10番が電撃移籍…人目はばからず号泣「裏切りじゃないか」 引き止めてくれた「あの人」

東京Vから名古屋に移籍をした木村勇大【写真:松尾/アフロスポーツ】
東京Vから名古屋に移籍をした木村勇大【写真:松尾/アフロスポーツ】

東京Vから名古屋に移籍した木村勇大「逃げじゃなくて自分の新しいチャレンジ」

 今月に入って成立した一件の移籍が、サッカー界に少なからず驚きを与えた。昨シーズンに10ゴールをあげて東京ヴェルディの6位躍進に貢献し、今シーズンからは志願して「10番」を背負っていた木村勇大の名古屋グランパスへの完全移籍。京都サンガF.C.からの期限付き移籍を完全移籍に切り替え、ヴェルディでさらなる飛躍を期していた24歳のストライカーは、残留する方針からなぜ名古屋への加入を決めたのか。(取材・文=藤江直人)

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 最初は断りを入れるつもりだった。シーズンの真っ只中に届いた想定外のオファー。今月4日に東京ヴェルディから名古屋グランパスへ完全移籍した木村勇大は、まったく異なる思いを抱いていたと打ち明ける。

「逃げると言ったらあれですけど、最初はそういう(移籍という)選択をしないようにしていました」

 昨シーズンに京都から東京Vへ期限付き移籍した木村は、J1初ゴールを含めて2桁となる10ゴールをマーク。今シーズンからは完全移籍へ切り替え、さらにアビスパ福岡へ移籍したMF見木友哉が背負っていた「10番」を自ら望む形で受け継いだ。名実ともにチームの柱となる、という決意が込められていた。

 しかし、開幕直後に24歳になったストライカーを待っていたのは、出場機会の大幅な減少だった。清水エスパルスに敗れた開幕戦こそ1トップで先発した木村だったが、鹿島アントラーズとの第2節からは3戦連続でリザーブへ回る。代わりに1トップで起用されたのは、関西学院大学で木村と同期の山田剛綺だった。

 東京Vを率いる城福浩監督は、開幕直後の木村へ、期待の裏返しというべき言葉を残している。

「ちょっと腹が据わっていないような感じで、開幕戦はそこがチームのブレーキになっていた」

 左膝に大怪我を負った山田が長期の戦線離脱を余儀なくされた状況で、木村はアルビレックス新潟との第5節で先発に復帰した。開始10分には先制点となる今シーズン初ゴールをマークしたが、その後はストライカーに求められるゴールを決められないまま、横浜FCとの第15節から再びリザーブに回った。

 後半開始から染野唯月に代わって出場したサンフレッチェ広島との第17節では、今シーズン2ゴール目となる先制弾を決めながら東京Vは逆転負けを喫した。その後も先発と途中出場を繰り返した木村は、川崎フロンターレとの第22節以降は一度もピッチに立たないまま、中断期間中に名古屋への移籍が発表された。

「最初はなぜ試合に出られないのか、という矢印が外へ向けられた時間もありました」

 外へ向けられた、イコール、城福監督への不満とみていいだろう。それでも、プロとしてあるまじき姿だと自分自身を咎めた木村は、前出のコメントで言及した「逃げる」に込めた意味を明かしている。

「それじゃダメだ、と思って、矢印を自分のなかに向けてやり続けて、それでもなかなかチャンスが来なくて。覚悟をもって『10番』をつけたつもりだったので、何で『10番』の選手がピッチの上にいないのかとすごく見られますし、周りのいろいろな声も聞こえてきますし、自分としてもすごくしんどくて。そのときに(名古屋から)オファーをもらいましたが、自分としてはとにかくここ(東京V)で頑張ろうと思っていたんですけど」

 ヴェルディへ抱く愛も、木村を思いとどまらせた。ルーキーイヤーだった2023シーズン前半は京都で結果を残せず、夏場から育成型期限付き移籍で加入したJ2のツエーゲン金沢でも出場10試合でわずか1ゴールに終わった。自信を失いかけていた同シーズンのオフに、J1昇格を決めた東京Vからオファーが届いた。

