黒田監督は「確実に成果を残せる」 曺貴裁監督が語る”育成年代”の価値「トップとやることは一緒」

京都の曺貴裁が振り返る自身の指導者キャリア
京都サンガF.C.の指揮官就任5年目でJ1タイトルを手にできそうな領域まで達しつつある曺貴裁監督。その指導者キャリアは2000年の川崎フロンターレから始まった。(取材・文=元川悦子)
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ヴィッセル神戸でプレーしていた97年末に現役引退を決断し、ケルン体育大学へ2年間の留学を経験した。最初に指導したのは川崎のトップチームだったが、2002年にジュニアユース監督に就任。そこから育成年代を手掛けるようになり、2005年に赴いた湘南ベルマーレでは2008年までジュニアユース・ユース年代を幅広く指導。そこで指導をした1人が遠藤航(リバプール)というのは広く知られた話である。
「フロンターレの中学生を教えたのが、育成年代の最初でしたけど、僕からしたらトップの監督と育成の監督はやることは一緒。要求する範囲が違うだけで、アプローチ自体は全然、変わらないんです。
ミーティングで選手の顔色や様子を見ながら内容を変えたり、映像を見せたり見せなかったりするという話を前にしましたけど、僕は当時からそういうやり方でやっていました。育成にはトータルで7~8年間、関わりましたけど、当時のこともよく思い出しますし、それが自分の糧になっています。
これから指導者を目指すという人間に会ったら『絶対に育成年代をやった方がいい』と言っているんですけど、自分自身を客観視する機会にもなるし、足りないこともよく見える。貴重な経験になるのは間違いないです」と曺監督はしみじみと語った。
育成年代出身で成功を収めている1人が、FC町田ゼルビアの黒田剛監督だ。2022年まで青森山田高校で28年間指揮を執り、全国屈指の強豪へと登り詰めた指揮官は曺監督の2つ年下。2023年の転身当初は「高校サッカーの監督がプロで成果を残すのは難しい」といったネガティブな声も少なくなかったが、蓋を開けてみれば、1年でJ2リーグで王者となり、2年目の2024年は初参戦だったJ1リーグで最後まで堂々と優勝争いを繰り広げ、3位でフィニッシュ。AFCチャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)出場権を獲得している。
「僕はそういう考えは全くなかったですね。プロへの入り方とか、ちょっとした壁みたいなものを払拭できれば、黒田さんは百戦錬磨だし、自分なんかより何十年も長くやっている指導者。確実に成果を残せると感じていました。実際、1つのチームを率いて毎年上に引き上げるっていうのはなかなかできることじゃない。『プロの方が偉い』という風潮自体が違うなという感覚はありました。
ドイツだって、アーユルゲントとかユースの指導者だった人がシーズン途中だったり、次の年にトップの監督に就任するケースは数えきれないほどある。(トーマス・)トゥヘル(現イングランド代表監督)だって、三笘(薫)のいるブライトンの(ファビアン・)ヒュルツラーだって、もともとはユース出身じゃないですか。下のカテゴリーでも勝負の経験は十分に積めると思います。
僕が20代、30代、40代の指導者に言えることがあるとすれば、自分たち指導者が仕事をできるのは選手があってのこと。選手がいて初めて仕事になる、ということを忘れちゃいけない。どっちが偉いとかじゃなくて、”フィフティ・フィフティの関係”。プロの指導者を長くやってますけど、今もそういう気持ちは忘れていない。それを知るためにも、どんどんチャレンジした方がいいと僕は考えています」と曺監督は力を込める。
今季Jリーグ60クラブの指揮官の顔ぶれを見ると、60代は東京ヴェルディの城福浩監督、サンフレッチェ広島のミヒャエル・スキッベ監督、ロアッソ熊本の大木武監督、ヴァンラーレ八戸の石崎信弘監督、栃木SCの小林伸二監督ら5人程度。数人で、40代がメインになってきている。
曺監督と同じ50代後半は黒田監督、FC東京の松橋力蔵監督、ベガルタ仙台の森山佳郎監督、モンテディオ山形の横内昭展監督といったところで、だんだん少なくなってきているのが実情だ。
「僕が湘南で初めてトップの監督になったのは42歳の時。誰もが未経験ですけど、自分もちろんそうだった。監督というのは、目の前の選手やいろんな情報・知識によってアップデートされ、成長していくものだと思います。
今のJリーグは若く伸びしろのある監督が増えたのは事実だし、若返りが進んでいくのはすごくいいこと。僕ら50代もエネルギーをもらいながら、切磋琢磨しながら戦える環境になってきたことも前向きに受け止めています。年齢層の高い人材がずっとイスに座り続けて、若い人が入ってこられない組織や業界にしてはいけない。そういう意識はあります。
ただ、僕自身は実年齢よりは若いんじゃないかな(笑)。若い指導者とサッカーの話をして合わないと感じたことは全くないので。仮に『ついていけない』と思ったら、この仕事をリタイアすべきだという考えもあります。今の自分はエネルギーをもらいながら向上し続けて、この世界で生き抜いていきたい。もっともっと学びたいという気持ちがすごく強いです」
曺監督は監督キャリアをスタートした頃と同じマインドで日々の仕事に向き合っているという。年齢を重ねると、炎天下のグランドやスタジアムで立ちっぱなしでいるだけでも辛くなるものだが、指揮官はここ3か月ほど週2回のパーソナルトレーニングを実施。プールで泳ぐ機会も作って、体力強化に注力しているという。心身両面でフレッシュな状態で居続けられなければ、いい指導はできない。そんな自覚も強いのだろう。
「選手が海外へ出ていき、Jリーグもレベルアップしているなか、僕ら指導者も世界に目を向けなきゃいけない。いずれ欧州で指揮をとれるような形を夢とか目標に持ちながら、僕も60歳に近づいてはいますけど、挑戦し続けていきたいですね」
どこまでもアグレッシブでチャレンジングな曺監督。彼が京都の選手たちに高々と胴上げされる日がいち早く訪れるのを、今は心待ちにしたいものである。

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















