森保監督が絶賛した22歳…身長ハンデも「負ける気がしない」 遠藤航も認めた「1対1」

日本代表で先発フル出場した鈴木淳之介【写真:徳原隆元】
日本代表で先発フル出場した鈴木淳之介【写真:徳原隆元】

日本代表で出場した鈴木淳之介、湘南からコペンハーゲンへ移籍した現在地

 パナソニックスタジアム吹田で日本代表デビューを果たしてからちょうど4か月。くしくも同じ舞台で10月10日に行われたパラグアイ代表との国際親善試合で先発フル出場し、代表2キャップ目を獲得したDF鈴木淳之介が森保一監督から高い評価を得た。デビュー後の7月に22歳になり、J1の湘南ベルマーレからデンマーク王者コペンハーゲンへ移籍し、代表では国内組から海外組に変わったホープの現在地を追った。(取材・文=藤江直人)

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 不思議な運命の巡り合わせというべきか。森保ジャパンでデビューを果たした思い出深いパナソニックスタジアム吹田へ、122日ぶりに戻ってきた鈴木淳之介が日本代表で通算2キャップ目を獲得した。

 6月10日のインドネシア代表との北中米ワールドカップ・アジア最終予選最終戦も、ちょうど4か月がたった今月10日のパラグアイ代表との国際親善試合でも、鈴木が任されたポジションは3バックの左で変わらない。

 もっとも、この間に年齢をひとつ重ねて22歳になった。何よりも所属クラブがJ1の湘南からデンマーク王者のコペンハーゲンに、同時に代表チーム内での立場も国内組から海外組へと変わった。

 試合終了間際の上田綺世のゴールで引き分けたパラグアイ戦後、鈴木はこんな言葉を残している。

「南米の国と戦うのは自分としては初めてでしたけど、こういう強度がある相手に対してプレーできて、あのころとはちょっと違うと感じていました。ヨーロッパの国とはまた違った相手でしたし、球際の強さやタックルの深さなど、そういったところでまた異なる雰囲気のあるチームと戦えたのはいい経験になりました」

 鈴木が言う「あのころ」とは、いうまでもなくインドネシア戦を指している。年代別の日本代表にほぼ無縁のキャリアを歩んできた鈴木は、森保ジャパンに大抜擢され、公式戦の国際Aマッチで先発デビューを果たし、さらにフル出場したインドネシア戦を介して自分のなかに大きな変化が生じたと感じていた。

「このレベルのサッカーを経験し続ければ、おのずと自分の成長もさらに速くなる。この舞台に帰って来られるように、もっと圧倒的な選手になれるように、さらに頑張らないといけない、という自覚が出てきました」

 直後にコペンハーゲンから望外ともいえるオファーが届いた。今シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにも出場する強豪クラブから届いたラブコール。湘南の成績が低迷している状況もあり、逡巡を重ねた末に海外挑戦を選んだ理由は、湘南の公式ホームページで鈴木が発表したコメントに集約されている。

「チームが苦しい状況の中での移籍となり、大変心苦しい思いもありますが、自分の夢を叶えるために何が最善かを考え、この決断に至りました。次にサポーターの皆さまとお会いする時には、より成長した姿をお見せできるよう、この選択を信じて全力で頑張ってきます」

 湘南でプレーしていた6月下旬に左足首を痛めた影響で、コペンハーゲンで迎える新シーズンで出遅れ、森保ジャパンがアメリカ遠征を実施した9月シリーズも選外となった。それでもようやく戦列復帰を果たし、チャンピオンズリーグを含めて、新天地で日々経験している刺激が鈴木を内外から変えている。

 パラグアイ戦後に鈴木を称賛した森保監督の言葉の数々から、渡欧後に遂げた変貌ぶりが伝わってくる。

「チャンピオンズリーグなどの経験をもってさらに自分のレベルを上げていくところで、ステップアップするためのチャレンジがしっかりとできている。今日も対人の強さところ、個の責任のところで相手を上回っていた」