「自分はヴェルディにすごく恩を感じています。去年、自分がもうサッカー選手としてやっていけなくなるんじゃないかなと思ったところを拾ってくれたのもヴェルディで、一人前のプロにしてくれたのもヴェルディなので」

 だからこそ、目の前の苦境から「逃げない」と木村は自らに言い聞かせた。しかし、時間の経過とともに自分を必要としてくれた名古屋の熱意との狭間で心が揺れ始める。そして、ある結論にたどり着いた。

「それ(残留)だけが正解じゃない、と。ここで新しい道を選ぶのも、逃げじゃなくて自分の新しいチャレンジなんだと。批判の声が数多くあがるのは承知のうえで、それでも覚悟を強くもって外に出ると決めました」

 もっとも、最終的な決断を下す前に、実は面と向き合って話し合いの場をもたなければいけない存在がいた。東京Vの森下仁志コーチを、敬意を込めて「あの人」と言いながら木村が続ける。

「あの人はずっと自分を引き止めてくれていました。あれほど自分に向き合ってくれる人と出会ったのも初めてだったので、そういう人のもとを去る、というのは裏切りじゃないかと思い、一人の人間としてもすごく悩みました。そのなかでしっかりと自分の思いを話して、あの人にも理解してもらって出るという選択を下しました」

 東京Vの仲間たちに別れを告げたときには、木村は人目をはばからずに号泣している。そして、ヴェルディへ抱く感謝の思いを、一途に前を向く力に変えた木村を待っていたのは運命的なマッチスケジュールだった。

 FWキャスパー・ユンカーに代わり、後半28分からホームの豊田スタジアムのピッチに立った名古屋でのデビュー戦の相手は、プロの第一歩を踏み出した京都。そして、京都に敗れた10日のJ1リーグ第25節から3日後。名古屋で初先発を果たした13日の天皇杯ラウンド16で対峙した相手が東京Vだった。

 キックオフ前のメンバー発表時から、慣れ親しんだ味の素スタジアムで東京Vのサポーターから、予想通りに大きなブーイングを浴びた。そして、前半28分に同点ゴールにつながるヘディング弾を放ち、1トップで体を張り続け、フル出場を果たした末にもぎ取った2-1の逆転勝利が、木村に新たな決意を抱かせている。

「ブーイングしてもらえる、といのはそれだけ大事に思ってくれていた証だと思えてありがたかったですし、試合後に挨拶にいったときにはブーイングも少し聞こえましたけど、8割か9割くらいからは拍手をしてもらえました。このタイミングでチームを離れるという選択に対して、普通だったら拍手はできないと思っていたなかで、ヴェルディのサポーターの温かさをすごく感じました。すごく申し訳ない気持ちもありましたけど、そういう人たちの拍手を裏切らないためにも、自分が選んだ道で頑張っていかなきゃいけないとあらためて思いました」

 残り13試合となった段階で、J2降格圏となる18位の横浜F・マリノスと勝ち点7ポイント差の16位と苦戦が続いているリーグ戦では、16日に敵地・埼玉スタジアムでの浦和レッズ戦が待つ。27日には15年ぶり5度目の天皇杯ベスト4進出をかけて、豊田スタジアムでサンフレッチェ広島との準々決勝に臨む。

「ヴェルディのサポーターも含めて、あいつを外に出さなかったらよかったと思ってもらえるくらいの活躍をしていくことで、いまの自分の価値をみなさんに一番わかってもらえると思っています」

 身長185センチ・体重84キロの屈強なボディに、高さと強さだけでなく裏抜けのスピードと足元の技術をも同居させる。今シーズンの名古屋にはいないタイプのストライカーとして、新たに「22番」を背負う木村は「ヴェルディ時代の自分をもっと進化させて、新しい色を出していきたい」と前だけを見すえている。

(藤江直人 / Fujie Naoto)



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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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