トップ昇格見送り→見失った目標「悪循環に」 U-21日本代表を救った“今は亡き恩師”

桐蔭横浜大の関富貫太「工藤さんのように自分の力で勝ち取る努力をしないと」
2025年シーズン。残留争いを演じた横浜F・マリノスにおいて、リーグ戦終盤に現れた1人の特別指定選手が重要な働きを見せて残留を手繰り寄せた。桐蔭横浜大2年生の左サイドバック・関富貫太。独占インタビュー第2回は柏レイソルU-18でぶち当たった壁と、未来を切り開いた恩師の言葉と工藤壮人の存在について。(取材・文=安藤隆人/全4回の2回目)
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「(柏レイソルU-18の選手)みんな同じ高校に通っていたのもあって、人間関係だったり、コミュニケーションだったりは何も問題はなかったのですが、ピッチのなかではやっぱり最初は色々と模索をしていました」
レベルアップした環境で大きな戸惑いはあった。「みんなのレベルが高くて、正直ついていくのがやっとのときもあった」と苦しんだ。ステージも千葉県リーグ1部から高円宮杯プレミアリーグEASTと一気に3カテゴリーも上がり、それでも8試合に出場をしたが、3年生エースストライカーの山本桜大(RB大宮アルディージャ)らがひしめくFWのポジション争いは厳しく、2年生の途中から試合に出られない時期が続いた。
「僕はあまり考えすぎないタイプなんですけど、そのときにちょうど1個上の代の日体柏が選手権千葉県予選を勝ち抜いて選手権初出場を手にしたんです。自分の現状と照らし合わせて、少し複雑な思いはありました。『あのまま高校のサッカー部にいたら……』とか考えても仕方がないのですが、思ってしまうことはありました」
選手権予選はかつての仲間たちの応援に足を運び、激戦区・千葉を制したときは喜ぶ一方で、揺れ動く気持ちはあったのは仕方のないことだった。だが、「自分で決めたことだし、レイソルで間違いなく成長できているという感覚はあったので、素直に日体柏を応援しようと思えた」と、自分の選択に誇りを持って、選手権では全試合に足を運んでスタンドから初出場ベスト8の偉業を成し遂げたチームを必死で応援した。
そして最高学年を迎えた2023年。関富は柏U-18の10番を託された。だが、前年から続く悪い流れを断ち切ることができなかった。プレミアEAST開幕戦でベンチスタート。第2節からスタメンを飾るようになっても、5月までの7試合で1勝4分2敗と勝ち点を積み上げられず、「10番をもらったにもかかわらず、情けない気持ちだった」と調子が上がらない自分に苦しんだ。
そして、5月に桐蔭横浜大学の練習に参加をしてオファーをもらう一方で、その翌月にはトップ昇格を見送る通告を受けた。
「ユースに転籍するとなったときに、『何がなんでもトップ昇格を勝ち取る』という強い気持ちを持って、トップ昇格を1番の目標にしてきたので、上がれないときは悔しかったのですが、大学経由でプロになると思って桐蔭横浜大に進むことを決めました」
だが、この決断がより自分を苦しめることになった。それは桐蔭横浜大に行くという選択のせいではなく、6月初旬の段階でトップに上がれず、進学先も決まったことで「どこに目標を置いていいか分らなくなった」ことだった。
「3年生の残り期間の過ごし方がモチベーションの部分ですごく難しくなったんです。正直、モチベーションがなかなか上がらないなかでコンディションも上がらず、スタメンから落ちることもありました。『10番なのに』とどんどん自分を追い詰めていって、本当に悪循環に陥っていました」
日本クラブユース選手権も関東予選で敗退し、夏の全国大会はなくなった。だが、プレミアEAST前期終了後の夏の期間で、関富を葛藤から救い出す大きな転機が訪れた。
「僕は溜め込むというか、口に出す前に自分のなかで整理をして、なるべく自分の中で解決をしていくタイプなのですが、あのときは正直、メンタルの限界に近づいていました」
プレミア前期終了後、関富は思い切って当時、柏U-18を率いていた藤田優人コーチに「1対1で話す機会をください」と直談判した。その機会を得ると、藤田コーチの前で素直な思いをぶちまけた。
「そこで大学が早期に決まったことでのモチベーションの問題だったり、自分の素直な思いだったりを全て話させてもらったんです。藤田さんは1つ1つ丁寧に聞いてくれて、藤田さんが思っていることも全部話をしてくれた。そのときに言われたのは、『このチームで一番いいものを持っているんだから、それを使おうとしないのは本当にもったいないよ』とプレー面のことと、『もっと欲を出してプレーしないと未来は開かれないぞ』という気持ちの面でした」
そこで藤田コーチの口から名前が出たのが、藤田コーチが柏時代に4年間チームメイトだった工藤壮人だった。
「壮人は柏ユース時代に貫太と同じ状況からトップ昇格を勝ち取ったぞ」
この言葉通り、工藤は酒井宏樹らが早々にトップ昇格を果たすなか、7月の日本クラブユース選手権で得点王に輝いてトップ昇格を手にした。
「ここから逆転してトップ昇格を手にできる可能性は少ないと思いましたが、だからと言って努力をしないのは違うと思った。工藤さんのように自分の力で勝ち取る努力をしないと絶対に先には進めないと思いました」
関富が中学3年生のときに練習参加をして出会ったときも、工藤はレノファ山口から期限付き移籍期間満了とサンフレッチェ広島から契約満了を告げられ、海外のトライアウトに挑戦するも加入は叶わなかった。それでも、再びプロサッカー選手になるために日体柏で高校生たちに混じって真剣にサッカーに打ち込んだ。
だからこそ、オーストラリアのクラブでプロキャリアを再開し、関富が高校2年生になった2022年にはテゲバジャーロ宮崎に加入をした。その年の10月に32年の生涯を閉じることになってしまったが、いつまでも諦めず努力することの大切さを教えてくれる大切な恩師の1人であった。
「自分でも驚くほど感情的になっていて、素直に思いを伝えることができたことと、藤田さんの言葉で、『ここでもう一度やってやろう』と心から思えました」
心機一転のリスタートを切ったその直後、藤田コーチからまた大きな1つの転機をもらった――。(第3回に続く)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。
















