元日本代表の本音「なんでそんな扱いを受けるのか」 監督と大きな溝…移籍で失った自信

小林祐希「札幌へ行くことになり、僕としても新たなチャレンジに燃えていました」
2022年7月にJ1のヴィッセル神戸へ赴き、2016年以来のJリーグの舞台に戻ってきた小林祐希(タンピネス・ローヴァーズ)。アンドレス・イニエスタを筆頭に、大迫勇也、山口蛍(長崎)、酒井高徳らスター選手がズラリと並ぶこのチームで再起を図れることは、朗報だったに違いない。(取材・文=元川悦子/全6回の2回目)
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しかしながら、同年の神戸は予想外の苦境に直面していた。開幕時点では三浦淳寛監督が率いていたものの、下位に低迷したことでリュイス・プラナグマ、ミゲル・アンヘル・ロティーナ両監督が短期間指揮。それでも浮上のきっかけを見出せないと見るや、今度はクラブOBの吉田孝行監督(現清水)が就任することになったのだ。
小林が赴いたのはまさにそんなタイミング。リーグ終盤7試合は連続スタメン出場し、アビスパ福岡、サンフレッチェ広島、川崎フロンターレ戦で立て続けにゴールを奪うなど、J1で十分戦える底力を示したかと思われたが、同年末には神戸を離れることになったのだ。
「江原FCで構想外のような扱いになり、『日本に帰りたいな』と思っていたときに、東京ヴェルディの大先輩に当たる永井秀樹さん(現GM)が声をかけてくれました。そのときの自分は正直言って、『もう終わった人間』だと思われていた。ハッキリとモノを言うキャラクター含めて扱いづらいイメージがあっただろうし、なかなか他クラブから声がかからなかった。そういうなかで、気にかけてくれた永井さんには心から感謝しました。
神戸はそのとき、最下位争いをしていて、チーム事態は厳しかったけど、僕自身は久しぶりにモチベーションの高い状態で毎日を過ごすことができた。その頃はホテル暮らしをしていたんだけど、毎朝6時に出発して、いぶきの森へ行き、6時45分から風呂入って体を温めて、7時から個人調整をスタート。9時からの全体練習に参加していましたからね。午後も少し昼寝をした後、夕方にピラティスとか筋トレをしたりして、夜に飯食って寝るっていうサッカー一色の生活でした。
槙野(智章=藤枝MYFC監督)くんやヨッチ(武藤嘉紀)、藤本ノリ(憲明=福山シティ)とはよく一緒に食事に行ったし、年齢に関係なくみんなでランチや夕飯も行くようないい関係を作れていました。アンドレスもいたし、みんなうまいからサッカーもイメージ通りいくし、この2022年後半が近年では最高に楽しかった。もうちょっとやりかったというのが本音のところです」
ただ、契約延長とはならなかった。前述の通り、シーズン終盤には数字を残したものの、「大人の事情があるじゃないですか」と本人も苦笑する。せっかくフィットしつつあったチームを出ていくのは本当に辛いこと。それでもサッカー選手である以上、次なる環境を見出し、そこで結果を残さなければならない。小林は割り切るしかなかった。
「そのタイミングで僕を呼んでくれたのが、ミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ=現名古屋監督)でした。ミシャが率いていた札幌へ行くことになり、僕としても新たなチャレンジに燃えていました」
3年前に思いを馳せる小林。ところが、希望は瞬く間に打ち砕かれてしまう。小林はチェ・ヨンス監督に直々に呼ばれながら使われなくなった江原FCと同じような道を辿ることになったのだ。
「2023年1月頭に札幌に合流して、沖縄キャンプから始まったんですけど、監督は自分が認めている選手以外のよさをあまり見ようとしないように僕には感じられました。『あれがダメ』『これがダメ』と言われ、『自分がいる意味があるのかな』と疑問が湧き上がってきて、メチャクチャ高かったモチベーションが徐々に下がってしまったのが正直なところです。
監督と強化部の意思で僕を取ってくれたはずなのに、なんでそんな扱いを受けるのか、ホントに謎でしかなかった。途方に暮れる日々でした」
包み隠すことなく事実を打ち明けた小林。仮に意思疎通のズレがあったとしても、強化担当やコーチングスタッフが立ち合って、しっかりとお互いの理解を深める努力をすれば、大きな溝にならずに済むケースも多い。けれども、このときの札幌はそういったサポートが足りなかったようだ。
「それからは自分のプレーに対して『違う』と言われることが多くなった。僕もムリに合わせようとすればするほど、自分のプレーができなくなっていった。『俺じゃなくなったら意味ないよな』というジレンマに陥っていきました。そういう考え方になるのは、5歳のときから同じ。30歳を過ぎても変わらないんですよね」
結果として札幌では2年過ごすことになり、チーム状態次第でチャンスが回ってくることもあったが、いいプレーをしても外されることが多かった。「その理由が分からず、本当に戸惑いました」と小林は困惑の表情を浮かべる。
「自分をスタメン起用としていた週の練習で、僕のポジションがコーンで四角に囲われていたことがあったんです。『お前はここから出るな』と言われましたね(苦笑)。僕もプロサッカー選手なんで、そういうポジションのベースは分かりますし、守備組織を崩してでも逆サイドに行ったりするつもりはなかった。それでもそんな扱いを受けてしまうと、自分らしさはなくなってしまいますよね。あの2年間はプレーがかなり縮こまったし、ダイナミックさも失われた。本当に『マジでサッカー辞めよう』と思ったくらいでした」
まさに困惑の日々を強いられた小林。札幌という土地やチームメイト、サポーターは愛してやまないものがあったが、監督との食い違いの着地点は最後まで見出せなかった。小林にとって4つ目のJクラブでの日々は、不完全燃焼のまま幕を閉じたのである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。



















