経営サイドが現場に介入「ベテランは極力使うな」 元日本代表が実感…JFLの難しさとは

インタビューに応じたタンピネス・ローヴァーズの小林祐希【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
インタビューに応じたタンピネス・ローヴァーズの小林祐希【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

小林祐希「150点のプレーをするときとマイナス50点のプレーをするときと」

 2025年のJFLを見ると、ヴェルスパ大分の金崎夢生、いわてグルージャ盛岡の西大伍のように元日本代表クラスの選手も参戦していた。関東リーグ1部・南葛SCで今野泰幸がプレーするご時世なのだから、JFLに有名選手が赴くのも決して不思議ではないのだ。指揮官の顔ぶれを見ても、レイラック滋賀が角田誠監督、ブリオベッカ浦安・市川が都並敏史監督、クリアソン新宿が北嶋秀朗監督と元トップ選手がズラリと並んでいる。

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 それだけ百戦錬磨の面々がいても、簡単に勝てないのがこのリーグの難しさ。2025年に優勝したのは、長年、アマチュアを貫いているHonda FC。今季からJ3に参戦する滋賀も2位からアスルクラロ沼津との入替戦を経て、何とか昇格をつかんでいるのだ。昨年1年間、同リーグでプレーした小林祐希(タンピネス・ローヴァーズ)は、JFL独特の難しさをこう説明する。(取材・文=元川悦子/全6回の4回目)

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「JFLの選手は150点のプレーをするときとマイナス50点のプレーをするときと波が激しい傾向が強いんです。そうなると選手全体の平均値が下がる。そういう特性を理解したうえで、少しでも平均値を上げられるチームが上位に行けると僕は思います。

 今回J3に上がったレイラックともシーズンで2回対戦があって、自分がピッチに立ったのは1試合でしたけど、僕らの方が3-1で勝った通り、突出した印象はなかった。内容的にもグルージャの方が圧倒していましたし、相手もいいときと悪いときの差があったのかなと感じます。

 そういうなかで、やっぱり一番強いのはHonda FC。彼らは全員が社員で安定した立場でサッカーと向き合えるし、環境面も整っている。それはすごく大きいですね。でも『プロになって成り上がってやろう』という野心はない。そういうチームに負けると、僕らプロ選手はダメージを食らう。やっぱり悔しいですね」

 どのチームも始動時は理想のサッカースタイルを掲げ、内容にこだわろうとする。だが、開幕してから思うように結果が出ないと、堅守をベースにタテへの推進力を押し出すシンプルな戦い方へシフトしがちだ。

「グルージャは最後までボールを保持しながら主導権を握るサッカーを貫きましたけど、レイラックを筆頭に上位のチームはそういう傾向が強かったように感じます。

 ただ、僕らも経営サイドが現場に口を出してくることが多くて、『25歳以下の若い選手を主に使え』『小林や藤本(憲明=福山シティ)のようなベテランは極力使うな』といった指示を現場に出していたという話も聞いたので、星川敬監督もチーム作りはかなり難しかったと思います。

 GMの水野晃樹さんは1年目で、限られた予算のなかから選手を揃えようとしていたし、自分のGM像を作ろうと本当に頑張っていたけど、大変だったとは思います。彼は元トップ選手のキャリアを生かして一緒にボールを蹴ったり、精度の高いクロスを蹴ってくれたりと、できることを懸命にやっていた。そういう姿勢をもっと尊重してほしかったなと感じますね」

 クラブ運営の難しさに触れた小林。下部カテゴリーになれば、オーナーが現場に意見を言うことも多くなり、それが混乱を招くケースもしばしば散見される。経営・現場・ホームタウン・サポーターが一丸となって上を目指していく機運を作るのはそう簡単なことではないのだ。

「僕も1年前は熱意を持って誘ってもらいましたけど、契約延長の話はなかった。チーム最多得点でベストイレブンに選ばれた藤本ノリでさえも契約満了になるくらいなので、自分に残留の話が来ないのも頷けます。ただ、グルージャに行ったことに後悔はしていません。サッカーは楽しかったし、いろんな学びもありましたからね」

 そう割り切った小林が次なる挑戦の地として選んだのが、シンガポールだった。2026年は同プレミアリーグのタンピネス・ローヴァーズへ移籍。自身5つ目の海外でさらなる高みを目指すことに決めたのだ。

 このクラブは2025年6月に日本人投資銀行家の坂本俊吾氏がクラブの経営権を取得。会長に就任している。そのタイミングで元日本代表の李忠成がGMに就任。ジェフユナイテッド千葉でプレーしていた風間宏矢を昨年8月に獲得するなど、日本人選手の補強に力を入れ始めている。その流れで小林にも声がかかったのだという。

「チュンくん(李忠成の愛称)は昔からメチャメチャお世話になっている人。地元も東村山と保谷(現西東京)と近いし、本当にかわいがってくれていたんです。そのチュンくんが『祐希、シンガポールに来いよ』と夏くらいから言ってくれていたんで、恩返ししたいなと思っていたんです。

 実を言うと、他のアジアの国に行く話もあったんですけど、やっぱり自分は人と人の信頼関係や絆が第一。サッカーのレベルとかお金とかも大事ですけど、『この人と一緒にやりたい』と思わないと、新たな環境には行けない。そういう気持ちで決断して、失敗もありましたけど(苦笑)、自分は人情を大事にする人間。そこは30代になっても変わらないし、これからも大切にしていきたい部分ですね」

 晴れやかな表情でこう語り、12月下旬には新たな異国へ赴いた小林。2026年は本当に充実したシーズンになることを切に願いたいものである。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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