「ベストなタイミング」ではなかったJ名門復帰 海外挑戦に未練も…日本帰還は「新たな章の幕開け」

今夏横浜FMに復帰した角田涼太朗
今夏に横浜F・マリノスへ加入した角田涼太朗が、初出場を先発で果たした16日の清水エスパルス戦で、先制点となるJ1初ゴールを決めてチームを勝利に導いた。マリノスでプロのキャリアをスタートさせ、昨年1月にヨーロッパへ挑戦の舞台を移していた26歳のセンターバック(CB)は、どのような思いを抱いて約1年半ぶりに古巣へと復帰し、マリノス伝統の背番号「22」とともに新たな戦いに臨んでいるのか。(取材・文=藤江直人)
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身体が覚えていた。ポケットを取った選手が間髪入れずに、相手キーパーと最終ラインの間にグラウンダーの速いクロスを入れる。次の瞬間、ニアへ詰めてきた選手がワンタッチでゴールを陥れる。横浜F・マリノスの約束ごとから生まれた先制点。仕上げ役を務めたのは移籍後初出場を先発で果たした角田涼太朗だった。
清水エスパルスのホーム、IAIスタジアム日本平に乗り込んだ16日のJリーグ第26節。両チームともに無得点で迎えた前半16分に、マリノスが獲得した右コーナーキック(CK)が始まりだった。
キッカーのFWヤン・マテウスはショートコーナーを選択。MF渡辺皓太からリターンを受けると、ゴール前へ素早くクロスを送った。これが清水の守備陣にはね返された流れのなかで、相手ゴール前でゴールを狙っていたマリノスのCBの一人、ジェイソン・キニョーネスがポジションを下げた。
「セットプレーの2次攻撃で自分がゴール前に残ったなかで、いい形でマークを外すことができました」
こう振り返ったもう一人のCB角田はストライカーと化し、清水の両DF、住吉ジェラニレショーンと高木践の間へ割り込んだ。住吉はマリノスの新戦力、イスラエル代表のFWディーン・デイビッドを必死にマークしていた背後を突かれ、高木は不意に目の前に現れた角田にまったく反応できなかった。
そして、一度左サイドに流れたボールが右サイドへつながれ、再びボールをもったマテウスのパスに反応した左サイドバック(SB)の加藤蓮が右ポケットを突き、約束通りにグラウンダーのクロスを送った。
「誰かがそこに入ってくる、という共通認識があったなかで、僕自身はまったく中を見ていませんでした」
アシストをこう振り返った加藤は、クロスを送った後に初めて角田の姿を確認できたと笑った。
「彼もマリノスのスタイルをすごく分かっているので、その感覚がすごく良かったと思う」
もっとも、ニアで利き足とは逆の右足を合わせてゴールネットを揺らした角田は意外な言葉を残した。
「自分でもびっくりしたというか、やっとか、と思ったほうが大きいですね」
なぜびっくりしたのか。マリノスへの復帰が5日に発表されたばかりの26歳の角田にとって、これがJ1リーグ出場37試合目で決めた待望の初ゴールであり、だからこそ思わず「やっとか」と言及した。
何よりもディフェンダーの一番の価値は失点をしないこと、と復帰に際して抱負を語っていた自分が復帰後初陣で先制ゴールをマーク。マリノスを3-1の勝利に導いた試合展開が角田を驚かせていた。
欧州では負傷もあり思うようなシーズンを送れず
埼玉県さいたま市で生まれ育った角田は浦和レッズジュニアユース、前橋育英高校を経て筑波大学へ進学。希少価値の左利きのCBとして注目され、3年生の段階で卒業後の2022シーズンからのマリノス加入が内定した角田は予定を早める形で、筑波大学蹴球部を退部して2021年7月にマリノスとプロ契約を結んだ。
怪我で無念の辞退を余儀なくされたものの、2023年3月には第2次森保ジャパンの初陣となったウルグアイ、コロンビア両代表に臨むメンバーに選出。順調に成長した角田は、昨年1月にイングランド2部にあたるEFLチャンピオンシップのカーディフ・シティへ完全移籍。挑戦の舞台をヨーロッパへ移した。
しかし、好事魔多しというべきか。すぐにベルギー1部のコルトレイクへ期限付き移籍した角田は、昨年3月に左ハムストリングの肉離れで戦線離脱。カーディフ・シティへ復帰した昨シーズンは、痛めていた左膝の手術を受けた影響で試合に絡めないまま、今年1月に再びコルトレイクへ期限付き移籍した。
ヨーロッパで思うようにプレーができない日々で、角田を鼓舞したのがマリノスの戦いぶりだった。クラブの公式X(旧ツイッター)で公開された動画で、角田はこんな言葉を残している。
