1トップは「ムリ」から6年半 「点の取れるマルチMF」へ変貌…森保Jの中心に君臨する鎌田大地の現在地

鎌田はクラブ、代表でボランチとして躍動している
2025年日本代表のラストマッチとなった11月18日のボリビア戦(東京・国立)。森保一監督の国際Aマッチ100試合目の節目の一戦で、値千金の先制弾を叩き出したのが、右足など複数箇所を痛めて14日のガーナ戦(豊田)を回避した鎌田大地だ。
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開始4分、中盤で菅原由勢が相手に寄せ、遠藤航が奪ったボールを右サイドに展開したのが始まりだった。これを受けた久保建英が鋭いドリブルでペナルティエリア内に侵入。マイナスクロスを上げたところに飛び込んだのが背番号15だった。次の瞬間、胸トラップから左足を一閃。今年4点目、代表通算12点目の一撃で、チームに大きな活力を与えたのである。
「チームとしてあそこが空くというのは分析でもやっていたので。ボランチですけど、ああいうところに何回か入っていくことが大事だと思いました。一発目で入れて、ボールが来て、シュートチャンスができたのはすごくよかったと思います」と本人も手応えを口にした。その後、守備がハマらなくなり、相手の反撃を受ける形になったこともあり、「あの1点があって本当によかった」と森保監督と選手たちも痛感したことだろう。
後半に入って出場の上田綺世、町野修斗、中村敬斗の前線トリオが流れをガラリと変え、町野と中村が立て続けにゴール。3-0になったところで鎌田は藤田譲瑠チマと交代した。この日のプレー時間は77分だったが、開始2分に小川航基の決定機をお膳立てするスルーパスを供給。守備面でも遠藤といいバランスを取りながら的確なマネジメントを見せるなど、怪我の影響を一切感じさせない攻守両面の活躍が大いに光った。
ご存知の通り、2026年北中米ワールドカップ(W杯)・アジア予選期間中の鎌田は2列目が主戦場だった。小川と並ぶチーム最多の4ゴールをマークした。2025年の初戦となった同・バーレーン戦(埼玉)の先制点を奪ったのも彼だ。
そこから6月のインドネシア戦(吹田)で2ゴールを挙げ、9・10・11月の活動も休まず参加。9月以降はクリスタル・パレスでのポジション、そして守田英正が長期間代表から離れているという事情も重なり、ボランチに入ってチーム全体を司ることが多かった。そのうえで、ボリビア戦でもゴール。「点の取れるマルチMF」であることを改めて色濃く示した格好なのだから、誰もが認める絶対的な存在に君臨したと言っていいはずだ。
「代表に来ると得点率が上がる? それは戦術の違いじゃないですかね。(クリスタル・パレスでは)ボランチはリスク管理で余っている選手を捕まえたりだとか、ウイングバックと前3枚の合計5枚で基本的にハメて、後ろは5枚で守るというのをやっているので、6番の選手で点を取っている選手は誰もいませんし、僕の得点力がないというよりは、やり方が1つ大きな違いだと思います。
そっち(代表の10番的な役割)の方が自分には合っていると思います。ただ、プレミアリーグではそんなことができるのはトップ6のクラブの選手くらい、自分は理想ばかり言っていても仕方ないので、できることをしっかりやっていくのが大事だと思います」
鎌田は神妙な面持ちで語っていたが、クラブで守備的な仕事に比重を置かなければならない分、よりフィニッシャーとしてのタスクを任される代表の方が楽しいだろうし、やりがいも大きいはずだ。
とはいえ、プレミアでボランチを主戦場にしていることで、守備力が目に見えて向上しているのも事実。10月のブラジル戦(東京・味スタ)で0-2から反撃の狼煙を上げた南野拓実の1点目も堂安と鎌田のデュエルのところから生まれたが、身体を寄せながら敵を止める、ボールを奪い切るということが、格段にうまくなっているのは間違いない。
「僕は個人でガッツリ当たり合って取るというよりも、ちゃんと頭を使って、いいポジションを取ったり、予測をしたりだとか、味方がうまくディフェンスしているところに参加したりとか。そういう守備の方が多い。仲間との連携ももちろん必要。行きすぎてもスペースを空けてしまうので、自分と言うよりも、他の選手のポジションを見ながらやっている感じです」と本人は説明していたが、攻守両面で凄みを増しているのが印象的だ。
振り返ってみると、2019年3月のコロンビア戦(横浜)で初キャップを飾った頃の鎌田はトップ下や1トップで試され、森保監督から「非凡なセンスを備えたアタッカー」として位置づけられていた。同年の6月の前回ボリビア戦では最前線でプレー。本人も「1トップはムリだと思った」と苦笑していた。
あれから6年半が経過し、今では中盤の全てのタスクを任せられる大黒柱となった。鎌田がいるかいないかで、森保ジャパンの成否を大きく変わってくると言っても過言ではないほど。ボランチとシャドウを自由自在にこなしながらフル稼働し、攻撃でも守備でも違いを見せられるこの男は、紛れもなく2026年北中米W杯のキーマンになるはずだ。
その鎌田も来年8月には30歳の大台に突入する。ここ最近は怪我が増えているが、徐々にコンディション維持が難しくなってくる年齢でもある。しかも、今季クリスタル・パレスはプレミアリーグ、カラバオカップ、FAカップの国内3大タイトルに加え、UEFAカンファレンスリーグも並行して戦っている。ここから年末の1か月半だけでも11試合あり、もちろん年明けも元日からゲームが組まれている。この超過密日程には、オリバー・グラスナー監督も苦言を呈したというが、選手の身体が壊れないか心配になるくらいだ。
「(代表は)4か月空くので、代表のことは考えずに、チームに帰ってから、またポジション争いもありますし、12月も予定がすごく忙しいので、先のことは考えずに、毎試合、毎試合、怪我なく、少しでも成長できるようにやっていきたいなと思います」と鎌田自身も当面はクラブの活動に集中する構え。その過酷な環境を乗り切っていくうえでも、2025年の日本代表で着実な飛躍を遂げたことは、大きな糧になりそうだ。
「代表としては、今年はアジアの戦いから世界に向けた戦いにうまくジャストすることができていたと思う。難しい試合で勝てたことも1つ、自分たちの大きな自信になったと思います。もちろん、よくなれる部分はまだまだたくさんあるなという実感もあります。自分としても記憶に残るような仕事ができてよかったですけど、もっともっと貢献できるようにやっていきたいと思います」
毅然と前を向いた鎌田。輝きを増す天才肌のMFのさらなるブレイクが楽しみだ。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















