酒井宏樹を「本当はアタッカーにしたかった」 名伯楽が明かす…10代で急成長「時間が足りなかった」

酒井宏樹、工藤壮人らを育てた吉田達磨氏「“いじりすぎないこと”が大事」
2024年7月から赴いたKリーグ1部・大田ハナシチズンで戦術コーチを務めながら、若い選手の成長にも尽力している吉田達磨氏。20歳前後の成長途上のプレーヤーと向き合うにあたり、やはり生きてくるのが、柏レイソルでアカデミーに長く携わった経験だ。
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2002年の現役引退の後、吉田氏は母校である東海大学付属浦安高校の臨時コーチを経て、2023年から古巣・柏でアカデミー指導者として新たなスタートを切った。U-15・U-18世代を幅広く指導した後、2010年にはアカデミーダイレクターに就任。2011年に強化本部長の要職に就くまでは、育成年代に長く携わったのだ。
そのなかには酒井宏樹(オークランドFC)、工藤壮人といった日の丸を背負った逸材もいた。彼らと同じ1990年生まれ世代には、指宿洋史(ウエスタン・ユナイテッド)や島川俊郎(相模原)のような独自キャリアを歩む選手もいて、吉田氏にとっても貴重な出会いになったのは間違いない。
「ワールドカップ(W杯)に出た選手という意味では酒井宏樹がいます。彼のことは本当はサイドアタッカーにしたかったんですよ。でも時間が足りなかったかな(笑)。技術的には普通ですけど、ダイナミックさという大きな魅力がありましたから。
10代の頃の宏樹はおとなしくて、そこまで体もデカくなかった。デカくなるだろうという見込みはあったんで、サイドの選手として伸ばすことになり、最終的にサイドバックとして大きく飛躍しました。
でも正直言って、僕は何も教えていないし、育てたなんていうのはおこがましい。選手は“いじりすぎないこと”が大事。僕がいろいろやったように言われますけど、あんまりいじらないように気を付けていました。絶対にやっちゃいけないことはキツく言いましたし、ボールが止まらないとかキックの精度が悪いとか課題があればしっかりと向き合いましたけど、レイソルのアカデミーに来るような子はそれ相応の素材がある。だからこそ、いじくり回さないことが大切なんです。
宏樹はレイソルの後、ドイツとフランスで長くプレーして、日本に戻って浦和で活躍しましたけど、また海外に出るというのは彼らしいなと。昔から遠征にも数多く行っていたし、外国に行くことに対して抵抗が一切なく、ワクワク感しかないんでしょう」
吉田氏は酒井宏樹という1つの成功例についてこう語っていた。確かに選手を大きく伸ばそうと思うなら、それぞれが持つ個性を大事にしつつ、ストロングに磨きをかけ、ウィークをなくす取り組みが重要だ。それは言葉で言うほど簡単なことではないが、とにかく地道に1つ1つやっていくしかないのだ。
そうやって複数の選手を教えたなかで、やはり2022年10月21日に32歳の若さでこの世を去った工藤壮人は特別な存在だろう。当時、吉田氏はヴァンフォーレ甲府の監督在任中。サンフレッチェ広島に勝って天皇杯タイトルを獲りながら、同年限りで退任することが決まっていた時期だった。すぐに彼のところに駆け付けたい気持ちはやまやまだったが、目の前の仕事があって、間に合わなかったという。
「工藤とは付き合いが長くて、何と言えばいいのか、ホントに難しいところがありますね。今でもしょっちゅう思い出しますし、もう会えないという感覚はないですね……。
監督をやっていてメンタル的にダメージを受けることはありますけど、工藤が亡くなったときはさすがに堪えた。今も帰国すると彼の墓に顔を出しにいくことがありますけど、あいつのことを自分を鼓舞する材料にはしたくない。そんな気持ちが偽らざるところですね。
彼らの代には最近引退した武富孝介、1つ下の茨田陽生(湘南)、川浪吾郎(岡山)なんかもいましたけど、自分が最初に持たせてもらったカテゴリーで、そのままトップでも一緒に働いたり、その後もつながりのあった選手も多かった。多くがプロになりましたからね。そういう選手たちと出会えたことに感謝したいですね」
しみじみと話していた吉田氏。彼ら以外にも、中谷進之介(G大阪)、中山雄太(町田)、古賀太陽(柏)といった日の丸経験者にも直接・間接的に関わったが、彼らとどう向き合い、成長に寄与したかというディテールやノウハウは大田でも大いに求められているはず。前にも触れたが、今の韓国は育成の改革やテコ入れが強く求められている。韓国代表のホン・ミョンボ監督ら韓国サッカー連盟関係者から助言を求められる機会が訪れる可能性はあり得るのだ。
そこでも吉田氏は“いじりすぎないことの重要性”を強調するだろう。韓国代表は日本代表に直近3連敗しているものの、韓国にも優れた才能は数多くいるし、育て方次第ではもっともっとタレントも出てくるだろう。そこで指導者がいろいろ言いすぎて、可能性の芽を摘んでしまうようなことがあってはいけない。吉田氏ならば、説得力のあるアドバイスができるのではないか。
「僕自身も韓国でチャンスをもらった以上、しっかりした仕事をしていきたいですし、チームにも貢献したい。そうすることが自分の指導力向上にもつながると思っています。今から2025年シーズンは佳境に突入しますが、少しでもいい成績を残せるようにしたい。これまでの経験も活かしながら、新境地を開拓できるように頑張っていきます」
吉田達磨という円熟期を迎えた51歳の指導者が今後、どのような足跡を辿っていくのか。興味深く見守りたいものである。

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















