個人初の殿堂入りも…井原氏ら6人を掲額 女子サッカーのパイオニア「もう一度世界一になれる」

今年度殿堂入りした6人の掲額式典を行った
日本サッカー協会(JFA)は9月16日、東京・文京区のJFAサッカー文化創造拠点「blue-ing!」で今年度殿堂入りした6人の掲額式典を行った。掲額されたのは元女子日本代表の半田悦子氏(60)木岡二葉氏(59)高倉麻子氏(57)野田朱美氏(55)と元女子日本代表監督の鈴木保氏(故人)。元日本代表の井原正巳氏(57)も殿堂入りした。
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日本サッカーの発展に著しく貢献した人やチームを表彰するため2005年に設立された殿堂に、新しい歴史が刻まれた。昨年まで92人と3チームが掲額されたが、女性は11年W杯優勝の女子日本代表と育成世代の指導者として長年活躍してきた綾部美知枝氏のみ。半田氏ら4人は女子選手として個人初の殿堂入りになった。
「サッカーを始めたころは、まだ何もなかった」と半田氏は言った。リーグ戦や全日本選手権はもちろん、日本代表もなかった1970年代にサッカーを始めた選手たち。「ただ好きだからやっていただけ」と半田氏は振り返った。
81年、高校1年の半田氏と木岡氏は初めて結成された日本代表に選出され、いきなり中心選手としてプレーした。次に代表が結成された84年に高倉氏と野田氏もメンバー入り。4人は91年の第1回女子W杯(中国)や初めて五輪競技となった96年アトランタ五輪で活躍した。
国内では80年に全日本選手権が、89年に日本女子リーグがスタート。半田、木岡氏の清水第八クラブと高倉、野田氏の読売ベレーザが激しく覇を競った。殿堂入りした4人は常に日本女子サッカーの中心にいた。
野田氏は「最初は目標もなかったけれど、アジア選手権やW杯ができて、本気で勝ちたいと思った。世界一になりたいという思いでプレーしていた」と話した。先駆者たちの強い思いが、2011年のW杯優勝につながった。
21年東京五輪でなでしこジャパンの監督を務めた高倉氏は「私たちも先輩の背中を見て頑張ってきた。ひたむきさや最後まで諦めない気持ち、それは今もつながっている。もう一度、世界一になれると信じています」と期待した。
式典には、なでしこジャパンを率いるニールセン監督も出席。「今の女子サッカーの礎を作ってくれた」と掲額者たちに感謝し「再び世界一に返り咲くことを声を大にして言いたい」とあいさつ。女子選手として初めて個人で殿堂入りを果たしたレジェンドたちに誓っていた。
(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
荻島弘一
おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。



















