目標変更で危機感「本当にそれでいいのか?」 闘莉王彷彿の一言…J2復帰のため「僕は言いたかった」

41歳の矢野貴章がチームメートに放った「本当にそれでいいのか?」
日本代表として2010年の南アフリカ・ワールドカップにも出場し、ドイツ・ブンデスリーガのフライブルクでプレーをしたFW矢野貴章。41歳になった今でも現役を続ける大ベテランのキャリアについて話を聞いた。第1回は今季の栃木SCで自ら伝えた目標設定について。(取材・文=元川悦子/全8回の第1回目)
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いよいよ佳境に突入しつつある2025年のJ3リーグ。第30節終了時点で首位に立つのは2024年度のトップチーム人件費がわずか1億4400万円のヴァンラーレ八戸だ。名将・石崎信弘監督が率いるチームではあるが、これはサプライズ以外の何物でもないだろう。
彼らと上位を争うのは、JFLから昇格したばかりの栃木シティFC、今季J3降格を強いられた鹿児島ユナイテッドFC。目下、J2昇格プレーオフ圏内に位置しているFC大阪、テゲバジャーロ宮崎、奈良クラブはいずれもJ2経験がなく、プレーオフにも参戦したことはない。
J1経験のある松本山雅FC、J2経験のあるギラヴァンツ北九州、ツエーゲン金沢、ザスパ群馬らが苦戦を強いられているのを見ても分かる通り、いかに今季のJ3が混沌とした状態かがよく分かるだろう。
こうしたなか、鹿児島、群馬とともに今季、J2から降格してきた栃木SCは6位・奈良に5ポイント差の8位につけている。7月20日のSC相模原戦後には17位まで転落するなど、序盤から厳しい戦いが続いていた。
この直前の7月11日には、橋本大輔社長が「我々は『J3優勝によるJ2自動昇格』を目指してきましたが、『プレーオフ圏内(6位以内)への進出とそこからのJ2昇格』へと目標を変更することを決定しました」と声明を発表。それほどクラブ全体が追い込まれていたのだ。
苦境に忸怩たる思いを抱いていたのが、41歳の大ベテラン・矢野貴章である。
ご存じの通り、矢野は柏レイソルを皮切りに、アルビレックス新潟、名古屋グランパスといったJ1の3クラブでプレーしてきた。2010年南アフリカワールドカップ(W杯)の日本代表にも名を連ね、本田圭佑が奪った1点を守り切るべく、初戦・カメルーン戦(1-0)の終盤に送り出された。同大会直後にはドイツ・ブンデスリーガのフライブルクで海外挑戦も経験している。
そんなハイレベルを経験してきた矢野が栃木SCに赴いたのはコロナ禍の2020年。そこから5シーズンはJ2で戦っていたが、昨季まさかの18位に沈み、23年間のプロキャリアで初めての3部リーグに身を投じ、想像以上の難しさに直面。チームを引き上げられずに苦しんでいた。
「今季はチームをJ2に上げるということだけに集中して取り組んできました。僕自身も第5節だった3月16日のFC大阪戦で今季初ゴールを取れて、さらに5月6日の長野パルセイロ戦でも2点目を追加できた。昨季はノーゴールに終わっていたので、多少は手ごたえも得られました。それでもチームの成績が上がらず、雰囲気もなかなかよくならなかった。少しでも上向かせるためにどうしたらいいかを考えながら前半戦は戦った感じです」と本人も苦渋の表情を浮かべる。
そんな矢先の7月に出されたのが、「2025シーズン目標の見直しについて」といった橋本大輔社長の声明だ。チームが置かれた現状を踏まえれば、仕方ないことなのかもしれないが、矢野自身は納得いかなかった。そこで彼は思い切って口を開いたのだという。
「『プレーオフを目指す』と目標を修正したのを受けて、僕は『本当にそれでいいのか』と選手たちみんなに投げかけました。僕らは優勝を目指して半年間やってきたのに、目標を下げてしまったら、J2昇格できるとは到底、思えなかった。選手のマインドとしては『あくまで優勝するんだ』という強い気持ちで臨まないと絶対にその領域には到達しない。『根本的に考え方や普段やっていることを変えないと、絶対に達成できないでしょ』と僕は言いたかったんです」
矢野という選手はもともと自ら積極的に発信するタイプではない。どちらかというと、じっと黙ってコツコツと自分のやるべきことをこなす職人気質が強いイメージだ。その彼があえて選手全員の前で苦言を呈するのは、尋常なことではない。こうしたアクションの起こし方は、2010年南アW杯直前の選手ミーティングで「俺たちは弱い。だから戦い方を変えなきゃいけないんだ」と口火を切った田中マルクス闘莉王を彷彿させるものがあった。
「僕の場合はそんな大したことじゃないですよ(苦笑)。2010年から15年くらい経ちますけど、僕もいろいろ経験してきて、感じたことも沢山あるんでね(笑)。本当にこのチームをJ2に上げるって考えた時には、本気で優勝を目指さないとダメだと感じたし、それをみんなに伝えないといけないという危機感を持って起こした行動ではありました。周りの選手からは特に言葉や反応はなかったですけど、一応は賛同してくれたと思っています」
矢野の激が効いたのか、そこから栃木SCの状況はV字回復していく。7月26日の栃木シティとの”栃木ダービー”を1-0で競り勝ち、アスルクラロ沼津、群馬に3連勝。8月30日の奈良戦で1度、1-1の引き分けを挟んだが、9月6日の宮崎戦からは再び連勝街道を驀進。高知ユナイテッド、FC琉球にも勝って、7戦無敗という上昇気流に乗り、PO圏内が視野に入る8位まで順位をあげてきた。
この期間の矢野自身の出場時間は9月20日の琉球戦の19分が最長だが、クローザーとしていい働きを見せている。八戸・石崎監督と並ぶ”昇格請負人”として知られる小林伸二監督も「貴章はしっかりとボールを収めてくれるし、ゲームを落ち着かせてくれる。シュートもうまいし、ここ一番で点を取れるポイントに入れる。ああいう選手がいれば、自分じゃなくてもどの監督でも使いますよ」と絶賛していたほどだ。
「自分の行動やパフォーマンスは常に若い選手に影響を与えると思います。ただ、それ以前に自分が成長したい、うまくなりたいっていう思いが強いですし、先発で出ている選手を追い抜きたい、脅かしたいという野心はある。それは年齢を重ねても全く変わりませんね。
今、僕が出るのは1-0とかで勝っている時が多い。そういう時は確実にゲームを終わらせるのが仕事ですし、引き分けや負けている状況であれば、貪欲にゴールを取りに行きます。自分が何を求められているのかを客観視し、最善のプレーは何かを考えて、正解を導き出すこと。それが今の自分に課せられた役割ですね」
確固たる自信と経験値を持つベテランがどっしり構えていれば、若い選手たちも思い切ってトライできるはず。今の栃木SCは矢野貴章という強固な礎に支えられている。それは紛れもない事実である。(第2回に続く)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















