元日本代表が4部移籍「迷いはなかった」 若手に「ブチ切れたりも」…取り戻した情熱

小林祐希「消えかけた火が再びつくんだなと。そんな気持ちになりましたね」
ちょうど1年前の2024年末に北海道コンサドーレ札幌を契約満了となり、その後のサッカー人生をどうするかを考えなければならなくなった小林祐希(タンピネス・ローヴァーズ)。その時点ではサッカーへの熱量がかなり冷めかけていたという。(取材・文=元川悦子/全6回の3回目)
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
◇ ◇ ◇
そんなときにオファーを受けたのが、JFL降格を余儀なくされたいわてグルージャ盛岡(略称=いわて)。2022年にJ2初参戦を果たしたものの、2023、24年とJ3で下位に沈み、4部リーグに落ちてしまったクラブの“再建請負人”の1人として白羽の矢が立ったのである。
「いわての経営に関わっている人のなかで、すごくお世話になっている方がいて、札幌にいたときもずっと応援してもらっていたんです。『祐希はこの2年間、苦しそうだったから、グルージャで楽しくサッカーをやれよ』と言ってくれて、背中を押してもらったんです」
確かにいわては2024年シーズンにJFL降格を強いられ、経営再建に乗り出そうとしていた矢先だった。ゆえに、2025年は藤本憲明(福山シティ)らJリーグで実績のある面々を何人か補強。J3のY.S.C.C.横浜で指揮を執った経験のある星川敬監督を招聘し、1年でJ3返り咲きを狙ったのである。
「『JFLか。でも、やってみようかな』という気持ちになりました。カテゴリーが4部になるということで、思うところもあったけど、J2やJ3のクラブもカップ戦でJFLに苦戦したりすることもある。そういう意味では、やりがいがあるのかなという感覚もありました。
実際、盛岡に行ってから仙台と練習試合をしたことがあったけど、正直、そこまでの差は感じなかったですね。相手も本気でやってないところはあったんだろうけど、僕らの方がずっとボールを握っていた。どういう環境であろうとも、ピッチに再び立って楽しくサッカーができれば、消えかけた火が再びつくんだなと。そんな気持ちになりましたね」
これまでのキャリアでは、自分の良さを発揮できない時期が何度かあったが、いわてでは同じ東京ヴェルディ出身でユース時代に指導を受けた星川監督の下、比較的自由にプレーさせてもらったこともあり、前向きに取り組めたという。
「星川さんは『好きにやれ』と言ってくれましたね。守備面は戦術的なところがありましたし、僕に与えられたタスクもありましたけど、攻撃的なところは任せてくれた。
そうやって自分の考えでプレーさせてもらえる環境だと、責任感が伴うじゃないですか。だからこそ、燃えるものがあった。もちろん周りのレベルが少し落ちるので、そこは物足りなさを覚える部分もありましたけど、2025年は毎週の試合はすごく楽しかった。
グルージャにいた選手はあるときは信じられないほど輝くけど、あるときは想像できないミスをするという感じで、ものすごく波が大きかった。そこは『オイオイ』と言いたくはなりましたけど(苦笑)、夏以降は選手もだいぶ固まって、さらに能力ある選手も加わったんで、メチャクチャよかった。久しぶりに充実した時間を過ごせたと思います」
2025年限りで引退した西大伍、中村充孝(現鹿島スクールコーチ)、ヴィッセル神戸で共闘した藤本のように気心の知れた面々と共闘できたのも小林にとってはプラスだった。水野晃樹GMも2024年まで現役でプレーしていた元日本代表選手で、現役目線に立ってサポートしてくれたはず。小林にとっては本当にいい環境だったと言っていい。
「星川監督もスタッフも選手たちもメチャメチャ高いモチベーションでサッカーに臨んでいましたね。大伍とか藤本ノリなんかは大ベテランと言ってもいいくらいの年齢じゃないですか。それなのに練習も100%でやるし、筋トレも全力でやるんです。
大伍は引退が決まっていた最後の試合もいつもと同じ準備を1週間かけてやっていました(笑)。もう終わりだと思えば、毎日飲みに行ってもいいくらいなのに、絶対にそういうことはしない。少しでもレベルアップしようというストイックな姿勢を示していたし、ミーティングとかで映像を見ながら『もっとこういうふうにやればいい』と意見も言っていた。最後までプロフェッショナルのプライドがあったんだろうし、本当にサッカーが大好きなんだなと痛感させられましたね」
何と言っても西は、鹿島アントラーズに在籍していた2018年にAFCチャンピオンズリーグ制覇を経験した名選手。当時は偉大なレジェンド・小笠原満男(現アカデミー・テクニカル・ダイレクター)もいて、プロである以上、自分のベストを追求し続ける姿勢を学んだからこそ、そういった立ち振る舞いを見せていたのだろう。そういうチームメイトからプロサッカー選手としてのあり方を再考するきっかけを得たのは、大きな収穫だったはずだ。
「自分も向上心が強いし、負けず嫌いなので、JFLに行って間もない頃は、『なんでこんなことができないのか』とすごく感じた。苦言を呈することが多くなって、ブチ切れたりもしていましたね。夏以降はあまりいろいろ言わないように意識的に変えたんです。最終的にはやる気のあるメンバーだけが残っていき、みんなで成長しようと努力するようになったし、いいプレーが多くなっていった。監督もメンバーを見極めて、組み合わせや起用法の最適解を見出したことも大きかったと思います」
新たな環境で手ごたえを感じ、周囲から刺激を受けた小林だったが、残念なことにチームは9位でフィニッシュ。1年でのJ3復帰は叶わなかった。同じタイミングでJFLに落ちてきたYS横浜も13位に沈み、カズ(三浦知良=福島)を擁したアトレチコ鈴鹿も15位という結果に終わった。優勝したのは、今季もアマチュアの雄・Honda FC。そのあたりがJFLの難しさなのだろう。未知なるリーグに身を投じた小林もあらゆる意味で大きな学びを得た1年間だった。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。



