「僕自身も怪我が続いて、苦しい時間が多かったなかで、マリノスの試合やACLでの活躍を見て元気をもらっている部分もありました。(マリノスは)ずっと近くにあった、という感じですね」
コルトレイクがベルギー2部へ、所属元のカーディフ・シティが3部にあたるEFLリーグ1へともに降格した今シーズン。キャリアの分岐点に直面した角田のもとへ届いたのがマリノスからのオファーだった。
「もちろん海外挑戦を続けたい気持ちもありましたし、続けなければいけなかったと思いますけど、自分が置かれた状況やタイミングなどをいろいろと考えたときに一度Jリーグで、と考えました。そして、Jリーグでプレーするにあたって、いまの僕にはこのエンブレムをつけて戦う以外の考えが浮かびませんでした」
自身の決断をこう振り返った角田は、復帰が正式発表された5日に、クラブ公式ホームページ上で次のようなコメントをファン・サポーターへ届けている。一言一句には今シーズンの開幕から不振が続き、残留争いを強いられ続けるマリノスを異国の地から見てきた過程で芽生えた熱い思いが凝縮されていた。
「お互いにとってベストなタイミング、状況での再会ではないかもしれません。ただいま!と胸を張って言うこともできません。まだまだ追い求めたかったキャリア、海外で飛躍する姿を皆さんに届けること、本当にたくさんのことを考えました。ただ、いまこの状況でこの瞬間を横浜F・マリノスのために捧げたいと思い、強い覚悟を持って帰ってきました。F・マリノスがF・マリノスであるために、いるべき場所にいるために、すべてを懸けて闘います」
背番号は「22番」を選択
マリノスと日本代表の最終ラインを支え続けたレジェンド、中澤佑二さんが引退した2018シーズンを最後に空き番となっていた「22番」を受け継いだ。マリノスの2シーズン目からコルトレイク、カーディフ・シティと背負った「33番」は個人的に好きな番号だったと明かす角田は、新たな背番号へ込める思いをこう語る。
「マリノスにとって大切な番号を背負い、チームのために戦いたい、というところが大きかったので」
9日の東京ヴェルディ戦でベンチ入りした角田は、後半に先制点を奪われる展開で出番が訪れないまま0-1の敗戦を見届けた。4試合ぶりの黒星を「不甲斐ない」と悔しがった角田は、視界がさえぎられるほどの大雨が降る悪条件にもかかわらず、大勢のファン・サポーターが敵地へ駆けつけた清水戦に決意を新たにしていた。
「ここで奮い立たない選手は漢(おとこ)じゃない。それをピッチ上で表現できたと思う」
ゴール以外にも相手を一枚剥がしてから前へ持ち運ぶプレーや、同サイドの加藤や左ウイングの宮市亮へ、左利きのCBの特徴を活かして巻いて通すパスも供給した角田は、もちろん本職の守備でも魅せている。
たとえばリードを2点差に広げて迎えた前半アディショナルタイム。ドリブルでカットインしてきたMFカピシャーバと対峙した角田は、相手が向かって左へコースを変えた瞬間に左足を伸ばしてボールをしっかりとカット。勢いあまったカピシャーバが前方へ吹っ飛ぶほどの強さでピンチを未然に防いだ。
「人に対しての強さ、という部分で、本当に少しですけど成長した実感がありました」
ヨーロッパで改めて学んだ「タフに戦う」を実践したプレーを、角田はちょっぴり謙遜しながら振り返った。このプレーで古傷の左膝を痛め、一時的にピッチの外で治療を受けた影響でハーフタイムでの交代を余儀なくされた角田はベンチで勝利を見届けた後に、マリノスの今後へ抱く思いをさらに強くしている。
「本当にここからだと思います。絶対に勝ち点3が必要な試合でしたけど、この1勝で終わったら意味がないし、上がるも沈むも自分たち次第。勝ち続けるしか自分たちには道がないので、そこは浮かれすぎないようにしたい。ただ、この試合のような基準を出していけば、おのずといい結果を得られると思っています」
J2への降格圏となる18位から脱出こそできなかったものの、17位の湘南ベルマーレに勝ち点でわずか1ポイント差に迫った。今夏の復帰を「サッカー人生の新たな章の幕開け」と位置づけ、マリノスを「自分を犠牲にできる存在」と公言する角田は、残り12試合を笑顔で戦い終える光景だけを思い浮かべている。
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。





















