社長に伝えた「もう残留は難しい」 新人監督時代に驚き…トーレス相手にも貫いた鉄則「同じように」

福岡の金明輝監督が鳥栖時代を振り返った
アビスパ福岡はシーズン開幕当初、目標に掲げていた6位以内には届かなかったが、2025年J1を12位でフィニッシュした。多くの人々に支えられながら福岡で1年間のシーズンを終えた金明輝監督。彼の指導者キャリアのスタートは2012年に遡る。(取材・文=元川悦子/全7回の第4回目)
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現役最後のクラブとなったサガン鳥栖でスクールコーチに転身。U-15コーチ・監督を経て、2016年にU-18監督に就任。2017・18年とJFA高円宮杯プリンスリーグU-18九州を連覇する。当時のメンバーには現在も共闘する松岡大起、2024年の町田ゼルビアで共闘した林幸多郎、パリ五輪代表の大畑歩夢(C大阪)などタレントが揃っており、若き指揮官の手腕が高く評価された。
そこに目を付けたのが、クラブ側だったのだろう。2018年からトップチームコーチを兼任していたが、10月にマッシモ・フィッカデンディ監督が辞任。37歳の若き指揮官がいきなり抜擢されたのだ。
「僕が最初に鳥栖の監督をさせてもらった時のメンバーには、フェルナンド・トーレスや権田修一(神戸)、小林祐三(Jリーグフットボール本部企画戦略ダイレクター)、金崎夢生(ヴェルスパ大分)、小野裕二(新潟)、原川力(柏)といった個性豊かな選手が揃っていました。小林祐三とは2歳、トーレスとは3歳差しかなくて、僕自身も『これはすごいな』と思いました。
マッシモさんはマネージメントが得意な監督だったので、彼らをうまく統率していましたけど、僕の場合はなかなか言うことを聞いてもらえない。厳しい状況でした。
しかも、残り5試合で17位に沈んでいた。当時のJ1は18チームだったので、下から2番目。竹原稔社長に『もう残留は難しいし、落ちるかもしれない』と伝えていたくらいです」と苦しかった新人監督時代を述懐する。
その苦境に直面しながらも、鳥栖はラスト5戦を3勝2分の無敗で乗り切り、14位でフィニッシュ。奇跡的にJ2降格を免れた。それも選手たちが突如として一丸となり、凄まじい力が出せたからだ金監督は考えている。
「僕自身は何もしていないんですけど、素人みたいな監督が来たことで、選手たちが1つにガチっとまとまった。それには正直、驚かされました。まさに模索の日々でしたけど、僕は選手全員に同じ対応をするように心がけていました。
ベテランにベテランの対応、若手に若手の対応、アンタッチャブルな選手にアンタッチャブルな対応をしていたら、絶対に信頼されることはないと考えたからです。
2019年5月から2度目の監督に就任した後も、その鉄則はブレずに貫きました。ベテランとトーレスと若手の松岡に対して全く同じように向き合いましたし、練習で差をつけることもなかった。フラットにジャッジしていくことをつねに意識していました。そういった僕の姿勢を目の当たりにして、選手たちもある程度の納得感はあったのかなと受け止めています」と彼は神妙な面持ちで言う。
とはいえ、今よりも若い金監督の情熱と野心というのは凄まじいものがあったはず。選手にストレートな物言いをして、目の前の選手とぶつかり合うことも皆無ではなかっただろう。さまざまなトライ&エラーを繰り返しながら、鳥栖でトータル4年間の仕事をし、2021年には上位争いも経験。挫折も味わったことも含めて、プロ監督として大きな一歩を踏み出したのは間違いない。
「鳥栖を離れ、S級を再受講している間に指導させてもらった町田ゼルビアで、昌子源、中山雄太、相馬勇紀、望月ヘンリー海輝といった代表クラスの選手たちを見る機会に恵まれたのも、本当にいい機会になりました。
彼らは『こいつうるさいな』とか『いちいち細かいことを言うな』といったことを感じたかもしれないですけど(苦笑)、僕のキャラクターを理解してくれていたので、いい関係を構築できたと思います。彼らには心から感謝しています。
自分の上に立つ黒田さん(剛=監督)との関係にしても、言いにくいことを言うのがコーチの役目だという自覚があったので、僕が少し厳しい発言をして、黒田さんがまとめるというスタイルができていました。監督とコーチがうまく役割分担をしながら一緒にチームを作り上げていくことの重要性を再認識できたのは、僕にとって素晴らしい学びの場になりましたね」と金監督は2つ目のJクラブでの日々に思いを馳せる。
実際、彼が今季、「町田は大丈夫か」という懸念の声が関係者やメディアから上がっていた。それだけ金監督が重要な役割を担っていたということなのだ。ご存じの通り、町田は2023年にブッチギリの強さでJ2制覇を果たし、2024年はJ1初参戦ながら最終節までリーグ優勝争いを演じたが、金監督が「新興勢力の縁の下の力持ち」として尽力したのは紛れもない事実。こういったプロ指導者キャリアは血となり肉となっているのだ。
福岡でも来季以降、もっともっと選手個々を伸ばし、チーム力を引き上げることができるはず。「誰に対しても同じスタンスで言うべきことを言う」というポリシーを貫いて、この先もマネージメントに磨きをかけ続けていく金監督の今後が楽しみだ。(5に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。













