日本のために「死ぬ覚悟」 日韓W杯で歴史的ゴール→英雄も…痛感した「力のなさ」

日韓W杯ベルギー戦で同点ゴールを決めた鈴木隆行氏【写真:ロイター/アフロ】
日韓W杯ベルギー戦で同点ゴールを決めた鈴木隆行氏【写真:ロイター/アフロ】

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:鈴木隆行(UNBRANDED WOLVES SOCCER SCHOOL代表)第3回

 日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。

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 FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。Jリーグでの活躍を受けて日本代表に抜擢された鈴木隆行は、フィリップ・トルシエ監督の信頼をつかみ、日韓W杯初戦のベルギー戦でも同点弾を叩き出した。それでも「力のなさ」を痛感したストライカーは、欧州へと戦いの場を移していくことになる。

 ◇   ◇   ◇

 意志の強さは、勝負強さに比例する。

 鈴木隆行を見ていれば、それはよく理解できる。

 フィリップ・トルシエ監督から日本代表のスタメンに初めて抜擢された2001年6月、カメルーン代表とのコンフェデレーションズカップ、グループステージ第2戦。右に出て逆サイドからのロングパスを受け、右足で流し込んで先制ゴールを挙げると、2点目は高い位置でボールを奪った右サイドからのクロスを頭で合わせた。川崎フロンターレで「事実上の戦力外」に追い込まれてから1年も経っていないなかでの、超がつくほどの反転攻勢。結果の背景には、凄まじいほどの覚悟があった。

 彼は言う。

「これは自分のなかで思っていたことですけど、ピッチのなかでは『いつ死んでもいいんだ』と。(ピッチに)放り込まれたら覚悟はもう決まっているので、怖くも何ともない。頭にあるのは、相手に勝つことだけ。時代は違いますけど、侍ってきっとそうだと思うんです。死ぬ覚悟があったら、斬られるのも怖くないんだなって」

 日本の勝利のために死力を尽くす。

 目の前の相手とバチバチやりあってゴールに向かっていく姿は、武闘派を好むトルシエの眼鏡にかなった。日本代表に定着するようになり、2002年日韓W杯のメンバーにも順当に選出される。

 日の丸を胸に戦っているうちに、心境の変化も訪れた。

「クラブの場合は、そのクラブを自分のなかで背負っているし、ダメだったら自分で責任を取れる。でも国を背負う代表は、自分だけで責任を取り切れない。そういう怖さというものはありました。日韓W杯の頃がそうでした」

 ピッチのなかでいつ死んでもいい、は言わば自分だけの感覚。それが日本国民の願う使命感、責任感を背負おうとすると、自分の思い以上にどでかいものだと実感した。

日本を救うゴールを決めた後、鈴木隆行氏の中に去来する想いがあった【写真:近藤俊哉】
日本を救うゴールを決めた後、鈴木隆行氏の中に去来する想いがあった【写真:近藤俊哉】

「ずっと続けてきたこと」 鈴木隆行の“ストーリー”が重なったゴール

 6月4日、ベルギー代表とのグループステージ初戦。鈴木は熟睡できないまま、当日の朝を迎えていた。使命感、責任感がさらなる緊張を呼び寄せる。バスで埼玉スタジアムへ向かう沿道は人に溢れ、手を振ってくれていた、声援を送ってくれていた。嬉しく感じるとともに、気が引き締まる思いだった。

 日本が初出場した1998年フランスW杯は3連敗。勝利どころか勝ち点1すら挙げていない大舞台で、結果を出すことは絶対だった。

 先発のピッチに立つ鈴木は、ウォーミングアップ中もずっと緊張が解けていなかった。表情も体も硬かった。だが君が代が流れ、掲げられた日の丸を見つめていくうちに嘘のように緊張がどこかに飛んでいった。体に、心に力がみなぎっていくのを感じていく。

 一進一退の攻防が続くなか、後半12分にウィルモッツのオーバーヘッドで均衡が破られてしまう。スタジアムが一瞬にして静まり返る。だが苦境にある時ほど、弱気を寄せつけない鈴木にボールが引き寄せられていく。

