元日本代表の脳裏に刻まれた「一生消えない後悔」 あくまで選手…41歳でも「引退は考えていません」

41歳の矢野貴章が見据えるこの先のサッカー人生とは【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
41歳の矢野貴章が見据えるこの先のサッカー人生とは【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

矢野貴章がこだわる流儀「若い選手と勝負」

 日本代表として2010年の南アフリカ・ワールドカップにも出場し、ドイツ・ブンデスリーガのフライブルクでプレーをしたFW矢野貴章。41歳になった今でも現役を続ける大ベテランのキャリアについて話を聞いた。第8回の最終回はこの先のサッカー人生について。(取材・文=元川悦子/全8回の第8回目)

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 2003年のプロ入りから23年間の長いキャリアを歩んできた元日本代表FW矢野貴章。その間にはさまざまな指導者に師事してきた。

 日本代表だった2007~2010年だけでもイビチャ・オシム、岡田武史(FC今治代表取締役会長)といった個性豊かな指揮官の下でプレー。Jリーグ4クラブでも、彼を重用してくれたマルコ・アウレリオ監督、鈴木淳監督(山形明正高校監督)のような指揮官もいれば、突如としてポジションを変更した西野朗監督というアイデアマンもいた。大ベテランにハードなトレーニングを課した田坂和昭監督(上武大学監督)、小林伸二監督(栃木SC監督)といった熱血漢とも出会っている。

 そういった人々に囲まれていると、指導者への興味が湧いてくるのも不思議はない。

「実を言うと、僕は10年くらい前にJFA公認C級指導者ライセンスを取っているんですが、練習メニューを考えたり、それを組んでやってもなかなか選手が思うように動かなかったり、声をかけるタイミングもそうですけど、本当にすごく難しいかと感じたのをよく覚えています」と矢野は30代前半だった自分自身を述懐する。

 40代になった今、次の段階に進もうと考えている。今季の栃木SCでの戦いがひと段落する12月にB級ライセンス講習会を受講しようとしているのだ。

「この年齢になってから指導者講習を受ければ、見えるものも違うでしょうね。僕が現役選手としてプレーしながら、『自分だったらこういうふうに声をかけるな』『こういう練習の方が効果的だろうな』と別目線で見ることも出てくるかもしれない。すごく楽しみではありますね」

 指導者講習に参加することで、プレーヤーとしての自分を客観視する機会が生まれるのなら、それはいいことだ。

「僕と同世代は一足先に引退して、指導者をしている人も多いですよね。レイソルで同期だった谷澤(達也=藤枝MYFCユースコーチ)なんかも高校生を教えているみたいですけど、どんな指導をしているのか考えられないですよね。全然想像できないです(笑)。

 一緒にU-17W杯に行った菊地直哉(鳥栖トップコーチ)もそうですけど、彼らを含めて、みんなそれぞれの環境で頑張っている。異なるカテゴリーで監督をやっていたり、トップチームのコーチをやっている仲間もいる。ホントにすごいなと思って見ています」

 今の栃木SCにしても、8月に加わった樹森大介コーチ(新潟前監督)も年齢は7つ違い。レンタルで赴いている棚橋尭士、藤原健介ら若手よりははるかに年齢が近い。

「それでも、僕はコーチと同じ目線で話をするということは全くないです。あくまで僕は選手ですから、現場で他の若い選手と勝負するんだという覚悟で臨んでいます。

 今は自分が引退した後のことは一切、考えていませんし、指導者になったイメージも湧かない。勉強することはプラスですけど、1人の選手としてしっかり勝負していくことが最優先です」と本人は気を引き締める。

「2010〜11年の不甲斐ない自分を常に思い出す」

 矢野には自身が何度か繰り返している「一生消えない後悔」というものがある。それがあるから、「絶対にプレーヤー人生を納得できるところまでやり切りたい」という強い情熱が湧き上がってくるのだ。

「本当に1日1回は大げさかもしれないですけど、2010~11年の不甲斐ない自分のことは常に思い出します。自分が目標としていたところの近くまで行って、何かを掴みかけたのに、逃してしまった。努力をしなかった後悔が本当に強くて。時が経てば経つほど後悔は大きくなっていきますよね」と神妙な面持ちで言う。

 筆者も2010年南アフリカW杯の現場にはいたが、まさか矢野がここまでの発言をする選手だとは思っていなかった。実際、彼と話をする機会自体はほぼなかったが、本人も「あの時の僕に何かを聞かれても、今みたいな答えはできなかった。あれから長い時間、現役を続けたからこそ、そういう話ができるんです」と毅然と語ってくれた。

 そうやって苦い思い出と決別しようと地道に一歩ずつ進んできた矢野。今季終盤戦が紆余曲折のキャリアの集大成になればいい。栃木SCがここからJ2昇格プレーオフ圏内に浮上してリーグ戦を終え、そこから2つの大一番を制して、J2復帰への道を現実にできれば理想的。そのゴールを奪うのが矢野であれば、なおさらいい。

 かつて大分トリニータ、モンテディオ山形、徳島ヴォルティス、清水エスパルス、ギラヴァンツ北九州を上のカテゴリーへ昇格させている百戦錬磨の小林監督は「上がった時は最後7連勝、8連勝と白星街道を邁進した」という話をしていたが、栃木SCも今、そんな上昇気流に乗りつつある。

「最後まで何が起きるか分かりませんし、全然まだ可能性があるということなので、本当にそこを目指してやっていくだけです」と矢野は今持っている全ての力を注ぎ込み、成功をつかみにいく構え。彼がいつか指導者の道を歩むかどうかは、そのずっと先の話になりそうだ。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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