出場ゼロでJ3へ「家族になんて説明したら」 わずか4年でW杯も…欧州行き決意した「ダメだな」

町野修斗が歩む山あり谷ありのキャリア
北中米ワールドカップ(W杯)まで残り7か月。大舞台でのまだ見ぬ光景を目指して、森保ジャパンは11月に今年最後の2連戦を迎える。2度目のW杯に向け、覚悟を持って臨む日本代表FW町野修斗がFOOTBALL ZONEのインタビューに応じた。(取材・文=林遼平/全3回の1回目)
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湘南ベルマーレでの活躍、2022年カタールW杯に挑む日本代表への選出、ドイツへの移籍。近年の町野修斗の歩みを文字だけで見ると、とんとん拍子にステップアップをしてきたように感じる。
ただ、決して簡単な道を歩んできたわけではない。
「(自分にとってのターニングポイントは)一個という感じではないですね」
履正社高校から横浜F・マリノスに加入してプロキャリアをスタートさせて以降、誰とも異なる道を少しずつ進んできた。大きな挫折を経験したのは、プロとしての生活を始めた横浜FMでのことだった。1年間、チームに在籍したが出場機会はゼロ。何も成し遂げることができないまま、翌年にはJ3のギラヴァンツ北九州への期限付き移籍が決まった。
「マリノスで1試合も出られない、練習もできないみたいな状況からJ3に行ったときは、家族になんて説明したらいいのかみたいな時期がありました」
悔しさに打ちひしがれた。このままやっていけるのか不安になった日もあるだろう。それでも、自分の胸の中に宿る揺るがない自信が、歩みを加速させた。
「試合に出たら、間違いなく成長できて、点を取れて、上に行けるというのはなぜか思っていたんです」
北九州では、その自信が結果となって表れた。期限付き移籍で加入した2019年は、30試合に出場してチーム最多となる8得点を記録し、北九州のJ3優勝とJ2昇格に貢献。翌年には完全移籍へと移行し、チームが躍進を見せる中で32試合7得点という記録を残した。
「J3で結果が出てるとき、試合に出始めた時から、やっぱりいけるんじゃないかと思っていました」
自信は確信へと変わった。もちろん、全てが全てうまくいっていたわけではなく出番を得られない時期もあった。それでも、周りの支えがあって常に壁を乗り越えることができたと町野は言う。
「もう絶対に周りの人です。僕の力だけではここまでこられていない。北九州で一緒にプレーした同級生や後輩、先輩を含め、周りでサポートしてくれる人が本当にいい人ばかりで助けられました」
W杯メンバー滑り込みも…待ち受けた現実
2021年に湘南へと加入してからは一気に評価を高めた。初年度こそ31試合4得点と結果的には物足りなかったが、加入2年目にはクラブ史上2人目となる2試合連続2得点を記録するなど、同年のJ1リーグ得点ランキング2位、日本人選手では単独1位となる年間13得点を記録して一躍、日本を代表するストライカーの一人となった。
その結果、7月にEAFF E-1サッカー選手権2022に挑む国内組のみで編成された日本代表に初めて選出されると、大会得点王に輝く活躍で日本の優勝に貢献。そのまま9月の遠征にも呼ばれ、カタールW杯に追加招集という形で滑り込むことになった。
「夢は何かと聞かれたら『日本代表でワールドカップに出ること』と常に書いていましたし、それが叶った瞬間でした」
初のW杯はドイツやスペインに勝利するチームの躍進を喜んだ一方で、最後まで出場機会を得ることなく大会を終えることになった。町野は当時を思い出しながら、悔しさだけが残った大会だったと明かした。
「圧倒的に信頼感が足りなかったと思っています。出られなくて当然だなという思いと、自分としてはやるべきことができた大会だとは思っています。練習も本当に必死にやりましたし、味方を鼓舞するような声を出しながらチーム一体となって戦っていた。だけど、やはり一番大きいのは悔しさで、もう1回戻りたいなという気持ちにさせてくれました」
W杯の悔しさが転機となったのは間違いない。ただ、海外に出ていかないといけないと感じたのは、カタールW杯前、9月のドイツ遠征に参加した時だったという。
「アメリカ戦に出たんですけど、世界との差を感じさせられました。掴まれたら振りほどけないし、腕の強さであったり、足が出てくる長さだとか、当たった時の強さを含めて全くJリーグと違った。そこへの驚きがある時点でダメだなと。やはりヨーロッパでやっている選手は、それが当たり前の中でやっている。僕もそうならないとなと思いました。行けるところまで上のリーグに行きたいなと」
歴史に名を刻んだガンバ大阪戦
W杯後、新たな目標が定まった町野は、湘南に戻ってから研鑽を続けた。まだまだ記憶に新しいが、2023年4月のガンバ大阪戦では前半だけで4得点を奪うというJリーグ史上初の偉業を達成。ハーフシーズンで19試合9得点という見事な成績を残した。
そうなれば、圧倒的なパフォーマンスを見せる男を世界が見逃すわけがない。町野のもとには、待ち望んでいた欧州からのオファーが舞い込むようになっていた。
一つでも上の世界へ。そう考えるようになった男は、新たな挑戦に身を置くことに迷いはなかった。
2023年6月29日、当時ドイツ2部に所属していたホルシュタイン・キールへの移籍を発表した。
「圧倒的に僕を求めてくれていた。聞いたことあるチームではなかったですけど、ここなら問題ないんじゃないかなというイメージがありましたね。ワールドカップまでそんなに長くない中で、毎年ステップアップしていかないと5大リーグには到底行けないと思っていた。相当、頑張らないとなとは思っていました」
新たな舞台での挑戦。だが、そこには険しい道のりが待っていた。

林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。




