 失点からわずか2分後だった。

 自陣の左サイドで中田浩二が相手からボールを奪うと、フリーになっていた小野伸二へ渡る。と同時に鈴木が前へ走り出していた。

 ロングパスが送られた状況は1対2であり、かつボールが飛んだ位置は相手のほうが近い。チャンスになる雰囲気はなく、ボールから遠いほうのディフェンダーは動きを止めた。ところがバウンドボールに対し、あきらめずに食らいついた鈴木は対峙したディフェンダーと入れ替わり、2度目の小さなバウンドに合わせて右足をグイと伸ばした。

 時間が止まる。意地でつま先に当てたボールは、前に出てきたGKの横をかすめるようにしてゴールに吸い込まれた。魂の咆哮が、スタジアムにとどろいた。

「自分がずっと続けてきたことでもありました。相手が何かミスするんじゃないかと思って、パスが通らなそうな場面でも走ってきましたから。一度でもあきらめていたら、ベルギー戦だってやっていない。相手に前に入られたから、と途中で止まっていたかもしれない」

 相手が2人いるからと、わずかでも無理だと思う気持ちがあったらこのプレーは絶対にあり得なかった。難しい状況だろうが、何だろうが、あきらめずに食らいつく。まさに彼のストーリーそのものが重なっていた。偶然ではなく、ラッキーでもない。正真正銘、泥臭くとも気高いゴールであった。

日韓W杯に出場して感じた「自分の力のなさ」

 もし5年前、ブラジルのCFZで心が折れていたら、人間的な強さを手にしていなかったら、このストーリーには決してたどりつかなかったはずだ。筆者の心の声を聞いたかのように、鈴木はこう語りかけた。

「あそこで(気持ちが)切れていたら、未来につながっていかなかったなって、W杯で点を取ってそう感じました。ビーチを毎日6km走ると自分との約束を破っていたら、少しでもサボっていたら、頑張れなかったら……。自分が決めたことを、僕は一度たりとて破ったことがない。どうしてそれができるんだろうって、自分のなかで違和感みたいものがあった。でも、この時のためだったんだなって思えたんです。ここでゴールを奪って、日本を救う時のために、苦しくてもやり続けてこれたんだなって」

 鳴りやまない喝采と拍手が、ヒーローに注がれた。

 その後、稲本潤一が追加点を挙げながらも、追いつかれて2-2ドローに終わる。初勝利を逃がした悔しさが、次のロシア戦、チュニジア戦に活かされ、首位でグループステージ突破を果たした。とはいえ、日本はラウンド16でトルコ代表に敗れてしまう。鈴木に満足感など1ミリもなかった。

「W杯で感じたのは、自分の力のなさ。代表で活躍している選手たちは欧州に出ていましたし、『自分も出ていかなきゃいけない』と思うようにはなっていた。W杯に出場してその思いが強くなったのは確かです。(欧州の)経験値がないと、大舞台で余裕を持ったプレーができないというのは実感しました」

 立ち止まってはいられない。次のステップとして、鈴木隆行は欧州に飛び出していくことを決意する。(文中敬称略/第4回に続く)

■鈴木隆行 / Takayuki Suzuki

 1976年6月5日生まれ、茨城県出身。日立工業高校から1995年に鹿島アントラーズに加入し、CFZ(ブラジル)、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)、川崎フロンターレへの期限付き移籍を経て、2000年途中に鹿島へと復帰。トニーニョ・セレーゾ監督の下で出場機会をつかみ、リーグ、天皇杯、ヤマザキナビスコカップ(現・YBCルヴァンカップ)の三冠に貢献した。その後はベルギー、セルビア、アメリカでもプレーを経験している。日本代表としても活躍し、2002年の日韓W杯の初戦となったベルギー戦では同点弾を記録するなど、通算55試合11得点を記録。2015年を最後に現役を引退し、現在はUNBRANDED WOLVES SOCCER SCHOOLの代表を務める。

(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)



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二宮寿朗

にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。

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