J屈指の攻撃力を生んだ「すごいキーパー」 エースも脱帽…レジェンドを支えた“口癖”

GKチョン・ソンリョンは川崎に10シーズン在籍した
12月24日、川崎フロンターレの元韓国代表GKチョン・ソンリョン(鄭成龍)が、J3・福島ユナイテッドFCに完全移籍することが発表された。契約満了による退団を発表しており、その去就に注目が集まっていた中、川崎時代にコーチとして在籍していた寺田周平監督が率いるクラブでゴールマウスを守ることを決断した。
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
川崎では、加入した2016年から不動の守護神として君臨した40歳のレジェンドである。Jリーグベストイレブンにも2度選出。これまで7つのタイトルを獲得しているが、彼は2019年のルヴァンカップを除く6つのタイトル獲得の瞬間でピッチに立っている。
10シーズン在籍した川崎で、一番の思い出として彼が挙げたのは17年の初優勝の記憶だった。
「優勝できた2017年ですね。憲剛さんも泣いてました。サッカーだけではなく僕の人生でも成長できたと思います」
悲願だったクラブ初タイトルは、逆転による初優勝で達成している。普段は寡黙なソンリョンだが、この日ばかりは試合後のミックスゾーンでも饒舌だった。
「言葉にできないです。今でも夢のような感じ。今シーズンは1年を通して試合に出ている選手、出られない選手、監督、スタッフ、コーチ、みんなが優勝したい、1位になりたいという強い気持ちを持っていた。最後に、こうやって優勝できたのは本当に嬉しい」
興奮冷めやらぬ様子で、まくし立てるように話してくれたのを覚えている。この日本という国の、フロンターレというクラブでプレーしたことは、自身にはどんなチャレンジだったのか。優勝後に尋ねてみると、こんな風に充実感を口にしてくれた。
「個人的に言うと、一つ上のステップに行きたかったんです。そして川崎というチームが自分を取ってくれた。優勝したことのないチームだったので、そこに行きたいという気持ちもありました」
そして最後に「本当に嬉しいです。メチャメチャ」と、日本語でコメントしてミックスゾーンを去って行った。
初優勝の17年といえば、小林悠がキャプテンマークを巻き、得点王とMVPを受賞したシーズンでもある。現在もクラブに在籍している小林は、ソンリョンとの出会いが自分を成長させてくれたと実感していた。来日当初、チームのシュート練習や1対1を通じて「すごいキーパーが来た」と、舌を巻いていたと当時を回想する。至近距離で対峙した者にしかわからない感覚をこう説明してくれた。
「ソンリョンは間合いとか距離の詰め方がうまくて、打つ瞬間に『あっ、コースがない!』って思ってしまう。そういうGKはあまりいないんですけど、本当にどこに打っても止められるっていう感覚がありました。ソンリョンの場合はボールを止める瞬間の前に駆け引きをしておかないといけないんです。ボールを止めた時点でもう詰んでるというか、寄せられて、『ああ、もう当たるわ』っていう感覚があった。初めての感覚だったので、すごいキーパーが来たなと思いました」
トラップしてからシュートコースを見つけようとすると、すでに塞がれている。ゆえに小林はトラップする前にGKとの駆け引きを意識するようになった。
川崎の攻撃力を生み出した“存在”
それだけではない。190cmを超える体躯とその威圧感でゴールが小さく見える感覚に襲われると、必然的により厳しいコースを狙わなくてはいけない。もちろん、際どいコースに決めるためには精度の高いキックが求められる。
「自分の中で『入った』っていう感覚のゴールがソンリョンの場合は止められることがありました。甘いコースでは入らないので、こっちも(ゴールマウスの)角、角を狙わなくてはいけず力んだりしてしまう。その威圧感ってのがやっぱすごかったですね。壁というか…。それは今も変わらず感じてます。本当のそこの際(きわ)のところをこだわってきたのは、ソンリョンと付き合って来たからだと思います」
川崎といえば、攻撃力が自慢のチームであり、今季の総得点数もリーグトップだった。攻撃陣が高いクオリティを維持している背景には、質の高いGKが居続けたからとも言えるのかもしれない。
ソンリョンを取材していると、彼はよく「最善を尽くす」というフレーズを口にしていた。今回の退団にあたって、その言葉に込めてる思いを尋ねてみた。
「最善を尽くす、ベストを尽くすから後悔がない。そういう気持ちでやっています。川崎は今年までですが、ベストを尽くしたから後悔がない。今も後悔の気持ちはないです。いつ引退するかはわかりませんが、最善を尽くすこと。練習でベストを尽くさないければ後悔しますし、勝つ負けるに関係なく後悔すると思います。そういう気持ちからです」
一体、いつぐらいの時に、どんなきっかけで意識をしたのか。より詳しく聞くと、自身のキャリアと深く結びついているのだと明かしてくれた。
「僕は若い頃にプロになったのですが、本当に頑張っていた先輩がいました。個人練習も常にやっていました。ただ一生懸命にやってましたが、1年でアウトになってしまった。そういうのを見てきて、僕もすごくショックでした。それぐらい頑張らないといけないと思わされました。その時にそういう気持ちを持つようになりました。一番大きかったのは、高校を卒業してプロに上がるときにお父さんが亡くなったこと。絶対に成功して、天国のお父さんにそういう姿を見せたいと。本当にそれが一番の思いです」
川崎のレジェンドは、次なる戦いの舞台にJ3のカテゴリーを選んだ。福島の地でも、最善を尽くしながら、ゴールを守り続けてくれるに違いない。

いしかわごう
いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。




















