驚いた文化の違い「いたずら?」 帰化も選択肢…“留学生1号”が「人生を終えるのは日本」

サンデーが最初に戸惑った文化の違い
日本で生活をして、京都府福知山成美高校にも通うなかで、ある程度、日本語でコミュニケーションがとれるようになったFWオリオラ・サンデーは、ナイジェリアについてやナイジェリア人の特徴についても伝えていった。(取材・文=河合拓/全6回の第4回)
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「自分の国がどういう雰囲気かとか、人間性も伝えました。どういう時に怒るのか、怒らないのか、性格の違いもわからないと思ったので。そうすることで自分のパーソナリティをわかってほしかったし、オレもみんなのパーソナリティを知りたかった」
ナイジェリアでは多くの人が、笑顔でいることが多い。サンデーは当たり前のように笑顔でいた時に「何かいたずらしているの?」と聞かれたことがあり、驚いたという。「なんでこんなにテンションが高いの?」って驚かれて、「ナイジェリアはこんな感じだよ」と教えていった。逆に日本人が恥ずかしがり、なかなか前に出ないことに驚いていたが、国民性の違いなのだと理解できると気にならなくなった。そうして日本に溶け込み、自分を知ってもらうことで、日本での生活はどんどん楽しいものになっていった。
かつて一緒にサッカーをしていた友人たちのほとんどは、サッカー選手になることができなかった。プロのサッカーを日常的に見られる環境もなく、早くチームに所属できたわけでもないサンデーが、なぜプロ選手になって、日本という異国でファンから声援を浴びるような日常を手に入れることができたのか。
「ナイジェリアは生活がやっぱり厳しいんです。ナイジェリアに住む友人たちも、よくわからないような仕事をしている人がいる。でも、自分はそういう世界に足を踏み入れなかった。みんな生活を良くするためにお金が欲しい。できるだけ、簡単にお金を手に入れたいと思う。でも、お金は簡単に手に入るものじゃないと思っていたし、絶対にプロサッカー選手になれると諦めませんでした。中学校の最後の最後、ちょっとだけ諦めましたけど(笑)。それでも、自分の生まれ故郷を出て、アブジャにも行って、ママと離れて暮らして、絶対にサッカー選手になると決めて、諦めなかった。ママも『好きなことをやりなさい』と応援してくれて、それを神様も見ていてくれた」
日本帰化は「もし機会があれば考えたい」
いくつかあるサンデーの目標の一つに、今もベナン・シティで暮らす母に大好きになった日本を見せることがあるという。「もっともっと自分がビッグになったら日本に連れてきたいし、日本という国も見てほしい。日本が大好きだから」と言う。
今後、プレーが評価されてヨーロッパなどでプレーする機会が訪れたとしても、選手としても、人としても、最後は日本で過ごしたいと言い切る。
「この先のキャリアがどうなっていくかわからないけれど、仮に頑張ってヨーロッパでプレーするような機会をもらえたとしても、最後の最後は日本でキャリアを終えたいです。日本に住みたいし、人生を終えるのは日本でと思っています。国として安全だし、プロのキャリアを始めたのが日本で、日本のことはよくわかっているから。優しい友達もいるし、どこに行ったとしても最後は日本に戻るって決めています。日本はそれくらい素晴らしい」
現在、Jリーグも外国人枠でプレーしているサンデーは、日本への帰化についても「もし機会があれば考えたい」と言う。だが、「アフリカの人が帰化をするのは簡単じゃないと思います。帰化したいから日本の人と結婚することもあり得ません」と言い切る。
「それをやったらオレ、悪い人になっちゃう。本当に好きになった人が日本人で『その人と生活したい。一緒に住んでいきたい』と思ったら結婚するし、そのあとで日本にずっと住むかどうかも考えます。まずはサッカー人生に集中して、海外とかにももし行けるなら行く。そして最後に日本で戻ってプレーする。それが今、自分の決めていることです」
アフリカ出身の自身が日本国籍を取得することが、決して簡単ではないと痛感するサンデーは、同時に自分が大好きになった日本という国に対して、誠実に向き合っていきたいと考えているのだ。
(河合 拓 / Taku Kawai)






















