏樹(オークランドFC)、酒井高徳(神戸)が海外移籍によって飛躍。そこに割って入るチャンスは少なかった。

「僕自身としては、鹿島で活躍していた頃、『もうちょっと選んでくれてもいいかな』という気持ちはありましたね。でも当時の代表は今ほど主導権を握るスタイルじゃなかった。(ヴァイッド・)ハリルホジッチ監督のフィジカル能力の高いSBを置きたいという意向も分かっていたので、仕方なかったですね。

 宏樹も高徳も一緒にプレーしたので、彼らの能力の高さもよく分かります。

 まず宏樹は身体能力と守備の範囲の広さがものすごかった。広い範囲をカバーできるだけの力があったから。ディフェンスってキレイにやってボールを奪うのは難しいですけど、宏樹はファウルかファウルじゃないかスレスレの駆け引きで守り切っちゃいますよね。

 高徳は(アルビレックス)新潟と(ヴィッセル)神戸で一緒にやってますけど、海外に行って技術力が上がりましたね。もともとフィジカルはありましたけど、すごくうまくなった。変化を強く感じました。メンタル的に外国人っぽいって言われるけど、僕から見るとむしろ日本人っぽいかな(笑)。表立って意見や主張をしているのはけっこうアピールしているところもあると思うし、いつも周りに気を使ってくれる。ホントにいいやつです」

 結局、代表キャリアは2011年6月のペルー戦(新潟)と2019年3月のボリビア戦(神戸)の2試合のみとなったが、8年がかりで2つの国際試合に出た選手というのは滅多にお目にかかれないだろう。しかも、その会場が自身のプレーしたクラブのある場所ということで、西にとっては思い出深い出来事だったに違いない。キャップ数は少ないものの、濃い記憶として本人の脳裏に刻まれているはずだ。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



page 1/1

元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング