代表に無縁→得点量産&U-20杯へ 監督が明かす10個上の”相棒”の存在「ご飯作ってあげている」

U-20日本代表の水戸FW齋藤俊輔が急成長中
昨秋まで年代別の日本代表に無縁だったJ2の水戸ホーリーホックの齋藤俊輔はいま、FIFA U-20ワールドカップ(W杯)チリ2025に臨むU-20日本代表の一員として南米パラグアイで調整を重ねている。ルーキーイヤーの1ゴールから今シーズンはすでに7ゴールをマーク。J2の舞台で急成長を遂げ、水戸だけでなくU-20代表でも欠かせないアタッカーとなった20歳の逸材を、ピッチの内外で支える意外な存在がいた。(取材・文=藤江直人)
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モードをJ2リーグで首位に立つ水戸ホーリーホックからU-20日本代表に切り替えて、今シーズンに入って急成長を続けている20歳のホープ、齋藤はFIFA U-20W杯チリ2025へ向けて日本を16日に飛び立った。
出発前の最後の一戦となった13日のベガルタ仙台とのJ2第29節の前半17分。敵陣奥深くで相手選手3人に囲まれながら単独で打開し、ペナルティーエリア内の左側、角度のない対角線上のゴール右角へ、目の覚めるようなスーパーゴールを決めていた齋藤は、1-1で引き分けた試合後にこんな言葉を残していた。
「しばらくチームを留守にしますけど、本当に素晴らしい選手たちがそろっていますし、全員が戦えるのでそこは安心しています。クラブを離れる身としてしっかりと代表の責任感をもってプレーしたいですし、ふがいない結果を出さないように、しっかりと試合に出場して、ゴールを決めて日本に帰ってきたいですね」
年代別の日本代表にまったく縁がなかった身長174cm・体重68kgのアタッカーは、昨年11月のメキシコ遠征で初めてU-19代表(当時)入りを果たし、U-19ベネズエラ代表との第3戦でゴールもゲット。中国・深圳で今年2月に開催されたAFC U-20アジアカップに臨んだU-20代表にも引き続き招集された。
ベスト4進出を果たし、FIFA U-20W杯チリ2025の出場権を獲得したU-20代表で齋藤は2試合に先発。そして12日に発表されたチリ行きメンバー21人のなかにも名を連ねた。水戸でのゴール数は、昨シーズンの「1」から今シーズンは現時点で「7」に急増している。齋藤のなかで何が変わってきたのか。
「本当に自信がついてきて、それを試合で出せるようになったのが一番大きいかな、と思っています」
同僚FWの存在も大きく影響
昨シーズンの出場16試合・プレータイム429分から、今シーズンは21試合・1150分へ大きく伸ばした過程が大きいと振り返った齋藤に、水戸の森直樹監督も「その自信が何かと言うと、やはり点数を重ねてきたことですね」とつけ加えた。そして、苦笑しながらさらにユニークなエピソードも明かしてくれた。
「日頃のトレーニングから一番大きいのは渡邉新太の存在だと思っています。彼に引っ張られて、自分もやらなきゃいけない、という気持ちになっている。普段の生活から新太にくっついて歩いていますし、栄養面では新太が彼にご飯を作ってあげているらしいので、そういう部分で非常に新太の貢献度が大きいと思っています」
流通経済大学から加入したアルビレックス新潟から大分トリニータをへて、今シーズンに水戸へ完全移籍で加入した渡邉はチーム最多の13ゴールをあげてJ2の得点ランキングで2位につけている。8月には30歳になった渡邉へ、齋藤も「チームのなかで一番接している選手なので」と感謝の思いを抱いている。
「すごく近い関係でプレーできているので、それがゴールにつながっている部分が多いと思っています」
5月のJ2月間ベストゴールに選出された、レノファ山口との第14節で決めた齋藤の今シーズン初ゴールは、相手ボールをカットした渡邉がすかさず出したスルーパスに反応した背番号「8」が、左サイドから相手ペナルティーエリア内へ侵入。右へスライドしながら相手3人をかわした末に右足で決めたものだった。
左右のサイドハーフやシャドーを務めてきた齋藤は、直近の2試合では渡邉とツートップを組んでいる。仙台戦で決めた衝撃的なゴールも、左タッチライン際で必死にボールをキープした渡邉が、内側に顔を出した齋藤へ預けたパスが起点になった。絆をさらに深めている齋藤は先輩にどのような食事を作ってもらっているのか。
「(メニューは)いろいろとありますけど……やはり和食が中心ですね。肉系もありますけど、基本は魚がメインで肉系がサブメニューみたいな感じですね。本当に美味しいです」
偉大な先輩と比較も「そんなに意識せずにプレーできている」
27日(日本時間28日)に開幕するFIFA U-20W杯チリで勝ちあがっていけば、齋藤はJ2リーグ戦を最大4試合欠場する。公私両面で心酔している師匠の渡邉から、離日に際して特別な言葉はもらったのか。
「いや、そんなには……(自分が)いなくなっても大丈夫だ、みたいな感じでは言っていますけど」
思わず苦笑いを浮かべた齋藤は、小学生年代から横浜F・マリノスのアカデミーで心技体を磨き、中学卒業とともに神奈川県の強豪・桐光学園高校へ進学。2023年のインターハイ準優勝の実績を引っさげてプロ入りしたキャリアは、名前と合わせて日本代表の「10番」を長く背負った中村俊輔氏をダブらせる。
これまでに中村氏に関する質問を何度も受けてきたのだろう。高校時代に中村氏が母校を訪問したときや、引退後に同氏がコーチを務める横浜FCと対戦した昨シーズンには挨拶を介して面識がある齋藤は、ポジションや利き足を含めたプレースタイルのすべてが異なるレジェンドへ次のように言及している。
「偉大な先輩ではありますけど、いまはそんなに意識せずにプレーできているのがいいかなと思います」
中村氏も横浜マリノスのルーキーだった1997年に、マレーシアで開催されたFIFA ワールドユース選手権(当時)に出場。準々決勝までの全5試合、延長戦を含めた480分間にフル出場して1ゴールをあげた。
「自分はまだまだ、もっともっとよくなっていくと思っていますし、よくならなきゃいけないと感じています。(留守の間は)首位で突っ走ってくれるのがベストというか、高い順位をキープしていてほしいですね」
ちょっぴり生意気に映る齋藤は、胸中に抱いた思いを忌憚なく言葉に変える正直な性格を介して、渡邉をはじめとする先輩たちから可愛がられてやまない存在でもある。水戸にかかわるすべての人々の期待を力に変えながら17日に事前キャンプ地のパラグアイ入りし、27日のU-20エジプト代表とのグループステージ初戦へ備えていく。
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。





