 鈴木のサイズは身長180センチ・体重78キロ。センターバックとしては決して大柄ではなく、誰よりも鈴木自身が「身長ではハンデがありますね」と素直に認める。その一方でこんな言葉も紡いできた。

「けっこう飛べるので、それなりに大丈夫だと思っています。駆け引きや球際での守備は本当に負ける気がしないので、そこでガツンといって、プラスアルファで自分の武器を出せたらさらに上にいけると思う」

 鈴木の武器とは左右の両足から放たれる精度の高い縦パスであり、奪ったボールを積極果敢に前へ持ち運んで攻撃の起点になるプレーであり、湘南で昨シーズンの前半まで担ったボランチで培った視野の広さとなる。利き足は右ながら左でも遜色なく蹴れるルーツは、生まれ育った岐阜県各務原市での日々にあると鈴木は笑う。

「小さなころから、所属していたサッカーチームのコーチに『左右両足で蹴るようになれ』と言われていました。そのおかげというか、左足での練習もやっておいてよかった、という感じですね」

 国内組だけの陣容で臨んだ7月の東アジアE-1選手権ではなく、6月のワールドカップ予選で鈴木を抜擢したのは、それだけ成長速度とポテンシャルの大きさに森保監督が大きな期待をかけていたからだろう。指揮官はさらにパラグアイ戦の途中から鈴木自身、そして他の選手たちとの関係に変化が生じてきたと指摘した。

「味方も淳之介の特長をさらに把握して、彼の良さを生かしはじめたなかで、彼もややセーフティーなプレーから前線の攻撃に絡み出すなど、試合のなかでもプレーの幅を広げるチャレンジもしてくれた。さらに経験を積んでいけばさらにいい選手になる、という期待を抱かせてくれるプレーだったと思っています」

 インドネシア戦でともにプレーした森保ジャパンのキャプテンで、湘南の先輩でもある遠藤航は「1対1の部分で強かったし、ビルドアップへの関わり方もよかった」としたうえで、鈴木に次のように言及していた。

「サイドバックに加えて、ウイングバックもできるんじゃないかと。じゃあ最終的にどこで勝負するか、というところはこれから海外に出ていく場合には大事だし、いろいろな悩みが出てくるかもしれない」

 湘南で3バックの真ん中や右、浦和レッズでは4バックのセンターバックや右サイドバック、森保ジャパンでは不動のボランチとさまざまなポジションでプレー。渡欧後はデュエルの強さを武器にボランチとして一気に評価を高め、世界最高峰の英プレミアリーグのなかでも名門のリバプールに移籍した遠藤の言葉は説得力を伴う。

 それでも鈴木自身は、当面はユーティリティープレーヤーとしての立ち位置を確立させていく青写真を描いている。直近のコペンハーゲンでの試合では右サイドバックも務めた鈴木は、こんな言葉を残していた。

「出られるところで出るのが一番いいと思うので、後ろでもボランチでも気にせずやっていきます。いろいろなポジションでプレーできるのが自分の持ち味だと思うし、そのほうが可能性も広がっていくので」

 2失点したパラグアイ戦でのパフォーマンスを、鈴木は「悪くはないですけど、また代表に選ばれるかと言ったらまだまだ難しい」と厳しめに自己評価している。それでも日本代表の戦いで指揮官から称賛される爪痕を残したいま、来年6月に開幕するワールドカップ北中米大会の代表入りが鈴木のなかで現実的な目標に変わった。

「目指すべきところはそこ(ワールドカップ)だと思っています」

 帝京大可児高校を卒業して4シーズン目。ボランチでなかなか出場機会を得られず、自分自身に「腐ったら終わりだ」と言い聞かせ続けてきたプロサッカー人生が、昨シーズン前半のセンターバックへのコンバートをきっかけに右肩上がりに一変した。北中米大会の開幕まで残り8か月。鈴木は「いい経験になりました」という文言を今後は封印しながら、代表への生き残りをかける戦いで大きな爪痕を残すチャンスを貪欲に追い求めていく。

(藤江直人 / Fujie Naoto)

(藤江直人 / Fujie Naoto)



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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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